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アッ=サーディー・アル=カッザーフィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アッ=サーディー・アル=カッザーフィー
名前
本名 アッ=サーアディー・ムアンマル・ムハンマド・アブー・ミンヤール・アル=カッザーフィー
الساعدي معمر محمد أبو منيار القذافي
ラテン文字 Al-Saadi al-Gadhafi
アラビア語 الساعدي القذافي
基本情報
国籍 リビアの旗 リビア
生年月日 (1973-05-28) 1973年5月28日(51歳)
出身地 トリポリ
身長 183cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW
代表歴
2000-2006 リビアの旗 リビア 18(2)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
アッ=サーアディー・アル=カッザーフィー
الساعدي القذافي
生誕 1973年5月28日5月27日説あり[1]
リビアの旗 リビアトリポリ
所属組織 リビア軍
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アッ=サーディー・アル=カッザーフィーアラビア語: الساعدي القذافي‎; as-sā‛adī al-qaddhāfī, Al-Saadi al-Gadhafi、1973年5月28日5月27日説あり[1]) - )は、リビア出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW

父親は、リビアの実質的な元首であったカダフィ大佐

来歴

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2011年のリビアにおける内戦でカダフィ政権が崩壊するまでは、リビアの特殊部隊司令官であった[1]。内戦で反カダフィ勢力が首都トリポリへの攻撃を行う中、8月22日までに反政府勢力によって兄(カダフィの二男)サイフ・アル=イスラーム・ムアンマル・アル=カッザーフィーと共に身柄を拘束されたと発表された[2]が、サイフがその日の夜に報道陣の前に姿を表すなど拘束の情報は誤っていた[3]。サイフは抵抗の意思を示したものの、サーディーは流血の惨劇を防ぐため、反カダフィ派に投降する意志を表明していた[4][5]

同年9月11日に隣国ニジェールに逃亡し身柄を拘束された[6]。政治亡命を求め[7]、11月11日には同国大統領マハマドゥ・イスフが亡命を受け入れると発表した[8]。しかし2014年3月5日に再びニジェール当局に身柄を拘束され、リビアに引き渡された[9]。2011年内戦時に抗議デモ参加者へ犯罪行為を行った容疑と、リビアのサッカーコーチだったバシール・ラヤニ(Bashir al-Rayani)を2005年に殺害した容疑で起訴されたが、ラヤニ殺害については2018年4月には控訴審で無罪判決が下った。2021年9月5日に釈放され、トルコへと向かったと報じられた[10]

エピソード

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イタリア移籍1年目の2003年にはイタリアサッカー界で期待外れであった選手に送られる賞「ビドーネ・ドーロ」の投票にて次点となった。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 オープン杯 期間通算
2003-04 ペルージャ セリエA 1 0
2004-05 ペルージャ セリエB 0 0
2005-06 ウディネーゼ セリエA 1 0
2006-07 サンプドリア セリエA 0 0
通算 イタリア セリエA 2 0
イタリア セリエB 0 0
総通算 2 0

脚注

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  1. ^ a b c 2011年(平成23年)3月8日外務省告示第74号「国際連合安全保障理事会決議第千九百七十号(リビアに対する制裁に関する決議)に関する件」
  2. ^ “リビア反体制派「カダフィ大佐の息子2人を拘束」”. CNN.co.jp (CNN). (2011年8月22日). http://www.cnn.co.jp/world/30003750.html 2011年8月22日閲覧。 
  3. ^ “カダフィ大佐の次男拘束、正式な確認はなかった=ICC”. ロイター (ロイター). (2011年8月23日). https://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-22830220110823 2011年8月23日閲覧。 
  4. ^ “カダフィ大佐次男「抵抗続ける」と音声メッセージ、三男は投降の意思示す”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年9月1日). http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2823551/7700902 2011年9月3日閲覧。 
  5. ^ “リビア反体制派の略奪行為、部族抗争につながる可能性も”. ウォール・ストリート・ジャーナル. (2011年9月1日). http://jp.wsj.com/World/Europe/node_298929 2011年9月3日閲覧。 
  6. ^ “カダフィ大佐三男がニジェール入国、サハラ砂漠で拘束”. ロイター. (2011年9月12日). https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-23131420110912 2021年9月6日閲覧。 
  7. ^ “カダフィ大佐の三男、ニジェールで政治亡命求める”. 朝日新聞. (2011年9月14日). http://www.asahi.com/special/meastdemo/TKY201109140133.html 2021年9月6日閲覧。 
  8. ^ “Niger grants asylum to Saadi Gaddafi”. The Guardian. ガーディアン. (2011年11月11日). https://www.theguardian.com/world/2011/nov/11/saadi-gaddafi-asylum-niger 2021年9月6日閲覧。 
  9. ^ “カダフィ大佐の息子をニジェールで拘束、逃走から2年半余”. CNN.co.jp. CNN. (2014年3月6日). https://www.cnn.co.jp/world/35044880.html 2021年9月6日閲覧。 
  10. ^ “故カダフィ大佐の息子、釈放 リビア法務省”. AFPBB News. フランス通信社. (2021年9月6日). https://www.afpbb.com/articles/-/3364911 2021年9月6日閲覧。