アブドッラー (アストラハン・ハン国)
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アブドッラー(タタール語: عبد الله, ラテン文字転写: Abdulla, 1533年 - 1570年)は、アストラハン・ハン国の王族。カイブラ(ロシア語: Кайбула, ラテン文字転写: Kaibula)とも。
生涯
[編集]アストラハン・ハン国の君主であったアク・クベクの子で、大オルダの君主であったアフマド・ハンの曾孫にあたる[1]。1552年5月にカシモフに送り込まれた[1]。ロシアに到着した[2]アブドッラーはモスクワ大公イヴァン4世の命によってジャーン・アリーの娘を妻とし、封地としてユーリエフを与えられた[1]。
1570年に死去。カシモフのシャー・アリー・ハン廟に葬られた。
子女
[編集]- ブダリ(1558年 - 1583年)
- ムスタファ・アリー - カシム・ハン国第11代君主
- アルスラーン・アリー - ルザの領主。
- サイン・ブラト
- ムルタザ・アリー(聖名:ミハイル・カイブロヴィチ[1]、生年不詳 - 1575年) - ズヴェニゴロドの領主。
出典
[編集]- ^ a b c d Steindorff 2010, p. 198
- ^ Howorth 2008, p. 357
参考書籍
[編集]- Ludwig Steindorff (2010/3/27). Religion und Integration im Moskauer Russland: Konzepte und Praktiken, Potentiale und Grenzen 14.-17. Jahrhundert. Otto Harrassowitz Verlag. ISBN 978-3447061162
- Henry Hoyle Howorth (2008/11/30). History of the Mongols from the 9th to the 19th Century: The So-Called Tartars of Russia and Central Asia. Cosimo, Inc. ISBN 978-1605201344