アキシマクジラ

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アキシマクジラ
アキシマクジラの復元模型
アキシマクジラの復元模型
保全状況評価
絶滅(化石
地質時代
更新世
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 鯨偶蹄目 Cetartiodactyla
階級なし : 鯨類 Cetacea
小目 : ヒゲクジラ小目 Mysticeti
: コククジラ科 Eschrichtiidae
: コククジラ属 Eschrichtius
: アキシマクジラ E. akishimaensis
学名
Eschrichtius akishimaensis
Kimura, Hasegawa & Kohno2018
和名
アキシマクジラ

アキシマクジラ(昭島鯨、学名: Eschrichtius akishimaensis)は、哺乳綱鯨偶蹄目ヒゲクジラ亜目コククジラ科コククジラ属の化石クジラである[1][2]。1961年(昭和36年)に東京都昭島市多摩川河川敷で化石が発見され、頭部の形態などの形質が現生のどのクジラ類とも異なることから、基準産地から「アキシマクジラ」と命名された。

2010年代に改めて分類学的研究が進められ、2018年(平成30年)に新として記載された。コククジラ属はそれまで現生のコククジラ1種のみが記載されていたが、この記載によりアキシマクジラがコククジラ属唯一の化石種となった[1][3][注釈 1]

歴史[編集]

化石発見[編集]

1961年(昭和36年)8月20日、市内の八高線多摩川橋梁付近で化石が発見された[4][5][6]。八高線鉄橋から東へ36 m(メートル)多摩川河床から産出した[7]。発見者は、当時、昭島市立玉川小学校の教諭だった田島政人とその長男で当時4歳だった田島芳夫である[6][8]。夏休みに親子で化石採集や飯盒炊爨を楽しむために多摩川河川敷を訪れていたという[9]。この場所では20–30年前から砂利を採取するために浚渫され、河床は第四紀更新世[注釈 2]の地層(小宮層)が露出していた場所だった[6][11]。中位粒子の砂岩質の地層に、直径20 cmセンチメートルぐらいの動物の骨化石が、約10 m の範囲に点々と多数散在しているのを視認したのがはじまりであった[11]。大雨で川が増水するなどによる浸食を受けていないことから、露出してから発見されるまでの時間はごくわずかな間であったと考えられている[12]。アキシマクジラは、貝殻化石やサメの歯化石とともに発見された[8]

調査研究[編集]

本格的な発掘調査は8月29日から9月3日にかけて行われ[11]、一部欠損や破損もあるものの、9割以上の全身骨格が発見された[8][13]

国立科学博物館尾崎博により未記載のクジラの化石であると同定された[6]和名「アキシマクジラ」として、1963年(昭和38年)尾崎博と鯨類研究所西脇昌治により名付けられ[4][注釈 3]日本古生物学会総会で報告された[5]。当初はおよそ500万年前の化石と推定されていたが、地質学的研究が進み、2000年(平成12年)に160万年前のものであると改められた[5]。昭島市付近一帯や多摩丘陵が太平洋の海底であった時代を如実に示す地質学上の貴重な資料とされる[14]

復元は国立科学博物館の技師・本多の指導で行われ[6]、全ての作業は1962年(昭和37年)8月23日までに完了し、12月中旬の3日間にわたって一般公開された[5][8]

100万年以上前のクジラの全骨格がほぼ完全な形で発掘されたのは世界初の事例であり、非常に貴重な資料として、1964年(昭和39年)4月国立科学博物館に研究のために貸し出され新宿分館に収蔵された[5]。1966年(昭和41年)、『アキシマクジラ調査概要』が発表された[5]

しかし、インターネットがない当時は研究情報も少なく、巨体であるアキシマクジラの化石を広げておくスペースも十分でなく、研究は難しい状況であった[13]。2012年(平成24年)3月、アキシマクジラを預かっていた新宿分館の移転に伴い、アキシマクジラは昭島市に返還されることになった[13]。国立科学博物館と昭島市は研究の断絶を避けるため、群馬県立自然史博物館の名誉館長である長谷川善和に相談し、長谷川の指名を受けて群馬県立自然史博物館の学芸員・木村敏之がアキシマクジラを研究することになった[13]。全化石が群馬県立自然史博物館に移送され、研究が再開された[5]。2018年(平成30年)1月に日本古生物学会の学術雑誌 Paleontological Research 上に「これまで世界で知られていなかったコククジラ属の1種」として、記載され、Eschrichtius akishimaensis(エスクリクティウス・アキシマエンシス)という学名が与えられた[1][5][注釈 4]。なお、この記載まで "Japonocetus akishimaensis" と言及されることもあったが、これは国際動物命名規約に則った記載により命名された学名ではない[1]

