コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エドゥアール・トゥードゥーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドゥアール・トゥードゥーズ
Edouard Toudouze
作者不詳の肖像画
生誕 1848年7月24日
フランス,パリ
死没 1907年3月14日
フランス,パリ
テンプレートを表示

エドゥアール・トゥードゥーズ(Edouard Toudouze、1848年7月24日 - 1907年3月14日)はフランスの画家、挿絵画家である。

略歴

[編集]

パリで生まれた。多くの芸術家を生んだ家系で、父親のオーギュスト・トゥードゥーズ(Auguste Gabriel Toudouze:1811-1854)は建築家、版画家で、母親のアデル=アナイス・コラン(Adele-Anaïs Colin Toudouze)はファッション画を描いたイラストレータであり、母方の祖父は画家のアレクサンドル=マリー・コランである。いとこに画家のアレクサンドル・ルイ・ルロワールらがいる。兄のギュスターヴ・トゥードゥーズ(Gustave Toudouze)は小説家、ジャーナリストになった[1]

パリの高校(Collège Sainte-Barbe)を卒業した後、画家のイジドール・ピルスや叔父のオーギュスト・ルロワール(Auguste Leloir)の弟子になった[2] 。1867年からサロン・ド・パリに出展をはじめた。普仏戦争に出征した後、1871年に神話に題材を得た「オイディプースと妻の死体との別れ」を描いて、ローマ賞を受賞した。

油絵絵画の他、ゴブラン工場(Manufacture des Gobelins)のタペストリーの原画を描き、挿絵画家としてはテオフィル・ゴーティエバルザックの小説の挿絵なども描いた。

1889年のパリ万国博覧会の展覧会で銀メダルを獲得し、1892年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲し、1903年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。

作品

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Gérald Schurr, Les Petits Maîtres de la peinture, valeur de demain, 6 vol., Éditions de l’amateur, Paris, 1982, t. II, p.|87.
  2. ^ Gérald Schurr, op. cit.

参考文献

[編集]
  • Raymond Bouyer, Un peintre décorateur : Édouard Toudouze, dans La Revue de l'art ancien et moderne, 1906, p. 127-142 (lire en ligne) [archive]
  • Henri Maréchal, Lettres et Souvenir 1871-1874, Hachette, Paris, 1920.
  • Gérald Schurr, Les petits maîtres de la peinture, valeur de demain, Éditions de l’amateur, Paris, 1982, tome II - (ISBN 2859170227).
  • Sophie Monneret, L’Impressionnisme et son époque, Éditions Denoël, 1978-1979, réédité chez Laffont-Bouquins, Paris, 1987 - (ISBN 2221052226) pour l’édition complète.
  • « Édouard Toudouze » Extrait de la notice dans le dictionnaire Bénézit, sur Oxford Index, 2006 (ISBN 9780199773787)