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アウグスト・ジェニーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウグスト・ジェニーナ
Augusto Genina
Augusto Genina
(1951年撮影)
生年月日 (1892-01-28) 1892年1月28日
没年月日 (1957-09-18) 1957年9月18日(65歳没)
出生地 イタリア王国の旗 イタリア王国ローマ
職業 映画監督映画プロデューサー
受賞
ヴェネツィア国際映画祭
監督賞
1949年沼の上の空
その他の賞
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アウグスト・ジェニーナ(Augusto Genina, 1892年1月28日 - 1957年9月18日)は、イタリアの映画草創期から活動した映画監督映画プロデューサー

来歴

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1892年、ローマに生まれる。イル・モンド誌にて演劇批評や喜劇を執筆したのち、アルド・デ・ベネデッティの勧めのもと映画製作会社フィルム・ダルテ・イタリアーナでの映画づくりに身を転じる。ドイツフランスにも渡り、フランスではルイーズ・ブルックス主演の映画『ミス・ヨーロッパ』の監督をつとめて話題を呼ぶ。その後、イタリアに戻って、ファシスト党プロパガンダ映画をいくつか製作し、同党政治体制のもと開催されたヴェネツィア国際映画祭で最高賞のムッソリーニ杯を1936年、1940年、1942年の3度にわたって受賞[1]

戦後はネオレアリズモに接近し、1950年には、聖人マリア・ゴレッティを描いた映画『沼の上の空』でイタリアの映画賞であるナストロ・ダルジェント賞最優秀作品監督賞を受賞した[1]

この作品はネオリアリズモとしてはメロドラマ的過ぎたものの、作品としては高く評価された。

フィルモグラフィ

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  • 『不滅の血族』 - Il siluramento dell'Oceania (1917年、監督・原作)
  • 『さらば青春』 - Addio giovinezza! (1918年、監督・脚色)
  • 『女』 - Femmina - Femina (1918年、監督・原作)
  • 『半生の紅涙』 - La fine di un vile (1918年、監督・脚本)
  • 『感激は何処に』 - Il principe dell'impossibile (1919年、監督)
  • 『火鉢』 - Lo scaldino (1920年、監督・脚本)
  • 『月光の曲』 - Debito d'odio (1920年、監督)
  • 『シラノ・ド・ベルジュラック』 - Cirano de Bergerac (1923年、監督・製作)
  • 『姫君は文士がお好き』 - Liebeskarneval (1928年、監督・原作・脚本)
  • 『ラテン街の屋根裏』 - Quartier Latin (1929年、監督・脚本)
  • 『ミス・ヨーロッパ』 - Prix de beauté (1930年、監督・製作)
  • 『リビア白騎隊』 - Lo squadrone bianco (1936年、監督・脚色、ムッソリーニ杯受賞)
  • 『沼の上の空』 - Cielo sulla palude (1949年、監督、ナストロ・ダルジェント監督賞受賞)
  • 『フルフル』 - Frou-Frou (1955年、監督)

脚注

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  1. ^ a b (英語) Augusto Genina - Awards, IMDb, https://www.imdb.com/name/nm0312866/awards/ 2014年6月28日閲覧。 

外部リンク

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