さんこう
さんこう | |
---|---|
広島港にて停泊する「さんこう」 (2014年) | |
基本情報 | |
建造所 | 三菱重工業神戸造船所 |
運用者 |
海軍省 播磨造船所 三菱重工業 |
艦種 | 起重機船 |
級名 | 300トン起重機船 |
艦歴 | |
起工 | 1922年5月30日 |
進水 | 1922年12月6日 |
竣工 | 1923年7月10日 |
現況 | 現役 |
要目(竣工時) | |
基準排水量 | 5011 トン |
長さ | 82m |
幅 | 28m |
高さ | 73m |
吃水 | 3m |
推進器 | スクリュープロペラ2基 |
速力 | 8ノット |
その他 |
主巻 350トン 副巻 50トン トロリー 50トン(ジブ下垂直移動式) |
概要
[編集]海軍省発注の300トン起重機船公称3324号であるとされる。
船体は黒色の長方形の平底である台船の上に、灰色のトラス構造の塔型旋回部が船首よりに据え付けられ、更にその上に紅白色に塗られた鳥の嘴のようなトラス構造のジブが聳えている。これは造船所において、大型船が進水後に港の中で行う艤装工事の際に横付けして、はしけが運んできた原動機や艦砲等の兵装を取り付けるのに適した構造となっている。
1922年(大正11年)5月30日に三菱重工業神戸造船所で起工、同年12月6日に進水、1923年(大正12年)7月10日に竣工した。 起重機部分は、1921年(大正10年)ごろにイギリスのコーワンズ・シャルドン社(現:クラーク・チャップマン)で製作されたものを輸入したものである[1]。建造にあたって台船部を先に建造して進水させた後に、輸入された起重機部分を同所の60トン吊り起重機船(こちらもコーワンズ・シャルドン社製)が吊り上げして組み上げられた。 建造当時は世界最大の起重機船だった[2]。
建造時の吊り上げ能力は最大350トンまで可能だったが、新聞等では区切りの良い数字の「300トングレーン」又は「300トン海上起重機」等とする呼び方をされる事が多かった[3][4]。
主に呉海軍工廠で使用された。大和の建造の際は、ウインチの増設、ジブの延長などの改造を受け、主機や装甲板の据え付けを行った。
敗戦後は広島県を中心に戦没した艦船のサルベージや解体作業に関わった後、1952年(昭和27年)からは三菱重工業広島製作所(当時は広島造船所)で使用された。
三菱へ来てから、蒸気機関から内燃機関への換装、自力航行能力の撤去、ジブの再延長、船員居住区の設置及び操縦室の移設、空中障害標識による紅白塗装化等の大幅な改装が行われている。 2020年現在の時点で、広島港を中心とする瀬戸内海において造船・海洋土木・港湾機械の解体等の様々な荷役や懸架作業に使用されている[5]
現役で稼働する作業船としては、日本では福岡県大牟田市三池港で活躍する蒸気式起重機船「大金剛丸」(1905年以前に製造)[6]に次ぐ古さと思われ、長い稼働期間は世界的にもあまり類をみない。
-
船首側
-
戦後に延長されたジブ延伸部
-
旋回部側面
主な作業実績
[編集]- 1926年(昭和2年) - 呉式2号1型カタパルトを甲板に搭載、一五式水上偵察機の射出実験に成功[7]
- 1938年(昭和13年) - 第七十一号艦(水中高速実験潜水艦)の進水作業
- 1942年(昭和17年) - 日向が爆発事故を起こした第5砲塔の撤去
- 1943年(昭和18年) - 伊勢の航空戦艦化改装
- 1946年(昭和21年) - 伊勢、日向、榛名などの解体作業
- 1956年(昭和31年) - 九州電力苅田発電所むけの、米国から輸入されたコンバッション・エンジニアリング社製ボイラーの荷役作業[8]
- 1974年(昭和49年) - アクアポリス建造[9]
- 1984年(昭和59年) - 海上自衛隊呉基地Fバース桟橋工事[10]
- 2010年(平成22年) - 岩国飛行場滑走路の沖合移設工事
- 2015年(平成27年) - 新笠岡港での大型変圧器揚陸
- 2022年(令和4年) - 大和ミュージアムむけの、戦艦大和の主砲を制作した巨大旋盤の移設作業時に呉港にて荷役作業
脚注
[編集]- ^ “The Engineer 1924/04/11 A Self-Propelled 350-Ton Floating Crane”. THE ENGINEER: 396. (1924-04-11) .(閲覧には有料の会員登録が必要)
- ^ “The Meccano_Magazine 1925/03 The Largest Floating Crane in the World : Internet Archive”. The Meccano_Magazine: 106. (1925-03) .
- ^ “うなるグレーン 復興の先駆け” 沈没船引揚げ作業本格化 中国新聞呉版 (1948年4月28日)
- ^ “おれは300トン海上起重機” 素顔のひろしま 朝日新聞(1953年10月12日)
- ^ http://www.kktes.jp/ 株式会社TES 港湾荷役設備解体の紹介にコンテナクレーンを解体する同船の写真。2021年1月3日閲覧。
- ^ クレーン船「大金剛丸」 大牟田市石炭産業科学館
- ^ 『日本海軍の艦上機と水上機―その開発と戦歴』第2部 水上機篇 川崎 まなぶ 、2010年
- ^ https://www.flickr.com/photos/58451159@N00/49302538932/in/photostream/ Flickr 、2019年
- ^ 『メガストラクチャ-』菊竹 清訓 170頁
- ^ https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=29101 海自呉地方隊60年 第2部 時代の目撃者 <4> 装備の充実(1970、80年代) 艦船大型化 桟橋を拡張 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター 2014年
参考文献
[編集]- 『新三菱造船所五十年史』新三菱重工業株式会社神戸造船所五十年史編纂委員会編、1957年
- 『播磨50年史』播磨造船所50年史編纂室編、1960年
- 『広船の歩み二十年』三菱造船株式会社広島造船所編、1964年
- 『三菱造船株式会社史』三菱重工業編、1967年
- 『軍艦日向の最後』日向会編、1971年
- 『日本海軍の艦上機と水上機―その開発と戦歴』川崎まなぶ 大日本絵画社、2010年
関連項目
[編集]- ドイツのハーマン(クレーン船) 英語版–ドイツ海軍、アメリカ海軍、パナマ運河庁と渡り歩き、名前を「タイタン」と変えて80年以上も現役の起重機船。
- ランガーハインリッヒ(船、1915年)ドイツ語版–ドイツ海軍、アメリカ海軍を経て、イタリアのジェノヴァ港で活躍したのちに文化財・文化活動省によって「産業考古学の記念碑」に指定、博物館船として永久保存されている。