お調子者で行こう
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『お調子者で行こう』 | ||||
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嘉門達夫 の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル |
フォークソング コミックソング | |||
時間 | ||||
レーベル | 日本コロムビア | |||
プロデュース | 森雪之丞 | |||
嘉門達夫 アルバム 年表 | ||||
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『お調子者で行こう』収録のシングル | ||||
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『お調子者で行こう』(おちょうしものでいこう)は、嘉門タツオ(旧名・嘉門達夫)初のオリジナル・アルバム。1985年6月12日に日本コロムビアから発売された[1]。
概要
[編集]メジャー・デビュー約2年後に発売されたアルバム。ジャケット写真とタイトルはサザンオールスターズのアルバム『人気者で行こう』のパロディ。
デビューシングル「ヤンキーの兄ちゃんのうた」と2枚目のシングル「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」は未収録。
逸話
[編集]元々は1985年5月21日発売予定だったが、発売予定の1週間前に、レコード倫理審査会(レコ倫)から本作収録予定だった「業界人間ベム」「一発屋ブルース」の2曲にクレームが付き、発売が一度延期になり、既にプレスされていた8000枚はすべて廃棄された[1]。「業界人間ベム」は歌詞を一部差し替えただけで済んだが、「一発屋ブルース」はアルバム収録そのものがNGとなってお蔵入りとなる[1][注 1]。代わりに収録されたのが、5曲目の「お前らには負けへんで」である[1]。
その後、嘉門は2曲へのクレームに対する皮肉が込められた「発禁のうた」を発表。同年6月10日に日本コロムビア本社の会議室で開催した「オレは無実だライブ──嘉門達夫救済チャリティコンサート」や、自身がDJを務めるラジオ番組で歌った[1]。
さらに「一発屋ブルース」はテレビやラジオで何度も流された[1]。皮肉にも、この騒動によって本アルバムが話題になり、売り上げが伸びた[1]。発売2週間での売上はレコードとカセットテープを合わせて2万枚に達した[1]。
収録曲
[編集]- 業界人間ベム
- 涙のモデルはギザギザハート 〜いかにも私はモデルです〜
- 天才でバカボンを
- 作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:森雪之丞・大村憲司
- トキメキのオバンチュール
- お前らには負けへんで
- 作詞・作曲・編曲:嘉門達夫
- ライブ音源で収録されている。
- アホが見るブタのケツ
- 作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:新田一郎
- 3枚目のシングル。
- 私はバッテラ
- 作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:竜崎孝路
- デビューシングル「ヤンキーの兄ちゃんのうた」B面。シングルとは歌詞とアレンジが異なる。
- ツッコミ ドレミファ・ドン
- あったらコワイセレナーデ2
- 作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:新田一郎
- 3枚目のシングル「アホが見るブタのケツ」のB面。
- どう見ても山田君