コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アイレクス (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アイレクス (HMS Ilex) は、イギリス海軍駆逐艦I級

艦歴

[編集]

1936年3月起工。1937年1月28日進水。1937年7月7日竣工。

第二次世界大戦勃発時は地中海の第3駆逐艦戦隊に所属していたが、すぐにウェスタンアプローチ管区に移され船団護衛に従事した。1939年10月13日、駆逐艦「イモージェン」とともにアイルランド南西沖でドイツ潜水艦「U42」を沈めた。11月には本国艦隊に転籍。

1940年前半は北海やその周辺で活動。

2月18日、駆逐艦「デアリング」などとともにノルウェーからイギリスへ向かうHN12船団を護衛中、「デアリング」がドイツ潜水艦の雷撃を受けて被雷[1]。船団に加わっていた潜水艦「シスル」が爆発音を聞いて「デアリング」の残骸のもとに至った[1]。「シスル」に呼ばれた「アイレクス」は、「シスル」へ生存者救助を行うよう信号を送ると支援のボートを残さず敵潜捜索に向かった[2]。その後いったん戻ってきた「アイレクス」はボートを降ろし、それが生存者1名を救助した[3]

5月、地中海へ移動。アレクサンドリア到着後第2駆逐艦戦隊に編入。6月27日に駆逐艦「デインティ」、「ディフェンダー」、「デコイ」、「ヴォイジャー」とともにアレクサンドリアから出撃[4]。同日、クレタ島南東沖で浮上中の潜水艦が発見され、潜航したその潜水艦に対して「アイレクス」、「デインティ」、「デコイ」、「ディフェンダー」が爆雷攻撃を実施[4]。損傷し浮上した潜水艦は降伏した[4]。その潜水艦はイタリアの「コンソーレ・ジェネラーレ・リウッツィ」で、乗員の収容後「デインティ」により沈められた[4]。6月29日にもイタリア潜水艦「アルゴナウタ」を攻撃して、おそらく沈めた。ただ、「アルゴナウタ」はサンダーランド飛行艇により沈められた可能性もある。また、同日、浮上中のイタリア潜水艦「ウエビ・セベリ」が発見され、潜航した「ウエビ・セベリ」は「アイレクス」、「ヴォイジャー」、「ディフェンダー」の爆雷攻撃により浮上[4]。生存者の救助後、「デインティ」により沈められた[4]。6月30日、アレクサンドリアに帰投[4]

1940年7月9日、カラブリア沖海戦に参加。

7月19日、スパダ岬沖海戦に参加。7月18日、クレタ島の北で対潜掃討を行うため駆逐艦「ハイペリオン」、「アイレクス」、「ヒーロー」、「ヘイスティ」はアレクサンドリアから出撃し、その援護などのために軽巡洋艦「シドニー」と駆逐艦「ハヴォック」もアレクサンドリアから出撃した[5]。7月19日に「アイレクス」などはイタリア軽巡洋艦「ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ」、「バルトロメオ・コレオーニ」と遭遇し交戦[6]。「シドニー」と「ハヴォック」も合流し、被弾した「バルトロメオ・コレオーニ」は航行不能となった。「アイレクス」と「ハイペリオン」が雷撃を行い、「アイレクス」の魚雷1本が命中[7]。続いて「ハイペリオン」が2度目の雷撃が命中し、「バルトロメオ・コレオーニ」は沈没した。

11月にはタラント空襲を行った空母を護衛した。

1941年3月、マタパン岬沖海戦に参加。6月、シリア・レバノン戦役に参加。15日に爆撃を受けて至近弾により大きな損害をうけた。ハイファでの応急修理の後、喜望峰周りでアメリカ合衆国へと向かい、そこで修理が行われた。

1942年9月に修理は完了し、シエラレオネフリータウンを拠点に船団護衛に従事。

1943年2月に地中海に戻り、7月にはハスキー作戦シチリア島上陸)、9月にはアヴァランチ作戦サレルノ上陸)に参加。また、7月13日には駆逐艦「エコー」とともにメッシーナ海峡南東でイタリア潜水艦「ネレイデ」を沈めた。

1943年12月に「アイレクス」は大規模な修理が必要とされた。「アイレクス」はビゼルトで1944年6月まで係船されたが、その理由は定かではない。次いでFerryvilleで移され、1945年3月にはマルタへ移されてカテゴリーCの予備となった。

1947年に解体された。

脚注

[編集]
  1. ^ a b No Room for Mistakes, 12 First Blood
  2. ^ U-Boat Attack Logs, p. 19, Destroyer Down, p. 13
  3. ^ No Room for Mistakes, 12 First Blood, Destroyer Down, pp. 13-14
  4. ^ a b c d e f g Royal Australian Navy, 1939–1942, p.167
  5. ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, pp.184-185, Selected Operations (Mediterranean), pp.25-26
  6. ^ Struggle for the Middle Sea, p.46
  7. ^ Struggle for the Middle Sea, p.47

参考文献

[編集]
  • English, John (1993). Amazon to Ivanhoe: British Standard Destroyers of the 1930s. Kendal, England: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9 
  • Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3
  • G. HerMon Gill, Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy Volume I – Royal Australian Navy, 1939–1942, 1957
  • Naval Staff History Second World War: Selected Operations (Mediterranean), 1940
  • Geirr H Haarr, No Room for Mistakes: British and Allied Submarine Warfare 1939–1940, Seaforth Publishing, 2015
  • Arthur S. Evans, Destroyer Down: An Account of HM Destroyers Losses 1939-1945, Pen & Sword Maritime, 2010, ISBN 978-1-84884-270-0
  • Daniel Morgan, Bruce Taylor, U-Boat Attack Logs: A Complete Record of Warship Sinkings from Original Sources 1939-1945, Seaforth Publishing, 2011, ISBN 978-1-84832-118-2