形態[編集]

アキシマクジラ骨格のレプリカ(頭部)

発掘された個体は全長約16 m[11]。頭骨の右半分がほぼ完全な状態で産出しており、その形は細長く、目の位置が後頭部から3分の1くらいの位置にあり、眼の周りの骨の形状や張り出し具合、眼の上部に深い凹みがあること、後頭部が短く丸いことから、他のクジラ類と明瞭に区別される[16]。現生クジラ類の中ではコククジラに最もよく似ているが[11]、頭部についた上顎骨の角度がコククジラは急勾配であるものが、アキシマクジラは緩やかである点が異なる[16]。顎骨はコククジラやナガスクジラと近似する[16]

現生クジラ類と最も顕著に区別される形質は前述の頭部であるが、第一肋骨も本種は幅広く、反りが強く、先端は外側から切ったように丸みを帯びている点が、現生のクジラ類とまったく異なる[16]。その他、肩甲骨の形状も現生のクジラ類に似る部分がないが[16]、腕骨はコククジラやイワシクジラと近似する[14]

生態[編集]

外観や習性はコククジラとほぼ変わらなかったと推定されている[5]。ヒゲクジラ類の多くは餌となるプランクトンを含む海水を取り込み、鯨ひげを用いて餌を漉しとって食べるが、コククジラの餌は底生生物(ベントス)で、口先で海底の堆積物ごと餌を吸い上げてから餌以外のものを漉しとって食べる[4]。その際に身体の右側を下にする個体が多いことから「右利きのクジラ」という[5]

また、ホホジロザメの歯がアキシマクジラの肋骨と共産しており(下記#周辺の地質も参照)、肋骨内部に埋没するものもあったことから、サメとクジラの捕食-被食関係を示す証拠であると考えられている[17]

周辺の地質[編集]

アキシマクジラの化石の一部(アキシマエンシス)

東京都西部周辺の関東平野西部には、河成から海成層である鮮新更新統上総層群が広く分布している[18][4]。上総層群は関東平野内の地域によってさまざまな層序を示すが、大きく分けて友田層型、加住層型、北多摩層型、小山田層型、段丘礫層型に類型化される[19]加住丘陵から多摩川北浅川河床にかけて分布する上総層群は下部から順に山田層加住層小宮層福島層小山田層連光寺層の6層に区分される[20][21]。アキシマクジラが産出したのはこのうち第四系更新世前期ジェラシアン[注釈 2]に当たる小宮層中部で、絶対年代古地磁気層序から1.77–1.95 Ma であると考えられている[1][17][4]。小宮層は羽鳥・寿円 (1958) によって記載された地層で、東京都昭島市拝島町の多摩川河床を模式地とし、層厚約120 m で、下部で加住層、上部で福島層と整合する[22]。また、小宮層は八王子市周辺の多摩丘陵における平山層下部と対比される[22][17]。小宮層は1回の海退海進サイクルに伴う堆積シーケンスを反映していると考えられている[22]。小宮層中部はシルト層または細粒から中粒砂層からなり、生物擾乱を受けて淘汰が悪く、海産無脊椎動物の生痕化石である砂管(サンドパイプ)を多産する[22]

発掘調査は、多摩川河川敷、JR八高線多摩川鉄橋の11番橋脚の下流約36 m の地点(北緯35度41分41秒、東経139度21分48秒付近)を中心に行われた[23]

アキシマクジラの堆積した小宮層には内湾から浅海性の貝化石、フジツボ化石、生痕化石を産出するため[22]、アキシマクジラの堆積環境は、浅海であったと考えられている[4]。穏やかな海底で、左側面を上にした状態で死んだと推測されており、堆積速度が速かったこと、地殻変動による分断や大きな温度変化と圧力を受けなかったことが、ほぼ全身骨格が保存される要因となったと考えられている[12]

