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サンダスキー (哨戒フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンダスキー
基本情報
建造所 フローミング・ブラザーズ社
艦歴
起工 1943年7月8日
進水 1943年10月5日
就役 1944年4月18日
退役 1945年7月12日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
全長 93.0m
最大幅 11.4m
吃水 3.5m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
Mk.9爆雷投下軌条×2条
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
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サンダスキー (USS Sandusky, PF-54) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はオハイオ州サンダスキーに因む。

艦歴

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サンダスキーは海事委任契約の下1943年7月8日ウィスコンシン州ミルウォーキーのフローミング・ブラザーズ社で起工した。当初はPG-162砲艦)として認可されたが、1943年4月15日PF-54(哨戒フリゲート)に艦種変更され、1943年10月5日にメイベル・エイペルによって命名、進水1944年4月18日ルイジアナ州ニューオーリンズで艦長T・R・サージェント沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。

バミューダでの整調およびペンシルベニア州フィラデルフィアでのオーバーホール後、サンダスキーは1944年8月18日太平洋に向けて出航、ニューヨークからニューギニアフィンシュハーフェンおよびホーランディア(現在のジャヤプラ)まで船団護衛を行った。護衛任務は10月2日に完了し、サンダスキーはモロタイ島に移動、同月の残りを対潜哨戒任務に費やした。1944年11月から1945年2月までフィリピン侵攻部隊支援のための船団をホーランディアとレイテ島間で護衛し、リンガエン湾での護衛任務後1945年3月8日にレイテ島を出航、ワシントン州シアトルに向かった。オーバーホールの後アラスカに向けて出航、6月15日コールド・ベイに到着した。サンダスキーは1945年7月12日に退役し、レンドリース法に基づきソ連海軍に貸与された。

ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号を付与され、EK-7ЭК-7エーカー・スィェーミ)の名で7月23日太平洋艦隊に編入された。ソ連海軍では、8月12日に行われた雄基上陸作戦に参加した。

ソ連海軍での活動後、1949年10月15日横須賀でアメリカ海軍に返還され、同地で保管された。1953年2月26日、日米船舶貸与協定に基づき第2回貸与艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「にれ (PF-7) 」として就役し、第2船隊に編入された。同年4月1日、第1船隊群(後の第1護衛隊群)が新編され第2船隊は同群に編入された。1955年12月1日大湊地方隊に編入。1957年9月1日、艦番号がPF-287に変更された。1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍、1962年8月28日付で貸与から供与へと変更された。1969年3月31日、 保管船(YAC-19)に区分変更され舞鶴教育隊の実習艦として使用されたが、1976年3月31日に除籍された。除籍後も舞鶴に係留されていたが、実艦標的として使用されることとなり1977年8月19日、舞鶴沖へ曳航され、撃沈された。

サンダスキーは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。

外部リンク

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