アナトール・フランス
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アナトール・フランス Anatole France | |
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アナトール・フランス(1893年) | |
誕生 |
ジャック・アナトール・フランソワ・ティボー Jacques Anatole François Thibault 1844年4月16日 フランス王国、パリ |
死没 |
1924年10月12日(80歳没) フランス共和国、トゥール |
墓地 | フランス、ヌイイ=シュル=セーヌ |
職業 | 詩人、小説家 |
言語 | フランス語 |
国籍 | フランス |
最終学歴 | スタニスラス大学 |
代表作 |
『シルヴェストル・ボナールの罪』 『舞姫タイス』 『赤い百合』 『エピクロスの園』 『神々は渇く』 |
主な受賞歴 | ノーベル文学賞(1921年) |
署名 |
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アナトール・フランス(フランス語: Anatole France, 1844年4月16日 - 1924年10月12日)は、フランスの詩人・小説家・批評家。本名はジャック・アナトール・フランソワ・ティボー(フランス語: Jacques Anatole François Thibault)。パリ出身。アカデミー・フランセーズの会員を務め、ノーベル文学賞を受賞した。代表作は『シルヴェストル・ボナールの罪』『舞姫タイス』『赤い百合』『エピクロスの園』『神々は渇く』など。芥川龍之介が傾倒し、石川淳が訳していたことで有名である。
略歴
[編集]- 1844年 現在のパリ6区マラケ河岸19番地 (19 Quai Malaquais) に生まれる[1]。父は当地の書店主。
- 1853年 - 1862年 現在のパリ6区にあるカトリック系私立のコレージュ・スタニスラス (Collège Stanislas) に学ぶ。
- 1871年 高踏派詩人の雑誌『現代高踏詩集(Le Parnasse contemporain)』に詩作品『La Part de Madeleine』が発表される。
- 1875年 第三次『現代高踏詩集』の準備委員会に参加。
- 1881年 長編小説『シルヴェストル・ボナールの罪(Le Crime de Sylvestre Bonnard)』を発表。アカデミー・フランセーズ(Académie française)の賞を受賞する。
- 1896年 アカデミー・フランセーズの会員(席次38)に選出される。
- 1921年 ノーベル文学賞を受賞。
- 1924年 サン・シル・シュル・ロワールにて没。国葬によって葬られ、パリ近郊のヌイイ・シュル・セーヌ共同墓地に埋葬された。
1922年には全作品がカトリック教会の禁書目録に掲載された。この禁書目録は1966年に廃止された。
日本語訳一覧
[編集]1940年より、白水社で「アナトオル・フランス長篇小説全集」全17巻、「アナトオル・フランス短篇小説全集」全7巻が刊行、1951年に完結した。
2000年に、改装新版の『アナトール・フランス小説集 (全12巻)』が刊行(長編作品は※5巻と、短編作品・全7巻)。
長編小説
[編集]- Le Crime de Sylvestre Bonnard, 1881年
- 『シルヴエストル・ボナール博士の罪』 川崎備寛訳、冬夏社、1922
- 『エス・ボナールの罪』岡野馨訳、春陽堂(昭和初期世界名作翻訳全集第1期)、1923
- 『シルヴェストル・ボナールの罪』※伊吹武彦訳、辰野隆解説、白水社(アナトオル・フランス長篇小説全集)、初刊1940
- 『シルヴェストル・ボナールの罪』伊吹武彦訳、岩波文庫、1975(重版多数)ISBN 4003254341
- Thaïs, 1890年
- Le Lys Rouge, 1894年
- 'L’Histoire contemporaine; L'orme du Mail, 1897年
- L’Histoire contemporaine; Le Mannequin d'Osier, 1897年
- 『柳の衣桁 現代物語第2巻』小林竜雄訳、冨山房百科文庫、1940
- 『柳のひとがた 現代史II』大岩誠訳、白水社(アナトオル・フランス長篇小説全集)、1941
- L’Histoire contemporaine; L'anneau d'Améthyste, 1899年
- 『紫水晶の指輪 現代史III』杉捷夫訳、白水社(アナトオル・フランス長篇小説全集)、1941
- L’Histoire contemporaine; Monsieur Bergeret à Paris, 1901年
- 『パリのベルジュレ氏 現代史IV』川口篤訳、白水社(アナトオル・フランス長篇小説全集)、1950
- L'île des Pingouins, 1908年
- Les Dieux ont Soif, 1912年
- 『血に飢えた神々』村田義雄訳、春陽堂、1932
- 『神々は渇く』水野成夫訳、酣燈社、1946
- 『神々は渇く』※水野成夫訳、白水社(アナトオル・フランス長篇小説全集)、1950
- 『神々は渇く』根津憲三訳、角川文庫、1961
- 『神々は渇く』大塚幸男訳、岩波文庫、1977 ISBN 4003254333
- 『神々は渇く』土岐健児訳、蝸牛社 1977
短編小説
[編集]- Jocaste et le Chat Maigre(ジョカストとやせ猫), 1879年
- Les Sept Femmes de Barbe bleue et autres contes merveilleux, 1909
