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H級駆逐艦 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
H級駆逐艦
基本情報
種別 駆逐艦
運用者  イギリス海軍
 カナダ海軍
 ドミニカ共和国海軍
就役期間 1936年 - 1947年
前級 G級
準同型艦 ブラジルの旗アクレ級 (アマゾナス級)英語版ポルトガル語版
次級 I級
要目
基準排水量 1,340トン
1,505トン (嚮導艦)
全長 98.45 m
101.8 m (嚮導艦)
最大幅 10.36 m
吃水 2.59 m
2.64 m (嚮導艦)
ボイラー 水管ボイラー×3缶
主機 蒸気タービン×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 34,000馬力
38,000馬力 (嚮導艦)
速力 36.0ノット
36.5ノット (嚮導艦)
航続距離 4,800海里 (15kt巡航時)
燃料 重油470トン
乗員 145名
178名 (嚮導艦)
兵装45口径12cm砲×4門
62口径12.7mm機銃×8門
・53.3cm4連装魚雷発射管×2基
爆雷投射機×2基
・爆雷×20発
ソナー 124型 探信儀
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H級駆逐艦英語: H-class destroyer)は、イギリス海軍駆逐艦の艦級。G級の小改正型として、1934-5年度計画で9隻が建造された。またブラジル海軍もこれに準じた設計で6隻を発注していたが、第二次世界大戦の勃発に伴ってこれらもイギリス海軍に編入された[1][2]。「ヒーロー」をネームシップとして、ヒーロー級Hero-class)と称することもある[3]

ブラジル海軍向けに建造されていた6隻は、イギリス海軍向けに建造されていた9隻と区別するために、「ハヴァント」をネームシップとしてハヴァント級Havant-class)と呼ぶこともある[4]

来歴

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イギリス海軍は1924-5年度より駆逐艦の建造を再開し、まず第一次世界大戦の戦訓や新しい技術を盛り込んだプロトタイプとして「アマゾン」と「アンバスケイド」を建造したのち、1927-8年度で量産型としてA級、続く1928-9年度で小改正型のB級が建造された。また1929-30年度では大型化して燃料の搭載量増加を図ったC級、1930-1年度では対潜戦能力を強化したD級が建造された[5]

C・D級は好評であり、1931-2年度では艦砲を改良したE級、1932-3年度では水雷兵器を更新したF級と、順次に拡大強化を重ねていった。しかしロンドン海軍軍縮条約の制約から駆逐艦の艦型抑制が求められ、1933-4年度の建造艦は、機関部の設計変更によって艦型の圧縮を図ったG級に移行した。続く1934-5年度も、G級をもとにした小改正型となった。これが本級である[3]

設計

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船首楼型、2本煙突という基本構成はC~G級と同様である。外観上はG級と大差ないが、嚮導艦「ハーディー」では三脚式の前後檣を採用した[1]。また「へレワード」では、下記の新型連装砲塔が操舵手の視界を妨げることから、やはりトライバル級用に設計されていた新型艦橋が導入された。艦橋の前部に位置する操舵所は位置を上げるとともに装甲化され、傾斜した天蓋は艦橋に船首楼の印象を与え、それまで艦橋の特徴であったくさび型に終わりを遂げた。また新型砲塔を搭載していないにもかかわらず、「ヒーロー」でも同じ設計が採用された[3]

機関構成は、原則的にはG級の方式がおおむね踏襲された。ボイラーはアドミラルティ式3胴型水管ボイラー(圧力300 lbf/in2 (21 kgf/cm2)、温度326.7℃)を基本としたが、「ハイペリオン」は、大きな輻射伝熱面積をもつジョンソン式水管ボイラーを搭載した[6]

タービンはパーソンズ式オール・ギヤード・タービンを搭載した[6]。また艦型圧縮の要請から、巡航タービンを省いて機関部の短縮を図ったのはG級と同様である[3]。ただし本級では、排水量が計画値を超過し、公試速力が36ノットに達しないた艦が多かった[1]

