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柳家小せん (4代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四代目 柳家やなぎや せん
Yanagiya Kosen the 4th
四代目 柳家(やなぎや) 小(こ)せん Yanagiya Kosen the 4th
柳家小せん定紋「花菱
本名 飯泉いいずみ 真寿男ますお
生年月日 1923年7月24日
没年月日 (2006-10-10) 2006年10月10日(83歳没)
出身地 日本の旗 日本東京府東京市下谷区
師匠 五代目柳家小さん
弟子 柳家せん八
名跡 1. 柳家小満輔
(1949年 - 1951年)
2. 八代目柳家小きん
(1951年 - 1961年)
3. 四代目柳家小せん
(1961年 - 2006年)
出囃子 せり
活動期間 1949年 - 2006年
家族 二代目柳家小満ん(父)
所属 落語協会
公式サイト 柳家小せん
受賞歴
日本芸能実演家団体協議会(芸団協)芸能功労者表彰(2002年)
備考
落語協会理事(時期不明)
落語協会相談役(? - 2006年)

四代目 柳家 小せん(やなぎや こせん、1923年7月24日 - 2006年10月10日[1])は、落語家。本名∶飯泉 真寿男。生前は落語協会所属。五代目柳家小さんの総領弟子。出囃子は『せり』。

経歴

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東京市下谷区出身[1][注 1]。落語家で百面相二代目柳家小満んの息子[1]第二次世界大戦中は陸軍兵士としてインドネシア等に出征。

1949年4月、九代目柳家小三治に入門。前座名は柳家小満輔1951年3月に二ツ目に昇進し、柳家小きんに改名。1961年9月に二代目柳家さん助と共に真打昇進。四代目柳家小せんを襲名[1][2]

フジテレビお笑いタッグマッチ[1]のボケ役回答者や、NETテレビ(現テレビ朝日)系列『日曜演芸会』の大喜利「珍芸コーナー」などの人気番組へ出演し、テレビタレントとして売れた。これらの番組で使用した、妻の仮名を指すフレーズ[1]ケメ子」が流行語となり、これにちなむポップス『ケメ子の歌』や、小せん自身が作詞した『私がケメ子よ』などのレコードがヒットした。俳優として『日本一の裏切り男』など複数の映画に、声優としてテレビ人形劇番組『ひょっこりひょうたん島』に出演した。

2004年11月24日上野鈴本演芸場で演じた『道灌』が最後の高座になった。2006年10月10日肺炎により死去。83歳没[2]

芸歴

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人物

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レース編みを趣味としていた[3]

弟弟子の夢月亭清麿は「総領弟子として常に直弟子を立てて控えめな態度をとり、争いごとなどには無縁だった。また、楽屋などでも落語論や芸人論を語る姿を目にしたことがない」と追悼している[4]

得意ネタ

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弟子

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真打
廃業

脚注

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注釈

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  1. ^ 資料によっては新潟県出身ともされている[要出典]

出典

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  1. ^ a b c d e f 柳家 小せん(4代目)』 - コトバンク
  2. ^ a b 柳家 小せん(やなぎや こせん)”. 一般社団法人落語協会. 2024年2月12日閲覧。
  3. ^ 「編む男の巻 毛糸に託す創造の楽しさ(人・7人のサムライ)」『朝日新聞』1989年10月21日、夕刊、3面。
  4. ^ 夢月亭清麿『東京かわら版 平成18年11月号 夢月亭の炊き立てゴハン(260)』東京かわら版、2006年10月28日、26頁。 
  5. ^ tentsutsu. “サザエさんみてえだ!”. 総領の甚六【春風亭柳朝No.6のオフィシャルブログ】. 2019年11月17日閲覧。

参考文献

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  • 古今東西噺家紳士録

外部リンク

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