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くす型護衛艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くす型護衛艦
PF-284「もみ」
PF-284「もみ」
基本情報
種別 護衛艦(PF)
運用者  海上自衛隊
就役期間 1953年 - 1972年
同型艦 18隻
要目 (貸与時)
基準排水量 1,450トン
満載排水量 2,250トン
全長 93.3m
最大幅 11.4m
深さ 5.3m
吃水 3.5m
ボイラー 3胴式水管ボイラー(16.9重量キログラム毎平方センチメートル (240 lbf/in2))×2缶
主機 直立型4気筒3段膨張式レシプロ蒸気機関×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 5,500 馬力
速力 最大18ノット (33 km/h)
乗員 170名
兵装
FCS Mk.51×2基
レーダー
  • SA 対空捜索用×1基
  • SL 対水上捜索用×1基
ソナー QB/QJシリーズ×1基
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くす型護衛艦(くすがたごえいかん、英語: Kusu-class Patrol Frigate)は、海上自衛隊草創期の護衛艦(PF)(当初は警備艦に類別)。前身はアメリカ海軍タコマ級哨戒フリゲートで、1953年に18隻が貸与された[1]1972年までに全艦退役済み。

概要

[編集]

くす型の前身であるタコマ級哨戒フリゲートは、第二次世界大戦においてアメリカ海軍が建造、運用した護衛艦である。96隻建造されたうち21隻がイギリスに貸与され、残り75隻がアメリカで運用されたが、1945年、対日作戦用として28隻がソ連労農赤色海軍に貸与された(そのため、日本への貸与直後には艦内の所々にロシア語表記が見られ、倉庫にはソ連製の部品があったという[2])。戦後、沈没した1隻を除く27隻がアメリカに返還され横須賀港に係留されていたが1950年の朝鮮戦争の勃発に伴い急遽再整備され、朝鮮水域に出動した。

1950年(昭和25年)夏、吉田茂内閣総理大臣が主催する会食の席上、米極東海軍司令官C・ターナー・ジョイ中将より野村吉三郎元海軍大将に対して、横須賀で保管されていたこれらのフリゲートを日本に貸与するという提案がなされた。これは非公式の打診であったが、1951年(昭和26年)10月19日には、正式にマシュー・リッジウェイ連合国軍最高司令官より、50隻のLSSLとともにフリゲート18隻を貸与するとの提案がなされ、吉田首相はこれをその場で承諾した。これらのフリゲートは、当時連合国軍占領下の日本において唯一の洋上実力組織であった海上保安庁により運用されることとなったが、海保の当初構想とは異なり、従来の巡視船を増強しての分散運用ではなく、海保部内でも一種独立した組織において集合運用されることとなった。これは再軍備の一環として、陸上における警察予備隊に対応する組織を目指したものであり、1952年(昭和27年)4月26日海上警備隊として発足した。海上警備隊は、同年8月1日保安庁警備隊として海保から独立したが、船舶の貸与は日米船舶貸借協定の発効が遅れたためPFの正式受入れができず、やむをえず整備の終わったPFを行政措置により保管受入れし、隊員が乗組み個艦訓練を行い、さらに臨時編成による船隊基本訓練を実施していた。 一方、日米船舶貸借協定を巡っては日本側の受け入れが行政措置か協定締結かで国会で揉め、11月にようやく日米船舶貸借協定が調印されたが、さらに国会通過を巡って、PFが「船舶」なのか「軍艦」なのかといった論争に時間がかかり、12月27日になってようやく協定の発効となった。協定ではPF、LSSLの貸与有効期限を5年とし、期間満了の際、日本側の要請により、さらに5年間延長できるものとなっていた。1953年(昭和28年)1月14日米海軍横須賀基地において第1回引渡し式が挙行され、PF6隻、LSSL4隻が日本に引渡された。12月23日の第11回船舶引渡しをもってPF18隻、LSSL50隻の引渡しが完了した。警備隊は1954年(昭和29年)7月1日防衛庁海上自衛隊に改編された[3]

本級は、国産護衛艦の就役以降も水上戦力の中核として活動し、1962年(昭和37年)8月28日には全艦供与に切り替えられた。1965年(昭和40年)代以降、老朽化のため順次引退し、1972年(昭和47年)3月31日の「かや」(PF-288)の保管船への区分変更を最後に護衛艦籍から姿を消した。くす型から撤去したMk.22 50口径3インチ単装緩射砲3門は1962年(昭和37年)より観音崎礼砲台に設置して、礼砲として現在も運用している。

本級の艦番号はDEと同じ200番台(281〜298)であるが、艦種記号はDDでもDEでもなく、アメリカ海軍当時のPFを引き続き使用した。なお、艦番号は当初、1から始まっていたが、1957年(昭和32年)9月1日、海上自衛隊訓令の一部改正により280からに変更されている。

