アイヌ語訳聖書
アイヌ語訳聖書(アイヌごやくせいしょ)はキリスト教聖書のアイヌ語への翻訳のことである。アイヌ語はかつては北海道、サハリン、千島列島に広く住んでいたアイヌ人により使われていたが、現在は「極めて深刻な」危機に瀕する言語になっている。
バチェラーによる翻訳
[編集]1887年に、イギリスからの宣教師、ジョン・バチェラーによりギリシャ語原典と英語『改訂版聖書』を参考にして、北海道のアイヌの援助を受けながら初めて著された。これは「マタイによる福音書」の一部(1章から9章)で、250部が印刷された。1889年には、マタイによる福音書全部とヨナ書が完成した。
1882年にバチェラーはイギリスへ帰ったが、翌年北海道へ戻り、残りの福音書の翻訳を続けた。1893年には、ガラテヤの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙が翻訳され、300部印刷された。これは1894年には三聖書協会(英国外国聖書協会、アメリカ聖書協会、スコットランド聖書協会)の委員会が横浜で行った。1895年には詩篇が完成した。
1897年には、新約聖書の改訂版が横浜で発行された[1]。アイヌ語タイトルはchikoro utarapa ne YESU KIRISTO ashiri aeuitaknup oma kambi[2]である。
1981年には、日本聖書協会より復刻版が出版された。
翻訳文の例
[編集]翻訳 | ヨハネによる福音書3章16節 |
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Batchelor, 1897 | Inambe gusu ne yakun, Kamui anak ne koro shinen ne Poho koropare pakno moshiri omap ruwe ne, nen ne yakka nei Poho eishokoro guru obitta aisamka shomoki no nei pakno ne yakka ishu ramat koro kuni ne kore nisa ruwe ne.
(なぜかというと、神はその一人の子を与えたのと同じだけ、世界を愛し、誰であってもその子を信じる人すべてが滅ばされずにいつまでも生きる命を持つようにしたからである。) |
批判
[編集]バチェラーは早い時期に宣教師として来日し、アイヌ文化・アイヌ語研究の先駆者として大きく貢献したことに疑いはない。しかし、日本でのアイヌ語の研究が進むにつれて、彼の『アイヌ・英語・日本語辞書』[3]や『アイヌ語訳聖書』にアイヌ語が正しく反映されているかどうか批判も出ている[4]。
脚注
[編集]- ^ 《アイヌ語新約聖書》(コトバンク)
- ^ John Batchelor C.M.S. (1897). Sapporo, Japan: Bible Society's Committee for Japan. https://archive.org/details/ainu_nt
- ^ バチェラーの『アイヌ・英語・日本語辞書』
- ^ バチェラーのアイヌ語