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アリョーシャ・アサノビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリョーシャ・アサノビッチ
名前
愛称 Vatreni Lakat(炎の肘)
ラテン文字 Aljoša Asanović
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1965-12-14) 1965年12月14日(58歳)
出身地 スプリト
身長 185cm
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
ハイドゥク・スプリト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1990 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ハイドゥク・スプリト 173 (46)
1990-1991 フランスの旗メス 35 (13)
1991-1992 フランスの旗カンヌ 28 (7)
1992-1994 フランスの旗モンペリエ 43 (10)
1994-1996 クロアチアの旗ハイドゥク・スプリト 33 (8)
1995-1996 スペインの旗 レアル・バリャドリード (loan) 8 (1)
1996-1997 イングランドの旗 ダービー・カウンティ 38 (5)
1997-1998 イタリアの旗 ナポリ 15 (0)
1998-2000 ギリシャの旗 パナシナイコス 44 (9)
2000-2001 オーストリアの旗 アウストリア・ウィーン 0 (0)
2001 オーストラリアの旗 シドニー・ユナイテッド 4 (1)
2002 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト 1 (0)
通算 422 (100)
代表歴
1987-1988 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 3 (0)
1990-2000 クロアチアの旗 クロアチア 62 (3)
監督歴
2006-2012 クロアチアの旗クロアチア代表アシスタント
2012-2013 ロシアの旗ロコモティフ・モスクワ(アシスタント)
2015-2017 スロバキアの旗DAC 1904ドゥナイスカー・ストレダテクニカルディレクター
2017-2018 オーストラリアの旗メルボルン・ナイツ
2018-2019 サウジアラビアの旗アル・イテハド(アシスタント)
2019-2021 クロアチアの旗クロアチア代表(ディアスポラ・インストラクター)
2021-2022 ザンビアの旗ザンビア代表テクニカルディレクター
2022- ザンビアの旗ザンビア代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アリョーシャ・アサノビッチ(Aljoša Asanović、1965年12月14日 - )は、ユーゴスラビアスプリト(現・クロアチア領)出身のクロアチアの元サッカー選手。ポジションはMF。選手時代はサッカーユーゴスラビア代表サッカークロアチア代表として選出されている。日本語では「アリョシャ・アサノヴィッチ」、「アリオシャ・アサノビッチ」と表記される事もある。

1980年代後半から1990年代に活躍した。ズボニミール・ボバンダヴォール・シューケルらと共にクロアチア代表を、同国初のUEFA欧州選手権1996年イングランド大会)及びFIFAワールドカップ1998年フランスW杯)に導いた選手として有名である。

左足から、多彩な球種のラストパスで決定期を生み出す、一流のパサーであった[1]。 クロアチア代表監督のブラジェビッチは、「アサノビッチは代表チームの首相である。」と評していた[2]

クラブ経歴

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最初は、地元のハイドゥク・スプリトのユースでキャリアをスタート。1984年に同チームのプロチームに昇格し、6シーズンに渡ってプレーした。この間173試合46得点をマークし、1986-87シーズンには最初のタイトルとなるユーゴスラビア・カップ優勝を果たした。

1990年シーズンより、フランスリーグ・アンに移籍。メスを皮切りに、カンヌモンペリエに所属した。メスでは35試合13得点,カンヌでは28試合7得点,モンペリエでは43試合10得点を挙げ、4シーズンで106試合30得点と活躍した。

1994年シーズンより古巣のハイドゥク・スプリトに復帰。チームは1994-95シーズンの国内リーグ戦国内カップ戦の2冠を達成した。国内リーグ戦優勝により出場したUEFAチャンピオンズリーグ 1994-95では、予選でレギア・ワルシャワポーランド)相手に2ndレグで2得点を挙げる活躍(この試合は4-0で圧勝)を見せ、クロアチアのクラブ史上初の本戦出場を果たした。本戦のグループリーグでもベンフィカポルトガル)に次ぐ2位で突破し、準々決勝アヤックスオランダ)に1stレグで0-0と善戦するも、2ndレグで0-3と敗れたが、これまたクロアチアのクラブ史上初の8強入りを果たした。この大会での活躍が認められ、1995-96シーズンの途中にはリーガ・エスパニョーラレアル・バリャドリードレンタル移籍した。