同型艦

[編集]
PF-291「きり」
艦番号 艦名 竣工 貸与 区分変更 除籍 返還
旧:PF-1
PF-281
くす
USS Ogden, PF-39
1943年
12月20日
1953年
1月14日
1970年
3月31日
特務船(YAS-50)
1971年
3月31日
保管船(YAC-22)
1976年
4月1日
1977年
6月28日
旧:PF-2
PF-282
なら
USS Machias, PF-53
1944年
3月29日
1966年
3月31日
練習船(YTE-08)
1969年
3月31日
1971年
7月12日
旧:PF-3
PF-283
かし
USS Pasco, PF-6
1944年
4月15日
1965年
3月31日
保管船(YAC-12)
1967年
6月30日
1968年
3月18日
旧:PF-4
PF-284
もみ
USS Poughkeepsie, PF-26
1944年
9月6日
1965年
3月31日
保管船(YAC-13)
1970年
3月31日
1971年
7月12日
旧:PF-5
PF-285
すぎ
USS Coronado, PF-38
1943年
11月17日
- 1969年
3月31日
1971年
7月9日
旧:PF-6
PF-286
まつ
USS Charlottesville, PF-25
1944年
4月10日
1966年
3月31日
特務船(YAS-36)
1969年
3月31日
1971年
7月12日
旧:PF-7
PF-287
にれ
USS Sandusky, PF-54
1944年
4月18日
1953年
2月26日
1969年
3月31日
保管船(YAC-19)
1976年
3月31日
1977年
6月9日
旧:PF-8
PF-288
かや
USS San Pedro, PF-37
1943年
10月23日
1953年
3月30日
1972年
3月31日
保管船(YAC-23)
1977年
4月1日
1978年
7月26日
旧:PF-9
PF-289
うめ
USS Allentown, PF-52
1944年
3月24日
1965年
3月31日
保管船(YAC-14)
1970年
3月31日
1971年
7月12日
旧:PF-10
PF-290
さくら
USS Carson City, PF-50
1953年
4月30日
1966年
3月31日
保管船(YAC-16)
1971年
3月31日
1971年
8月6日
旧:PF-11
PF-291
きり
USS Everett, PF-8
1944年
1月22日
1953年
8月29日
1970年
3月31日
保管船(YAC-20)
1975年
10月1日
1976年
1月22日
旧:PF-12
PF-292
つげ
USS Gloucester, PF-22
1943年
12月10日
1953年
9月30日
- 1968年
3月31日
1969年
3月31日
旧:PF-13
PF-293
かえで
USS Newport, PF-27
1944年
9月8日
1966年
3月31日
保管船(YAC-17)
1972年
3月31日
1975年
5月20日
旧:PF-14
PF-294
ぶな
USS Bayonne, PF-21
1945年
2月14日
1953年
10月31日
1965年
2月1日
保管船(YAC-11)
1965年
3月31日
1967年
6月27日
旧:PF-15
PF-295
けやき
USS Evansville, PF-70
1944年
12月4日
1970年
3月31日
保管船(YAC-21)
1976年
3月31日
1976年
10月1日
旧:PF-16
PF-296
とち
USS Albuquerque, PF-7
1943年
12月20日
1953年
11月30日
1965年
3月31日
保管船(YAC-15)
1969年
3月31日
1971年
7月9日
旧:PF-17
PF-297
しい
USS Long Beach, PF-34
1943年
9月8日
1967年
3月31日
保管船(YAS-44)
1968年
3月31日
1971年
7月12日
旧:PF-18
PF-298
まき
USS Bath, PF-55
1944年
9月1日
1953年
12月23日
1966年
3月31日
練習船(YTE-09)
1969年
3月31日
1971年
7月12日

登場作品

[編集]
ゴジラ』(1954年)
防衛隊フリゲート艦として登場[4]。大戸島西方沖にて、ゴジラに対し爆雷攻撃を実施する[4]
撮影には、配備間もない実物が使用されているが、作中の艦列を組んで航行するシーンは実物であるものの、爆雷攻撃のシーンは実物のものではなく、1944年8月10日に公開された「日本ニュース 第219号」内の「駆潜訓練」の映像が流用されている[5][4][6]
また、ミニチュア撮影に使用されており、クライマックスである東京湾のシーンで使われている。
大怪獣バラン』(1958年)
「すぎ」が登場。あやなみ型護衛艦うらなみ」などと共に、東京へ向けて海上を侵攻するバランを迎撃する。
登場するのは、ミニチュアのみである。

脚注

[編集]
  1. ^ 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 163, 文 青井邦夫「『ゴジラ』における自衛隊、海上保安庁の協力」
  2. ^ 平間洋一「海上自衛隊55年の歩み」『世界の艦船』684集 2008年
  3. ^ 読売新聞戦後史班編「第2章 海上警備隊」『昭和戦後史「再軍備」の軌跡』読売新聞社、1981年、174-256頁。ASIN B000J7W6JM 
  4. ^ a b c 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 36, 「防衛隊兵器」
  5. ^ 駆潜訓練 - 日本ニュース 第219号 - ニュース映像 - NHK 戦争証言アーカイブス』(mp4)(インターネット動画)日本放送協会、東京、1944年8月10日、該当時間: 10分04秒 - 11分19秒https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001300347_00000&chapter=0042019年4月18日閲覧 
  6. ^ 野村宏平、冬門稔弐「8月10日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、223頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 

参考文献

[編集]

関連項目

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