装備

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艦砲は、45口径12cm砲(QF 4.7インチ砲Mk.IX)4門を仰角40度の両用砲として搭載した点ではG級と同様だが、本級では、砲架は改良型のCP Mk.XVIIIに更新された[7]。ただしこのためにトップヘビーの問題が生じた[3]。また従来の艦級と同様、嚮導艦「ハーディー」では5門の搭載となったほか、「へレワード」では、トライバル級への搭載を予定して開発されていた連装砲架が試験搭載されたが、1937年に他艦と同様の装備に換装された。なお対空兵器はG級と同じく、4連装12.7mm機銃を採用した[2][3]

水雷兵器はF・G級と同様で、4連装21インチ魚雷発射管2基とMk.IX魚雷の組み合わせを基本とした[1]。また対潜戦用として124型ソナー(ASDIC)と対潜爆雷投射機、対機雷戦用として2速駆逐艦掃海具(TSDS)も併載された[3]

護衛駆逐艦に改装された「ハーヴェスター」(1942年撮影)
1番砲塔がヘッジホッグ対潜迫撃砲に換装されている。

その後、第二次世界大戦が勃発すると、一部は護衛駆逐艦としての改装を受け、4.7インチ砲1門ないし2門および後部魚雷発射管の撤去をバーターとして、20mm機銃の増設による防空火力の強化やヘッジホッグ対潜迫撃砲の搭載、爆雷搭載数の増加がなされた[2]

同型艦

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I級は、通常型8隻と嚮導艦1隻の、合計9隻が建造されている。

第二次世界大戦においては、「ホットスパー」と、カナダ海軍に譲渡され「ショーディエール」に改名された「ヒーロー」の2隻を除く7隻が戦没した。

生き残りのうち、「ショーディエール」も戦後間もなく解体された。「ホットスパー」のみがドミニカ共和国海軍に譲渡され、1972年まで運用された。

# 艦名 造船所 進水 就役 その後
H87 ハーディ
HMS Hardy
嚮導艦仕様
キャメル・レアード
バーケンヘッド造船所
1936年
4月7日
1936年
12月11日
1940年4月10日第1次ナルヴィク海戦で戦没
H24 ヘイスティ
HMS Hasty
ウィリアム・デニー英語版社造船所 1936年
5月5日
1936年
11月11日
1942年6月14日デルナ沖でドイツ海軍魚雷艇(Sボート)S-55の雷撃で大破。
翌15日に味方駆逐艦「ホットスパー」の魚雷攻撃により撃沈処分。
H43 ハヴォック
HMS Havock
1936年
7月7日
1937年
1月16日
チュニジアのケリビア沖で座礁、1942年4月6日に放棄
H93 ヘレワード
HMS Hereward
ヴィッカース・アームストロング
タイン造船所
1936年
3月10日
1936年
12月9日
1941年5月29日クレタ島近くのプラカ沖でドイツ空軍急降下爆撃機(Ju87)の爆撃で沈没
H99 ヒーロー
HMS Hero
1936年
3月10日
1936年
10月23日
1943年11月15日、カナダ海軍へ譲渡され「ショーディエール」(HMCS Chaudiere)として再就役。
1945年8月17日に退役[8]。1946年3月19日より解体。
H55 ホスタイル
HMS Hostile
スコッツ英語版
グロスター造船所
1936年
1月24日
1936年
9月10日
ボン岬半島沖にて機雷に触雷、1940年8月23日に味方駆逐艦ヒーローの魚雷攻撃で撃沈処分。
H01 ホットスパー
HMS Hotspur
1936年
3月23日
1936年
12月29日
1948年11月23日にドミニカ共和国に売却され、「トルヒーヨ」(Trujillo)に改名し再就役。
ラファエル・トルヒーヨ暗殺後の1962年に「ドゥアルテ」(Duarte)に改名。1972年解体。
H35 ハンター
HMS Hunter
スワン・ハンター英語版
タイン造船所
1936年
2月25日
1936年
9月20日
1940年4月10日の第1次ナルヴィク海戦でドイツ海軍駆逐艦の攻撃により沈没。
H97 ハイペリオン
HMS Hyperion
1936年
4月8日
1936年
12月3日
1940年12月22日パンテッレリーア島沖で触雷、沈没。

