アトラス (戦列艦・1782年)
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アトラス | |
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艦歴 | |
運用者 | イギリス海軍 |
建造 | チャタム工廠 |
発注 | 1777年8月5日 |
起工 | 1777年10月1日 |
進水 | 1782年2月13日 |
その後 | 1821年解体 |
戦歴 | サン・ドミンゴの海戦 |
性能諸元[1] | |
クラス | デューク級 98門2等戦列艦 |
トン数 | 1950bm |
全長 | 砲列甲板:177ft 6in(54.1m) |
全幅 | 50ft (15.2m) |
深さ | 船倉:21ft 2in(6.5m) |
推進 | 帆走(3本マストシップ) |
兵装 | 98門: 上砲列:12ポンド(5kg)砲30門 中砲列:18ポンド(8kg)砲30門 下砲列:32ポンド(15kg)砲28門 後甲板:12ポンド(5kg)砲8門 船首楼:12ポンド(5kg)砲2門 |
アトラス (HMS Atlas) はイギリス海軍の98門2等戦列艦。
建造
[編集]アトラスはジョン・ウィリアムスによって設計され、1777年8月5日チャタム工廠に建造が発注された。この船の竜骨は1777年10月1日に敷かれ、進水は1782年2月13日だった。全ての艤装が完了したのは1782年3月30日だった。1779年4月までイズラエル・ポウノルがこの船の建造の責任者であり、その後ニコラス・フィリップスが引き継いだ。建造にかかった費用は艤装も含めて50,350ポンド7シリング4ペンスだった[2]。
艦歴とエピソード
[編集]アトラスは1798年から1802年にかけてテオフィルス・ジョーンズ艦長のもとで任務に就いた[3]。 1802年には74門艦に格下げされた[4]。
1806年2月6日にはサミュエル・ピム艦長のもと、サン・ドミンゴの海戦 (en) に参加した。アトラスは戦死者8名、負傷者11名の損害を出した。
1808年にはカディス沖でパービス提督の旗艦を務めた。アトラスはフランスの砲台と何度も交戦し、合計で死傷者を50人ほど出した。また、この船はカタリナ要塞の破壊の任を帯びていた[5]。
1813年12月から翌年1月にかけてアトラスはポーツマスで監獄船への再艤装を受けた。その後、1814年10月に余剰弾薬を保管する火薬庫への改造が決定され、この作業は1815年1月に終わった[1]。
この船は最終的に1821年に解体された。
脚注
[編集]- ^ a b Lavery, Ships of the Line, vol. 1, p. 179.
- ^ Winfield, Rif s. 24
- ^ The United Service Magazine. (1836). pp. 95–6 6 July 2014閲覧。
- ^ Winfield, Rif (2007). British Warships in the Age of Sail 1714-1792: Design, Construction, Careers and Fates. Barnsley, S. Yorkshire: Seaforth. pp. location 2040 of 22457. ISBN 9781-844157006
- ^ http://www.ageofnelson.org/MichaelPhillips/info.php?ref=0246
参考文献
[編集]- Lavery, Brian (2003) The Ship of the Line - Volume 1: The development of the battlefleet 1650-1850. Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-252-8.
- Winfield, Rif (2007). British Warships of the Age of Sail 1793–1817: Design, Construction, Careers and Fates. Seaforth. ISBN 1-86176-246-1