柳家小せん (4代目)
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四代目 Yanagiya Kosen the 4th | |
柳家小せん定紋「花菱」 | |
本名 | |
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生年月日 | 1923年7月24日 |
没年月日 | 2006年10月10日(83歳没) |
出身地 | 日本・東京府東京市下谷区 |
師匠 | 五代目柳家小さん |
弟子 | 柳家せん八 |
名跡 | 1. 柳家小満輔 (1949年 - 1951年) 2. 八代目柳家小きん (1951年 - 1961年) 3. 四代目柳家小せん (1961年 - 2006年) |
出囃子 | せり |
活動期間 | 1949年 - 2006年 |
家族 | 二代目柳家小満ん(父) |
所属 | 落語協会 |
公式サイト | 柳家小せん |
受賞歴 | |
日本芸能実演家団体協議会(芸団協)芸能功労者表彰(2002年) | |
備考 | |
落語協会理事(時期不明) 落語協会相談役(? - 2006年) | |
四代目 柳家 小せん(やなぎや こせん、1923年7月24日 - 2006年10月10日[1])は、落語家。本名∶飯泉 真寿男。生前は落語協会所属。五代目柳家小さんの総領弟子。出囃子は『せり』。
経歴
[編集]東京市下谷区出身[1][注 1]。落語家で百面相の二代目柳家小満んの息子[1]。第二次世界大戦中は陸軍兵士としてインドネシア等に出征。
1949年4月、九代目柳家小三治に入門。前座名は柳家小満輔。1951年3月に二ツ目に昇進し、柳家小きんに改名。1961年9月に二代目柳家さん助と共に真打昇進。四代目柳家小せんを襲名[1][2]。
フジテレビ『お笑いタッグマッチ』[1]のボケ役回答者や、NETテレビ(現テレビ朝日)系列『日曜演芸会』の大喜利「珍芸コーナー」などの人気番組へ出演し、テレビタレントとして売れた。これらの番組で使用した、妻の仮名を指すフレーズ[1]「ケメ子」が流行語となり、これにちなむポップス『ケメ子の歌』や、小せん自身が作詞した『私がケメ子よ』などのレコードがヒットした。俳優として『日本一の裏切り男』など複数の映画に、声優としてテレビ人形劇番組『ひょっこりひょうたん島』に出演した。
2004年11月24日に上野鈴本演芸場で演じた『道灌』が最後の高座になった。2006年10月10日、肺炎により死去。83歳没[2]。
芸歴
[編集]人物
[編集]弟弟子の夢月亭清麿は「総領弟子として常に直弟子を立てて控えめな態度をとり、争いごとなどには無縁だった。また、楽屋などでも落語論や芸人論を語る姿を目にしたことがない」と追悼している[4]。
得意ネタ
[編集]弟子
[編集]- 真打
- 廃業
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 古今東西噺家紳士録
外部リンク
[編集]- 柳家小せん - 落語協会
- 『柳家 小せん(4代目)』 - コトバンク