また、サメ板鰓類)の歯化石がアキシマクジラと共産している[17]。これらの歯化石は、ホホジロザメ Carcharodon carchariasヨゴレ Carcharhinus longimanusメジロザメ属の未定種 Carcharhinus spp. の何れかであると同定された[17]。ほかにもハクジラ類軟体動物棘皮動物などの報告がある[4]

浅海であったため陸域由来の生物遺骸も多数堆積しており[4]、小宮層中部は大型植物化石ではメタセコイア Metasequoiaコウヨウザン Cunninghamia cf. lanceolataヒメバラモミ Picea maximowiczii が産出する[22]

多摩川流域では、哺乳類の大型化石が多数見つかり昭島脊椎動物化石群集と呼ばれる[24]、これは日本では珍しい[4]。昭島市付近の多摩川河床に産する陸生の大型哺乳類化石では、タマシフゾウ Elaphurus tamaensisシフゾウの一種)[4]エゾシカ近似種 Cervus cf. yezoensis[4][24]カズサジカ Cervus kazusensis[4][24]シカ属の一種 Cervus sp.(加住層)[25]オオカミの一種クセノキオン Canis (Xenocyon) falconeri[4][18][24][21]アケボノゾウ Stegodon aurorae[4][24]などが知られる。

アキシマクジラの発見以前より多摩川河床の小宮層[注釈 5]からシフゾウ属 Elaphurus の不完全な角が発見されており、鹿間時夫 (1964) により Elaphurus akashiensis と同定されていたが[27][26]、現在ではこれはシカマシフゾウ Elaphurus shikamai とされる[21]。その後金子により昭島市のJR八高線多摩川鉄橋から西に36 m 離れた地点の小宮層[注釈 5]で発見されたシフゾウ属の不完全な化石は大塚裕之長谷川善和によりタマシフゾウ Elaphurus tamaensis として記載されている[26][21]。1973年(昭和48年)9月には、釣具店の店主によりアキシマクジラの発見場所から10 m 程度離れたごく付近の地点でシフゾウの角の化石5個が[28]、1988年(昭和63年)11月にも地元の中学生3人によりシフゾウの化石が発見されている[29]

多摩川流域で特に多くの化石が発見されているのは五日市町である[30]。大正時代末期には五日市町の天正寺前の河原[注釈 6]ナウマンゾウの歯の化石が発見されている[31][32]。1978年(昭和53年)には五日市町網代の御前石で約200万年前のステゴドン属ボンビフロンスゾウ Stegodon cf. bombifrons の化石がほぼ1体分見つかり、身体の骨まで発見された例としては全国初の事例となった[33][34]。1990年(平成2年)8月には日野市を流れる多摩川の川底からアケボノゾウ Stegodon aurorae の牙の化石が発見され[33]、1989年(平成元年)と1992年(平成4年)には福生市南田園の川辺でもアケボノゾウの別々の個体の歯の化石が発見されている[35]。また、昭島市拝島町の水道橋付近、アキシマクジラの産地の上流にあり、加住層にあたる多摩川河床では、アケボノゾウ偶蹄類(シカの一種)の足跡化石が多数見つかっている[24]

アキシマクジラの発見現場から約2 km 下流の日野市栄町の多摩川河床には小宮層より後の時代の福島層が分布しているが、1971年(昭和46年)11月に「ヒノクジラ」と呼ばれるアキシマクジラより小型のクジラの左上顎骨の一部の化石が見つかっている[3][36][37]。長らくアキシマクジラと同じヒゲクジラ類の化石であると考えられていたが、2023年に行われた詳細な形態比較に基づき、ヒノクジラはマッコウクジラ属 Physeterハクジラ類であることが分かった[3]

影響[編集]

レプリカを展示するアキシマエンシスの国際交流教養文化棟

1973年(昭和48年)、昭島市では「第1回市民納涼の集い」を開催し、アキシマクジラを再現した全長15 m の巨大なくじらバルーンがパレードで披露された[5]。この納涼の集いは、1984年(昭和59年)に「昭島くじら祭」、2002年(平成14年)に「昭島市民くじら祭」と改称され、2024年現在も毎年開催されている[38][5]

