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アティバ・ハッチンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アティバ・ハッチンソン
2023 でのハッチンソン
名前
ラテン文字 Atiba Hutchinson
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
生年月日 (1983-02-08) 1983年2月8日(41歳)
出身地 ブランプトン
身長 187cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF / DF
利き足 右足
ユース
カナダの旗 ブランプトン・ブレーブス
カナダの旗 ノース・スカボロー・サッカークラブ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002 カナダの旗 ヨーク・レギオン・シューターズ 2 (0)
2002-2003 カナダの旗 トロント・リンクス 4 (0)
2003-2004 スウェーデンの旗 エステルス 24 (6)
2004-2006 スウェーデンの旗 ヘルシンボリ 49 (6)
2006-2010 デンマークの旗 コペンハーゲン 139 (22)
2010-2013 オランダの旗 PSV 80 (4)
2013-2023 トルコの旗 ベシクタシュ 270 (24)
代表歴
2001-2003  カナダ U-20 19 (0)
2002-2004  カナダ U-23 10 (0)
2003-2023  カナダ 105 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アティバ・ハッチンソンAtiba Hutchinson, 1983年2月8日 - )は、カナダオンタリオ州ブランプトン出身の元サッカー選手。元カナダ代表。現役時代のポジションはミッドフィールダーディフェンダー

2010年デンマーク・スーペルリーガで最優秀選手賞を受賞。また、同シーズンにキャリア初のカナダ人最優秀選手賞英語版に選出。

2003年からカナダ代表に選出されている。

経歴

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初期

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ハッチンソンは、トリニダード・トバゴ人の両親の下でオンタリオ州ブランプトンに生まれ[1]、2002年夏にカナダサッカーリーグヨーク・レギオン・シューターズ英語版でプロキャリアを開始すると、シーズン途中の7月26日にユナイテッドサッカーリーグトロント・リンクス英語版へ移籍し、最終節の4試合前から出場した。

スウェーデン

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2003年1月、アルスヴェンスカンへ新たに昇格したエステルスIFと契約を結び、6ゴールを記録。シーズン終了後にクラブが降格したため、2004年1月に推定移籍金132万ユーロでヘルシンボリIFへ加入した。1年目は降格の危機もあったがハッチンソン自身の評価は悪くなく、シーズン終了後にはバーミンガム・シティFCから関心を寄せられた[2]。2年目は守備的中盤の位置ながら6ゴールを決め、チームの中でも重要な選手の1人だった。

デンマーク

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2006年にFCコペンハーゲンへ加入すると、1年目と2年目の上半期までセントラル・ミッドフィールダーとしてスウェーデン代表トビアス・リンデロートとコンビを組み、下半期になるとサイドやFWとしてもプレーした。攻撃的なポジションで起用したことについてストーレ・ソルバッケン監督は、中央でプレーするハッチンソンの中に攻撃的な才能を見出し、これからはより多くサイドでプレーさせていくとサッカー専門紙のTIPS-bladetに語った[3]。この活躍からプレミアリーグへの移籍の噂が数回あった。

2010年11月15日、デンマークサッカー協会が主催し、フランツ・ベッケンバウアーがプレゼンターを務めるデンマーク・リーグ最優秀選手にカナダ人選手として初めて受賞し[4]、チームの最優秀選手にも選ばれた。

オランダ

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2010年4月22日、ハッチンソンはエールディヴィジの強豪PSVアイントホーフェンに移籍金フリーの3年契約で加入[5]。8月14日のデ・フラーフスハップ戦で初出場し6-0で勝利すると、4日後のUEFAヨーロッパリーグ 2010-11プレーオフ第1戦で欧州戦デビューをするも格下とみられるFCシビル・ノヴォシビルスク相手に0-1でまさかの敗北を喫した。しかし、第2戦は5-0と圧勝し本大会進出を決めた。2011年1月23日のアウェーVVVフェンロー戦で46分に移籍後初ゴールを決め、3-0の勝利に貢献した。移籍当初から右SBとしてプレーしていたが、シーズン半ばにイブラヒム・アフェレイFCバルセロナへ移籍すると以降は本職のセントラル・ミッドフィールダーとして起用され、3月5日にアウェーで3-2と勝利したSBVエクセルシオール戦で2ゴール目を記録。ヨーロッパリーグ準々決勝進出に貢献したが、4月中旬に行われたSLベンフィカ戦で2試合合計3-6で敗れ敗退した[6]