- 『青鬚の七人の妻』他三篇 長塚隆二訳 角川文庫、1953
- Abeille, 1883
- 『蜜蜂姫』福永挽歌訳、日本評論社、1921
- Nos Enfants(少年少女), 1886年
- 『少年少女』三好達治訳、岩波文庫、1937、改版1972 ISBN 4003254317
- Balthazar(バルタザール), 1889年
- L'Étui de Nacre(螺鈿の手箱), 1892年
- Le Puits de Sainte Claire(聖女クララの泉), 1895年
- Affaire Crainquebille, 1901
- Les contes de Jacques Tournebroche(ジャック・トゥルヌブローシュのコント), 1908年
- 『アナトール・フランス短篇傑作集』若月紫蘭訳 三教書院、1910
- 『聖餐祭』岡本綺堂訳、改造社(世界大衆文学全集)、1929、河出書房新社(世界怪談名訳集)、1987
- 『人間悲劇 外十篇』杉捷夫訳、春陽堂(世界名作文庫)、1932、ゆまに書房(昭和初期世界名作翻訳全集)、2008
- 『聖母と軽業師』大井征訳、岩波文庫(アナトール・フランス短篇集)、1934
- 『襯衣』他二篇 八木さわ子訳 改造社、1939
- 「アナトオル・フランス短篇小説全集」山内義雄・内藤濯・渡辺一夫・佐藤正彰・杉捷夫他訳
- ※各・全7巻、白水社、1939-40、「アナトール・フランス小説集」白水社、2000
- 『6.バルタザール』、『7.螺鈿の手箱』、『8.聖女クララの泉』、『9.クランクビーユ』
- 『10.ジャック・トゥルヌブローシュのコント』、『11.青ひげの七人の妻』、『12.ジョカストとやせ猫』
- ※各・全7巻、白水社、1939-40、「アナトール・フランス小説集」白水社、2000
- 『火の娘』吉田静雄訳、今日の問題社(ノーベル賞文学叢書)、1941
回想録
[編集]- Le Livre de Mon Ami(わが友の書), 1885年
- Pierre Noziére(ピエル・ノジエール), 1898年
- Le Petit Pierre, 1918年
- 『小さなピエール』岡田真吉訳※、白水社(アナトオル・フランス長篇小説全集)
- La Vie en Fleur, 1922年
文芸評論
[編集]- La Vie littérature, 1888 - 1892年 - 文芸評論集で原書は全4冊。各・抄訳版
- Le Génie Latin, 1913年
社会評論
[編集]- Le Jardin d'Épicure, 1895年
- 『エピクロスの園』和気律次郎訳 天佑社、1919
- 『エピクロスの園』草野貞之訳 第一書房、1929
- 『エピクロスの園』関根秀雄訳、白水社、1951
- 『エピクロスの園』大塚幸男訳、岩波文庫、1977 ISBN 4003254368
歴史人物伝
[編集]翻案作品
[編集]音楽
[編集]フィルモグラフィー
[編集]記念物
[編集]- アナトール・フランス通り、パリ
- アナトール・フランス駅(パリメトロ3号線)、パリ
- アナトール・フランス区(パリの7番目の区)、パリ
- アナトール・フランス (小惑星)(アナトール・フランスに因んで命名された)
逸話
[編集]- 1877年にヴァレリー・ゲラン・ド・ソーヴィユと結婚し、1881年に一人娘シュザンヌが誕生したが、1888年から芸術サロンの女主人のアルマン・ド・カイヤヴェ夫人(ガストン・アルマン・ド・カイヤヴェの母)の愛人となり、妻とは1893年に離婚した。1899年にフランスの希望で娘シュザンヌとマルセル・プルーストとの結婚話が持ち上がったことがあるが、実現しなかった。
- アルマン・ド・カイヤヴェ夫人は1910年、フランスと別の女優との関係がもとで自殺未遂[要出典]し、亡くなった(死因は風邪をこじらせたこと)。娘のシュザンヌは1918年に亡くなった。
- 1920年にエマ・ラプレボットと再婚した時には、友人のポール=ルイ・クーシューが立会人を務めた[3]。
- 80歳という年齢を考慮する必要もあるが、死後にその脳の重量が1017gしかない(平均的な白人男性の脳は約1500g)ことが判明し[4]、脳のサイズと知的能力は殆ど関連が無いことの証左となった。
- 『もし私が神だったら、私は青春を人生の終わりにおいただろう。 』
脚注
[編集]- ^ P・シャンピオン『わが懐かしき街』図書出版社、1992年、180頁。
- ^ 芥川龍之介『影燈籠』国立国会図書館サーチ。2020年8月1日閲覧。
- ^ 柴田依子『俳句のジャポニスム : クーシューと日仏文化交流』角川学芸出版、2010年3月、319頁。ISBN 978-4-04-702146-4。
- ^ https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k4087599/f331.image.langFR
外部リンク
[編集]- Anatole France - Facts (Nobelprize.org)
- Anatole France - Biography(The Internet Movie Database)
- France Works(Open Library)
- Works by Anatole France(プロジェクト・グーテンベルク)
- アナトール・フランス:作家別作品リスト - 青空文庫
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アカデミー・フランセーズ 席次38 第13代:1896年 - 1924年 |
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