ハンター (駆逐艦・2代)
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1935年3月26日 |
進水 | 1936年2月25日 |
就役 | 1936年9月20日 |
退役 | |
その後 | 1940年4月10日に戦没 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 基準 1,340トン、満載 1,859トン |
全長 | 98.45 m |
全幅 | 10.05 m |
吃水 | 3.78 m |
機関 | アドミラリティ・ボイラー3基、パーソンズ式蒸気タービン2基2軸推進、34,000 shp |
最大速 | 36ノット (66.7 km/h) |
航続距離 | 5,530カイリ(15ノット時) |
乗員 | 145名 |
兵装 | 4.7インチ砲4門 0.5インチ機銃8基 21インチ魚雷発射管8門 |
ハンター (HMS Hunter, H35) はイギリス海軍の駆逐艦。H級。
艦歴
[編集]スワン・ハンター社で建造。1935年3月26日起工。1936年2月25日進水。同年9月20日就役。
最初は、同型艦と共に地中海の第2駆逐艦戦隊に所属した。スペイン内戦中の1937年5月13日、地中海沿岸で哨戒中の「ハンター」は浮流していた機雷に触雷した[1]。爆発による亀裂は両舷に及び、船体は切断寸前となった。損傷と浸水で自力航行が不可能となった「ハンター」は、巡洋艦「アリシューザ」に曳航されてジブラルタルへ入港し、応急処置後にマルタへ向かい修理工事を施された。
1940年の初めには第2駆逐艦戦隊はイギリス本国に呼び戻された。4月、ドイツ軍はヴェーザー演習作戦を発動し、ナルヴィクにも駆逐艦からドイツ軍が上陸した。そして、「ハンター」などはオフォトフィヨルドの封鎖に向かった。1940年4月10日、「ハンター」は第1次ナルヴィク海戦に参加した。イギリスの駆逐艦はナルヴィク港内にいたドイツ駆逐艦「アントン・シュミット」と「ヴィルヘルム・ハイドカンプ」を撃沈したが、撤収中に発生したドイツ駆逐艦「ゲオルク・ティーレ」と「ベルント・フォン・アルニム」との交戦で「ハンター」も被弾炎上した。さらに駆逐艦「ホットスパー」が「ハンター」に衝突し、5時30分に「ハンター」は沈没した。[2]
2008年3月8日にオフォトフィヨルドの海底で「ハンター」の船体が発見された。[3]
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- M. J. Whitley: Destroyers of World War Two, Arms and Armour Press, London 1988 ISBN 0853689105
- 岡田幸和『艦艇工学入門』1997年、海人社
脚注
[編集]- ^ イタリア潜水艦による雷撃とする見方も存在する。
- ^ http://wiesel.wlb-stuttgart.de/seekrieg/40-04.htm
- ^ http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,545115,00.html