2004年(平成16年)には昭島市制50周年を記念し、市民オペラ「昭陽-いさな」が上演された[5]。いさな(勇魚)はクジラを意味する古語である[5]

2020年(令和2年)3月には本種の種小名に因んで名付けられた複合施設「アキシマエンシス」が開館した。アキシマエンシスには、生体復元模型および、左上腕骨橈骨尺骨、右中手骨、右指骨、右下顎骨、右肩甲骨肋骨の実物化石に加え、頭蓋のレプリカが常設展示されている[39]

アキシマクジラに因んだもの[編集]

昭島市では、アキシマクジラは新種として記載される前から市民に親しまれ、そのデザインは街路灯(つつじが丘)、案内看板、マンホールの蓋、菓子や土鈴、リフト付き自転車など様々な場面でシンボルとして活用されている[38][40]。昭島市内には「クジラ」が含まれている名称のものが多くあり、公園、病院、薬局、葬儀社、駐車場、介護施設のような施設から、ラーメン屋、道路、合唱団、クジラクッキーやクジラ饅頭のような食べ物などと多岐に亘る[4]

新種記載以降は、これにちなんだイベントやグッズ展開はいっそうさかんになり、昭島市を代表する生物となった[41]

  • デザインマンホール - 汚水マンホールにクジラが描かれる[4]。緑・桃色のカラー版や小さいものなどバリエーションがみられる[4]
  • くじら運動公園 - 化石が発見された付近の多摩川緑地に整備された[38]
  • くじらロード商店会 - 商店街には「あきちゃん」「たまちゃん」と名付けられたクジラの石像がある[40]
  • 昭島市公式キャラクター「アッキー&アイラン」 - アキシマクジラをモチーフとする男の子と女の子のキャラクター[4][42]
  • 拝島駅自由通路 - ステンドグラスでアキシマクジラを描く[40]
  • 東中神駅のベンチ - 多摩産材の木材を使用したホームのベンチに、アキシマクジラが焼き印で描かれている[40]
  • 郵便局の風景印 - 昭島駅前郵便局で使用されている印には、アキシマクジラが描かれている[40]
  • 小荷田の交番 - 交番の建物にアキシマクジラを描く[40]
  • 拝島橋歩行者通路 - タイル画の中央をアキシマクジラが飾る[40]。アキシマクジラを描いたタイル壁画は、緑町1丁目にもある[40]
  • ポケットパークの壁 - 玉川町4丁目の壁に、アキシマクジラをデザインする[40]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、コククジラ科の化石は北海道中川郡池田町の長流枝内層や石川県金沢市大桑層(おんまそう)からも報告がある[3]
  2. ^ a b 発見当時、ジェラシアンは新第三紀鮮新世後期とされていたが、2009年の国際地質科学連合による勧告により、第四紀更新世前期と位置付けられた[10]
  3. ^ ただしこの時点では学名は与えられず、分類学的に新たな種として記載されたわけではない。
  4. ^ 種小名は昭島のラテン文字表記 Akishima に由来し[1]、地名の形容詞を作るラテン語接尾辞 -ensis[15]を付し、「昭島の」を表したものである。
  5. ^ a b 現在では小宮層とされるが[21]、記載当時は平山層とされた[26]
  6. ^ 一説には、西多摩郡大久野村(現日の出町)の天正寺前を流れる平井川河床が正確とされる。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f Kimura et al. 2018, pp. 1–19.
  2. ^ アキシマクジラの論文”. 昭島市. 2024年5月19日閲覧。
  3. ^ a b c d 木村・樽・蔡 2023, pp. 37–45.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 長森 2019, pp. 86–91.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 昭島市教育委員会 2018, p. 5.
  6. ^ a b c d e 昭島市教育委員会 2004, p. 22.
  7. ^ 『昭島市史』 1978, p. 55.
  8. ^ a b c d 昭島市教育委員会 2018, p. 1.
  9. ^ 田島 1994, p. 11.
  10. ^ Gibbard, P.L.; Head, M.J.; Walker, M.J.C.; the Subcommission on Quaternary Stratigraphy. “Formal ratification of the Quaternary System/Period and the Pleistocene Series/Epoch with a base at 2.58 Ma”. J. Quaternary Sci. 25: 96–102. doi:10.1002/jqs.1338. ISSN 0267-8179. 