1996-97シーズン、プレミアリーグダービー・カウンティに移籍、10番を背負い1シーズン半を過ごし、優れたゲームメークを見せるなど、1シーズン目には大きなインパクトを残した[3]。2シーズン目は怪我で限られた出場機会となり[3]、シーズン途中当時セリエAの下位に低迷していたナポリがセリエB降格を回避する切り札として獲得した[4]。しかし度重なる監督交代もあり、15試合に出場したのみで、活躍出来ず、チームはセリエBに降格した[4]。その後はギリシャ・スーパーリーグパナシナイコスブンデスリーガ (オーストリア)アウストリア・ウィーンを経て、2001年シーズンには初めてUEFA外で、Aリーグシドニー・ユナイテッドでプレーした。2002年に、古巣・ハイドゥク・スプリトに3度目の復帰をして1試合だけ出場し、現役生活に終止符を打った。

1999年ACヴェネツィア(セリエA)に移籍した名波浩の穴埋めに、ジュビロ磐田フロント陣が、獲得に動いていたが(当時の監督だった桑原隆が獲得を拒否したため、チームは獲得を断念した。

代表経歴

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1987年にユーゴスラビア代表に選出され、1988年までに3試合出場した。但し、ユーゴスラビア代表では得点することはできなかった。

1990年にクロアチア代表にも選出。10月17日スタディオン・マクシミールザグレブ)で行われたアメリカ代表との親善試合で先制ゴールを挙げ、これが自身の代表初ゴールとなった[5]。1996年のヨーロッパ選手権ではグループリーグのトルコ戦、デンマーク戦でそれぞれ1アシストを決めて[6]、クロアチア史上初のメジャー大会での決勝トーナメント進出に貢献した。

1997年、6月8日国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で行われた、キリンカップサッカー日本戦では、0-3でリードされた後半31分と後半40分(FKとPK)に連続して得点を挙げ、代表では初の2ゴールを決めた[7]

1998年、ワールドカップフランス大会ではグループリーグ6月20日の日本戦で、後半32分に中西永輔を振り切って正確なセンタリングを上げ、これをシューケルが合わせて先制ゴール。この試合の勝利(1-0)の立役者となった[8]。ラウンド16のルーマニア戦でもスーケルの決勝ゴールをアシスト[6]、準々決勝ではフランスに敗れたがこの試合でもスーケルへのアシストを決めた[6]。この大会ではチームの中心選手として全7試合にフル出場[5]、チームの3位に貢献した。

代表には2000年5月28日のフランスとの対戦まで招集され[5]、62試合3ゴールという成績を残している[5]

引退後

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引退後は、2006年よりクロアチア代表のアシスタントコーチを務め、2006年ドイツW杯出場に貢献した。その後、2012年2013年にはロコモティフ・モスクワロシア)のアシスタントコーチをやった後、2015年よりDAC 1904ドゥナイスカー・ストレダ(スロバキア)のテクニカルディレクターに就いている。

個人記録

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代表での成績

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出典[9]
ユーゴスラビア代表
出場 得点
1987 2 0
1988 1 0
合計 3 0
クロアチア代表
出場 得点
1990 1 1
1991 1 0
1992 0 0
1993 0 0
1994 7 0
1995 5 0
1996 13 0
1997 8 3
1998 14 0
1999 9 0
2000 4 0
合計 62 4

獲得タイトル

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脚注、出典

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  1. ^ 週刊サッカーマガジン 1998年4月1日 no.651 p.64-65 ベースボールマガジン社
  2. ^ クロアチア代表の「レジェンド完全格付け」。モドリッチ、シュケル、ボバン…豊富なタレントの中からトップに輝いたのは?”. ワールドサッカーダイジェスト編集部 (2021年1月29日). 2023年3月23日閲覧。
  3. ^ a b ASANOVIC: “AFTER OVER 20 YEARS - I’M SO HAPPY TO HAVE COME BACK”l team”. dcfc. 2020年11月3日閲覧。
  4. ^ a b Aljosa Asanovic: stella in Croazia, 'fantasma' a Napoli”. GOAL. 2023年10月1日閲覧。
  5. ^ a b c d Asanovic”. Croatian Football Federation. 2022年3月1日閲覧。
  6. ^ a b c Asanović national team”. transfermarket.com. 2020年11月3日閲覧。
  7. ^ 日本 vs クロアチア - 1997年6月8日 サッカー日本代表データベース
  8. ^ ベンゲル、日本の戦いを振り返る。Number傑作選。1998年7月号、2010年5月14日配信。
  9. ^ Asanović, Aljoša”. National-Football-Teams.com. 2018年2月19日閲覧。

外部リンク

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