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アデル=アナイス・コラン・トゥードゥーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アデル=アナイス・コラン・トゥードゥーズ
Adèle-Anaïs Colin Toudouze
生誕 1822年3月22日
フランス、パリ
死没 1899年8月15日
フランス、パリ
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アデル=アナイス・コラン・トゥードゥーズ(Adèle-Anaïs Colin Toudouze、1822年3月22日 - 1899年8月15日)は、フランスの画家、イラストレーターである。19世紀に盛んに出版されるようになったファッション雑誌に、女性の衣装のイラストを描いた。

生涯

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パリで生まれた。父親のアレクサンドル=マリー・コランは画家であり、姉にイラストレーターになるエロイーズ(Héloïse Colin: 1819-1873:画家のAuguste Leloirと結婚)がいて、妹のロール(Laure Colin:結婚後はLaure Noël)と弟のポール=アルフレッド(Paul-Alfred Colin: 1828-1878)も画家になった。

姉と合作した姉妹の自画像、2人がそれぞれ相手を描いた。(1836年)

父親は画家のウジェーヌ・ドラクロワテオドール・ジェリコーや版画家、イラストレーター、雑誌編集者のポール・ガヴァルニと親しかった。アデル=アナイス・コランは姉のエロイーズと、父親のスタジオで父親から絵を学んだ[1]。姉妹は14歳から20歳になるまでにパリのサロンに出展し、メダルを受賞した。

1845年に建築家、水彩画家、版画家のガブリエル・トゥードゥーズ(Gabriel Toudouze: 1811-1854)と結婚し[2]、3人の子供が生まれたが、夫は1854年に亡くなり、3人の子供を育てるために、ファッション雑誌や書籍の挿絵を描く仕事をした[1]

1830年頃から1870年頃まで、手彩色の版画が添えられたファッション雑誌は人気があり、姉のエロイーズやアデル=アナイスに十分な仕事を得ることができた。アデル=アナイス・コラン・トゥードゥーズはファッション雑誌、「Le Follet」、「 Le Conseiller des Dames et des Demoiselles」[3]や「La Mode Illustrée」(1860年創刊)に作品を発表し[4]、後にイギリスのファッション雑誌の挿絵も描き、また作品は版画集のかたちでも出版された。

息子の、ギュスターヴ・トゥードゥーズ(Gustave Toudouze: 1847-1904)は文学者になり、もう一人の息子、エドゥアール・トゥードゥーズ(1848-1907)は画家になり娘のイザベル・コラン(Isabelle Colin)は画家、ファッション・イラストレーターになった。

作品

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参考文献

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  1. ^ a b Steele, Valerie (2017). Paris Fashion: A Cultural History. London: London: Bloosmbury Visual Arts, an imprint of Bloomsbury Publishing Plc. pp. 102–113. ISBN 9781474269704. https://www.google.com/books/edition/Paris_Fashion/IsnMDgAAQBAJ 
  2. ^ Calahan, April (2015). Cannell, Karen Trivette. ed (英語). Fashion Plates: 150 Years of Style. New Haven and London: Yale University Press. pp. 176. ISBN 978-0-300-21226-6. https://books.google.com/books?id=PfCACgAAQBAJ&q=anais+toudouze&pg=PA176 
  3. ^ Le Conseiller des Dames sur enssib.fr.
  4. ^ La Mode Illustree French Fashion Prints”. www.printspast.com. 2018年3月21日閲覧。