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お調子者で行こう

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『お調子者で行こう』
嘉門達夫スタジオ・アルバム
リリース
ジャンル フォークソング
コミックソング
時間
レーベル 日本コロムビア
プロデュース 森雪之丞
嘉門達夫 アルバム 年表
-お調子者で行こう
1985年
日常 〜COM'ON! 超B級娯楽音楽〜
1986年
『お調子者で行こう』収録のシングル
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お調子者で行こう』(おちょうしものでいこう)は、嘉門タツオ(旧名・嘉門達夫)初のオリジナル・アルバム1985年6月12日日本コロムビアから発売された[1]

概要

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メジャー・デビュー約2年後に発売されたアルバム。ジャケット写真とタイトルはサザンオールスターズのアルバム『人気者で行こう』のパロディ。

デビューシングル「ヤンキーの兄ちゃんのうた」と2枚目のシングル「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」は未収録。

逸話

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元々は1985年5月21日発売予定だったが、発売予定の1週間前に、レコード倫理審査会(レコ倫)から本作収録予定だった「業界人間ベム」「一発屋ブルース」の2曲にクレームが付き、発売が一度延期になり、既にプレスされていた8000枚はすべて廃棄された[1]。「業界人間ベム」は歌詞を一部差し替えただけで済んだが、「一発屋ブルース」はアルバム収録そのものがNGとなってお蔵入りとなる[1][注 1]。代わりに収録されたのが、5曲目の「お前らには負けへんで」である[1]

その後、嘉門は2曲へのクレームに対する皮肉が込められた「発禁のうた」を発表。同年6月10日に日本コロムビア本社の会議室で開催した「オレは無実だライブ──嘉門達夫救済チャリティコンサート」や、自身がDJを務めるラジオ番組で歌った[1]

さらに「一発屋ブルース」はテレビやラジオで何度も流された[1]。皮肉にも、この騒動によって本アルバムが話題になり、売り上げが伸びた[1]。発売2週間での売上はレコードとカセットテープを合わせて2万枚に達した[1]

収録曲

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  1. 業界人間ベム
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:矢口博康
  2. 涙のモデルはギザギザハート 〜いかにも私はモデルです〜
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:森雪之丞大村憲司
  3. 天才でバカボンを
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:森雪之丞・大村憲司
  4. トキメキのオバンチュール
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:加瀬邦彦、コーラス編曲:植田芳暁
  5. お前らには負けへんで
    作詞・作曲・編曲:嘉門達夫
    ライブ音源で収録されている。
  6. アホが見るブタのケツ
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:新田一郎
    3枚目のシングル。
  7. 私はバッテラ
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:竜崎孝路
    デビューシングル「ヤンキーの兄ちゃんのうた」B面。シングルとは歌詞とアレンジが異なる。
  8. ツッコミ ドレミファ・ドン
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:戸田誠司
    1991年発売アルバム『』収録の「ツッコミドレミファドン」とは別曲。
  9. あったらコワイセレナーデ2
    作詞・作曲:嘉門達夫、編曲:新田一郎
    3枚目のシングル「アホが見るブタのケツ」のB面。
  10. どう見ても山田君
    作詞:ますやまみのる、作曲:嘉門達夫、編曲:宮川泰

脚注

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注釈

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  1. ^ 嘉門本人のYouTubeチャンネル動画によると、出荷後に発売禁止となり回収したと発言している[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 「芸能界をオチョクって発禁をくらった嘉門達夫のウップン・ブルース」『サンデー毎日』1985年7月21日号、160-162頁。
  2. ^ すでに出荷済みのアルバム全回収発禁作のライブバージョンです「一発屋ブルース」 - YouTube