  11. ^ a b c d e 『昭島市史』 1978, p. 56.
  12. ^ a b 昭島市教育委員会 2018, p. 2.
  13. ^ a b c d 200万年の時を経て発見されたアキシマクジラは、“4つの奇跡”の賜物”. くじらタウン. 2024年5月19日閲覧。
  14. ^ a b 『昭島市史』 1978, p. 58.
  15. ^ 平嶋義宏『生物学名命名法辞典』平凡社、1994011091、102頁。ISBN 4582107125 
  16. ^ a b c d e 『昭島市史』 1978, p. 57.
  17. ^ a b c d e 髙桒・木村・長谷川 2021, pp. 49–58.
  18. ^ a b 小泉明裕 (2003). “東京都昭島市多摩川の鮮新-更新統から産出した日本初記録の純肉食性オオカミ化石 Canis (Xenocyon) falconeri”. 第四紀研究 42 (2): 105–111. doi:10.4116/jaqua.42.105. ISSN 1881-8129. 
  19. ^ 鈴木毅彦 (2022). “上総層群とテフラからみた関東における海域から陸域への地形変化過程”. 日本地質学会第129年学術大会 要旨. https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2022/0/2022_6/_pdf. 
  20. ^ 植木・酒井 2007, p. 13.
  21. ^ a b c d e 樽・木村 2023, pp. 19–23.
  22. ^ a b c d e f 植木・酒井 2007, pp. 68–70.
  23. ^ 昭島市教育委員会 2018, p. 7.
  24. ^ a b c d e f 福嶋・岡村 2008, pp. 15–29.
  25. ^ 前田大智; 樽創; 福嶋徹; 髙桒祐司; 鍔本武久 (2021). “東京都昭島市の下部更新統加住層(上総層群)から産出したシカ属の化石”. Bull. Kanagawa Pref. Mus. (Nat. Sci.) 50: 21–29. doi:10.32225/bkpmnh.2021.50_21. 
  26. ^ a b c Otsuka, H.; Hasegawa, Y. (1976). “On the New Species of Elaphurus (Cervid, Mammal) from Akishima City, Tokyo”. Bull. Natn. Mus., Ser. C (Geol.) 2 (3). https://www.kahaku.go.jp/research/publication/geology/download/02_3/BNSM_C020304.pdf. 
  27. ^ Shikama, T. (1964). “Cervid Antler from Akishima City, Tokyo”. Sci. Rep. Yokohama Nat. Univ. Sec. II 11: 55–58. 
  28. ^ 田島 1994, p. 80.
  29. ^ 田島 1994, p. 81.
  30. ^ 田島 1994, p. 71.
  31. ^ 田島 1994, p. 78.
  32. ^ 高橋啓一 (2022). “ナウマンゾウ研究百年”. 琵琶湖博物館研究調査報告 35: 1–253. doi:10.51038/rrlbm.35.0_1. https://www.biwahaku.jp/publication/bf791ecd6aef7cf17739111af1c1f3335749ad7c.pdf. 
  33. ^ a b 田島 1994, p. 76.
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  35. ^ 田島 1994, p. 77.
  36. ^ 田島 1994, p. 74.
  37. ^ 植木・酒井 2007, pp. 70–71.
  38. ^ a b c 『アキシマクジラ 遠いむかし昭島は海でした』昭島市教育委員会、2頁。 
  39. ^ アキシマクジラ”. 昭島市ホームページ. 2018年4月18日閲覧。
  40. ^ a b c d e f g h i 昭島市教育委員会 2018, p. 6.
  41. ^ “57年前に化石発見「アキシマクジラ」…祝新種認定、地元でイベント”. 産経新聞. (2018年4月15日). https://www.sankei.com/article/20180415-2VZQMSDW4FP2JKFWLTU3T4JJFQ/ 2018年4月18日閲覧。 
  42. ^ 公式キャラクター「アッキー&アイラン」と「ちかっぱー」”. 昭島市. 2024年5月20日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]