アエリウス氏族
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アエリウス氏族 (ラテン語: Aelii) は、古代ローマの氏族のひとつ。プレブス系。
共和政期
[編集]パエトゥス
[編集]- プブリウス・アエリウス・パエトゥス (紀元前337年の執政官)[1]
- ルキウス・アエリウス・パエトゥス:紀元前296年のアエディリス・プレブス。牧畜業者からの罰金を使って競技会を開き、ケレース神殿に金の聖杯を奉納[2]。
- ガイウス・アエリウス・パエトゥス:紀元前286年執政官[3]。
- クィントゥス・アエリウス・パエトゥス:紀元前216年の執政官選挙に落選した神祇官。カンナエの戦いで戦死[4]。
- プブリウス
- アエリウス・パエトゥス:紀元前150年頃の貨幣鋳造三人委員[7]。
- プブリウス(・アエリウス)・パエトゥス:紀元前130年前後の貨幣鋳造三人委員[7]。
トゥベロ
[編集]- ガイウス・アエリウス・トゥベロ:プラエトル。時期は不明[8]。
- ルキウス・アエリウス・トゥベロ:紀元前201年のシキリア担当プラエトル[5]。
- クィントゥス・アエリウス・トゥベロ:紀元前177年の護民官。元トゥリウム入植三人委員の同僚であったアウルス・マンリウス・ウルソ (紀元前178年の執政官)召還動議に反対[9]。ルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクスの娘と結婚[10]。
- クィントゥス・アエリウス・トゥベロ:恐らく紀元前130年頃の護民官。スキピオ・アエミリアヌスに反対してアウグルの陪審義務を宣言。ティベリウス・グラックスに反対の論陣を張ったとされる[11][12]。
- プブリウス・アエリウス・トゥベロ:紀元前177年の首都プラエトル[9]。
リグス
[編集]- プブリウス
- プブリウス
- アエリウス・リグス:紀元前58年の護民官。同僚のプブリウス・クロディウス・プルケルと共にマルクス・トゥッリウス・キケロ追放を主導[14]。
その他
[編集]- プブリウス・アエリウス:紀元前409年に選出された初のプレブス出身クァエストルの一人[15]。
- ガイウス・アエリウス,紀元前285年の護民官[16]。
- ガイウス・アエリウス:紀元前178年のトリブヌス・ミリトゥム。アウルス・マンリウス・ウルソ指揮下の第三軍団所属。イストリアに奪われた本陣を回復[17]。
- ティトゥス・アエリウス:上記ガイウスの同僚。
- ルキウス・アエリウス・ラミア:紀元前42年のプラエトル[18]。
帝政期
[編集]脚注
[編集]- ^ Broughton, vol.1 p.138.
- ^ Broughton, vol.1 p.176.
- ^ a b Broughton, vol.1 p.186.
- ^ Broughton, vol.1 p.252.
- ^ a b Broughton, vol.1 p.319.
- ^ Broughton, vol.1 p.330.
- ^ a b Broughton, vol.2 p.430.
- ^ Broughton, vol.2 p.462.
- ^ a b Broughton, vol.1 p.398.
- ^ ウァレリウス・マクシムス『有名言行録』4.4.9
- ^ Broughton, vol.1 p.502.
- ^ キケロ『ブルートゥス宛書簡集』, 117
- ^ Broughton, vol.1 p.410.
- ^ Broughton, vol.2 p.195.
- ^ Broughton, vol.1 p.78.
- ^ Broughton, vol.1 p.187.
- ^ Broughton, vol.1 p.396.
- ^ Broughton, vol.2 p.359.
参考文献
[編集]- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』。
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1-3. American Philological Association