ハヴァント級

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ブラジル海軍はH級に準じた設計のジュルアー級(Classe Jurua)駆逐艦6隻をイギリスの造船所に発注・建造していたが、第二次世界大戦勃発翌日に6隻すべてをイギリス海軍が購入した。この6隻は全てオリジナルのH級と同様に「H」で始まる艦名に改名された。オリジナルのH級と区別するためにハヴァント級Havant-class)と呼んで区別することもある[4]

ハヴァント級の基本性能はイギリス海軍向けのオリジナルとほぼ同一であるが、内装のアレンジなどがオリジナルと異なる[4]。また12cm単装砲塔のうちY砲塔(4番砲塔)を撤去して3基に減らした代わりに、対潜兵装を大幅に増強(爆雷×110発、爆雷投下軌条×3基、爆雷投射機×8基)しているのが特徴である。

ハヴァント級は第二次世界大戦において3隻が戦没し、生き延びた3隻もブラジルへの引き渡しは行われずそのまま解体された。

予定艦名
(ブラジル海軍)
# 艦名
(イギリス海軍)
造船所 進水 就役 その後
ジュルアー
Jurua
H19 ハーヴェスター
HMS Harvester
ヴィッカース・アームストロング社
バロー造船所
1939年
9月29日
1940年
5月23日
HX228船団英語版を護衛中の1943年3月11日、ドイツ海軍潜水艦U432」の雷撃で沈没。
ジャバリ
Javary
H32 ハヴァント
HMS Havant
J・サミュエル・ホワイト英語版 1939年
7月17日
1939年
12月12日
1940年6月1日ダンケルク沖で作戦行動中、空襲により損傷して味方のハント級掃海艇英語版サルタッシュ英語版」により撃沈処分。
ジュタイ
Jutahy
H88 ハブロック
HMS Havelock
1939年
10月16日
1940年
2月10日
1947年に解体。
ジュルエナ
Juruena
H57 ヘスペラス
HMS Hesperus
ソーニクロフト 1939年
8月1日
1940年
1月22日
ジャグァリベ
Jaguaribe
H44 ハイランダー
HMS Highlander
1939年
10月19日
1940年
3月18日
ジャパルーア
Japarua
H06 ハリケーン
HMS Hurricane
ヴィッカース・アームストロング社
バロー造船所
1939年
9月29日
1940年
6月21日
1943年12月24日アゾレス諸島北東沖にてドイツ海軍潜水艦「U415」の雷撃で沈没。
アクレ級駆逐艦「アマゾナスポルトガル語版

ブラジル海軍はジュルアー級の代艦として、ブラジル国内のリオデジャネイロ海軍工廠ポルトガル語版において、アクレ級 (アマゾナス級) 駆逐艦英語版ポルトガル語版6隻を建造した。

アクレ級駆逐艦はH級駆逐艦を基本設計としながら、煙突を1本としたり主砲をアメリカ製38口径5インチ単装砲としたりするなどの改良を受けている。6隻とも1940年に起工したものの、建造が遅延したため就役は戦後の1949年~1951年にずれ込んだ。

参考文献

[編集]
  1. ^ a b c d 中川務「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、72-73頁、ISBN 978-4905551478 
  2. ^ a b c Roger Chesneau, Robert Gardiner (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946. Naval Institute Press. p. 39. ISBN 978-0870219139 
  3. ^ a b c d e f g Friedman, Norman (2009). “A New Standard Design - The A-I Series”. British Destroyers From Earliest Days to the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-081-8 
  4. ^ a b c uboat.net (1995-2017). “Havant class” (英語). 2017年4月4日閲覧。
  5. ^ 中川務「イギリス駆逐艦建造の歩み」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、149-155頁、ISBN 978-4905551478 
  6. ^ a b 阿部安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、164-171頁、ISBN 978-4905551478 
  7. ^ 高須廣一「兵装 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、172-179頁、ISBN 978-4905551478 
  8. ^ Sandy McClearn (1997-2006). “RIVER Class destroyer” (英語). 2017年4月1日閲覧。