お笑いタッグマッチ
お笑いタッグマッチ | |
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ジャンル | 演芸番組 |
出演者 |
春風亭柳昇 ほか |
製作 | |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
木曜昼時代 | |
放送期間 | 1959年3月12日 - 1959年5月28日 |
放送時間 | 木曜 12:15 - 12:45 |
放送分 | 30分 |
火曜昼時代 | |
放送期間 | 1959年6月16日 - 1959年6月30日 |
放送時間 | 火曜 12:15 - 12:45 |
放送分 | 30分 |
金曜昼時代 | |
放送期間 | 1959年7月17日 - 1967年4月28日 |
放送時間 | 金曜 12:15 - 12:45 |
放送分 | 30分 |
『お笑いタッグマッチ』(おわらいタッグマッチ)は、1959年3月12日から1967年4月28日までフジテレビで放送されていた演芸番組である。
概要
[編集]開局11日後にスタートしたフジテレビ草創期の番組で、8年あまりにわたって放送。当時有楽町1丁目にあった東京ヴィデオ・ホール(旧・蚕糸会館6階)からの生放送で、落語家の春風亭柳昇が司会を務めていた。
番組は柳昇のトロンボーンの演奏から始まり、6人の落語家が3人ずつ紅白に分かれて座っていた。そして毎回2人のゲストが登場し、彼らが歌を披露した後、その歌の歌詞を書いたボードが出され、柳昇がその歌詞の中から3箇所線を引いて印を付け、出場者はその一部を題材にしたストーリーを作り、次の人に渡していた(いわゆる「お題拝借」。ただし、発言権を持つのは人形を置かれた者のみ)。そして相手チームは、ストーリーの中に矛盾した点があれば即座にそれを指摘して攻撃するという、「落語裁判」の変形的な番組だった。話を組み立てる一方で、その話を壊していくという切羽詰った面白さが受け、最高視聴率は29.1%を記録した。
番組の終了後、柳昇をはじめとする一部の出演者は金曜昼の番組『お笑い世論調査』にも引き続き出演した。また、1968年4月にスタートした平日昼の帯番組『お昼のゴールデンショー』にも、金曜のメイン企画として柳昇がコーナー司会を務める大喜利コーナーがあり、1970年まで放送された。
放送時間
[編集]いずれも日本標準時。
- 木曜 12:15 - 12:45 (1959年3月12日 - 1959年5月28日)
- 火曜 12:15 - 12:45 (1959年6月16日 - 1959年6月30日)
- 金曜 12:15 - 12:45 (1959年7月17日 - 1967年4月28日)
出演者
[編集]司会
[編集]その他の主な出演者
[編集]提供
[編集]スポンサーは時期によって異なり、三立製菓の一社提供の時もあれば、丸美屋食品工業の一社提供の時もあった。丸美屋の提供時代には、出演者のやりとりの中に「のりたま」など丸美屋推奨の言葉が再三飛び出し、CM以外でも効果を上げた[1]。
脚注
[編集]- ^ 『丸美屋食品50年史』丸美屋食品社史編纂委員会、2001年、51 - 52頁。
参考文献
[編集]- 『完璧版 テレビバラエティ 大笑辞典』白夜書房、2003年、109 - 110頁。
フジテレビ 木曜12:15枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ミュージカル・スリラー 天使と魔女と泥棒
(1959年3月5日) |
お笑いタッグマッチ
(1959年3月12日 - 1959年5月28日) |
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フジテレビ 火曜12:15枠 | ||
お笑いタッグマッチ
(1959年6月16日 - 1959年6月30日) |
テレビ結婚式・ここに幸あれ
(1959年7月7日 - ) |
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フジテレビ 金曜12:15枠 | ||
花ざかり八軒長屋
(1959年3月6日 - 1959年7月10日) |
お笑いタッグマッチ
(1959年7月17日 - 1967年4月28日) |
お笑い世論調査
(1967年5月5日 - 1967年9月) |