2011年夏に行われた2011 CONCACAFゴールドカップの試合で膝を負傷したことにより、2011-12シーズン序盤を欠場することを余儀なくされた[7]。シーズン開始から2試合を欠場した後、8月21日にアウェーで3-0と勝利したADOデン・ハーグ戦でザカリア・ラビアドに代わり後半から出場し復帰するも、数週間後に行われた2014 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選セントルシア戦で反対側の膝を負傷、18ヶ月の間で3度目の手術を受けることになった[8]。復帰後はジョルジニオ・ワイナルドゥム, ケヴィン・ストロートマンの存在、さらに2012-13シーズンからマルク・ファン・ボメルが復帰したことにより、加入当初と同様に右SBで起用されている。

2012年5月、レギュラーとしてKNVBカップのタイトル獲得に貢献したことから4月度の月間最優秀選手に選ばれた[9]。2012年8月26日のアウェーFCフローニンゲン戦で、38分にドリース・メルテンスのスルーパスからシーズン最初のゴールを決め、3-1の勝利に貢献した。

トルコ

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2013年7月31日、ベシクタシュJKに移籍した。2023年に現役を引退した。

代表

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2010年4月9日、BMOフィールドで行われたペルー戦でプレーするハッチンソン

ユース時代に2001 FIFAワールドユース選手権2003 FIFAワールドユース選手権に出場。

2003年1月のアメリカとの親善試合でA代表デビュー。2006年から3度のFIFAワールドカップ予選に出場し、CONCACAFゴールドカップには2003年から5度出場した。2007年6月21日、2007 CONCACAFゴールドカップ準決勝のアメリカ戦で1-2と1点のビハインドを追いかけてる中、ロスタイムも残り僅かのところで同点ゴールを決めるもオフサイドを取られ、この判定は論争を呼んだ[10]

2010年10月8日に行われたウクライナ戦のパフォーマンスが評価され、FIFA.comからPlayer of the dayに選ばれた[11]。これを含めた代表での活躍や強豪PSVへの移籍、カナダ人選手として初めてデンマーク・スーペルリーガ最優秀選手賞を受賞したことが評価され、12月17日にカナダサッカー協会が主催するカナダ人最優秀選手賞英語版に初めて選ばれた[12]。過去3度受賞しているドウェイン・デ・ロサリオを2位, 2009年に受賞したシメオン・ジャクソン英語版を3位に抑え、31.4%の票を集めた。

中心選手として2011 CONCACAFゴールドカップ進出に貢献し、グループリーグ初戦の0-2で敗れたアメリカ戦に出場。この試合で膝を負傷したことにより、残り全試合の欠場を余儀なくされた[13]

カナダ代表の最多出場記録保持者であり、2022 FIFAワールドカップ・グループステージクロアチア戦でカナダ史上初の100試合出場を達成[14]

所属クラブ

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代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 105試合 9得点(2003年-)[15]


カナダ代表国際Aマッチ
出場得点
2003 4 0
2004 7 1
2005 7 1
2006 4 0
2007 9 1
2008 9 0
2009 7 0
2010 3 1
2011 5 0
2012 7 0
2013 3 0
2014 4 1
2015 4 1
2016 4 0
2017 1 0
2018 2 1
2019 5 0
2020 0 0
2021 6 1
2022 11 1
2023 3 0
通算 105 9

タイトル

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クラブ

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FCコペンハーゲン
PSVアイントホーフェン
ベシクタシュJK

個人

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脚注

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外部リンク

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