アリス・ペリー
アリス・ペリー Alice Perry | |
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生誕 |
Alice Jacqueline Perry 1885年10月24日 アイルランド ゴールウェイ |
死没 |
1969年4月21日 (83歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス |
国籍 | アイルランド |
教育 | アイルランド王立大学 |
配偶者 | John Shaw |
親 |
James Perry Martha Perry |
業績 | |
専門分野 | 土木工学 |
アリス・ジャクリーン・ペリー(Alice Jacqueline Perry、1885年10月24日 - 1969年4月21日)は、アイルランド出身の工学者であり、ヨーロッパの女性で初めて工学の学位を取得したうちの一人である[1][2][3]。
若年期と教育
[編集]ペリーは1885年10月24日にゴールウェイで生まれた[4]。父のジェームズ・ペリー[5]は郡の測量官で、ゴールウェイ電球会社を共同で設立した[6]。おじのジョン・ペリーは航海用のジャイロスコープを発明し、王立協会フェローに選出された[7]。
ゴールウェイの高校を卒業後、奨学金を得て1902年にクイーンズ・カレッジ・ゴールウェイ(現 アイルランド国立大学ゴールウェイ校(NUIG))に入学した。当初は芸術を専攻していたが、数学が得意だったことから専攻を工学に変更した。1906年に土木工学の学位を得て卒業した[1][8]。ペリーは、ヨーロッパの女性で3番目に早く学位を取得した。最も早いのは1896年のリタ・デ・モライス・サルメント、2番目は1897年のジュリ・アレンホルトである[9]。
ペリーには5人の姉妹がいたが、その多くが、本人が学者となったか、学者と結婚してその子供が学者となった。ネッティは現代言語を学び、ロンドン大学でスペイン語の講師となった。アグネス・メリー(通称モリー)はクイーンズ・カレッジ・ゴールウェイで数学の修士号を1905年に取得し、1906年にアイルランド王立大学の数学の試験官となった後、ロンドンの中学校の副校長となった。モリーは大学在学中に「大学始まって以来の最も優れた数学者」と評されていた[10]。マーサは地図学者のエドワード・ウィリアム・オフラティ・ライナムと結婚し、その息子のロス・ライナムは土木工学者となった。姉妹はいずれも、ゴールウェイにて婦人参政権運動に参加した[3]。
キャリア
[編集]大学卒業後、大学院へ進学するための奨学金を得たが、その翌月に父が死去したため進学を断念した[4]。1906年12月、父が行っていた測量官の仕事を約半年間一時的に継いだ[4]。正式な郡測量官の候補になったものの落選した[4]。アイルランドで郡測量官になった女性は、ペリーが唯一である[1]。
1908年、姉妹とともにロンドンへ移り、内務省の工場検査官として働いた[1]。1915年にグラスゴーへ移り、長老派教会からクリスチャン・サイエンスに改宗した[7]。1916年9月30日にジョン・ショウ(John Shaw)と結婚した[4]が、ショウは1917年に第一次世界大戦の西部戦線で死亡した[1][4]。
晩年
[編集]1921年に検査官の職を辞した後[7]、詩作に興味を持ち、1922年に初の詩集を発刊した[1]。1923年にクリスチャン・サイエンスの本部があるアメリカ・ボストンへ移り[7]、1969年に亡くなるまでクリスチャン・サイエンスの実践士(practitioner)として活動を続けた[4]。また、詩集を7冊発刊した[1]。
名前を冠したもの
[編集]ペリーの甥のジョス・ライナムは、1996年にペリーの詩集をペリーの母校アイルランド国立大学ゴールウェイ校(NUIG)に寄贈した[3]。
2014年10月に行われた全アイルランド・アプリ・コンペティションの最優秀賞には、賞金と「アリス・ペリー・メダル」が贈られた[11]。
2017年3月6日、NUIGは工学部の新しい建物を「アリス・ペリー工学棟」(Alice Perry Engineering Building)と命名した[12][13]。
詩集
[編集]- The children of Nazareth : and other poems(1930年頃)
- The morning meal and other poems(1939年)
- Mary in the garden and other poems(1944年)
- One thing I know and other poems(1953年頃)
- Women of Canaan and other poems(1961年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Alice Perry (1885–1969)”. Engineers Ireland: Realised Vision. Engineers Ireland. 8 February 2015閲覧。
- ^ “the Galway woman who was Europe's first engineering graduate”. Engineers Journal (2017年6月20日). 31 August 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月31日閲覧。
- ^ a b c Coleman, Marie (2009). “Perry (Shaw), Alice Jacqueline”. In McGuire, James; Quinn, James. Dictionary of Irish Biography. Cambridge: Cambridge University Press
- ^ a b c d e f g “PERRY, ALICE JACQUELINE”. Dictionary of Irish Architects 1720–1940. Irish Architectural Archive. 8 February 2015閲覧。
- ^ James Perry (1845-1906) Grace's Guide to British Industrial History
- ^ “PERRY, JAMES”. Dictionary of Irish Architects 1720–1940. Irish Architectural Archive. 8 February 2015閲覧。
- ^ a b c d O'Connell, Claire (2009). “First in Their Field”. In Mulvihill, Mary. Lab Coats and Lace. Dublin: WITS. pp. 43–45. ISBN 978-0-9531953-1-2
- ^ “Our history”. NUI Galway. NUI Galway. 8 February 2015閲覧。
- ^ “Agnes og Betzy - to pionerer” (デンマーク語). ida.dk. 2019年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月2日閲覧。
- ^ O'Sullivan, M. D.; O'Halloran, Joe (1999). “The Centenary of Galway College”. Journal of the Galway Archaeological and Historical Society 51: 24–42.
- ^ “Winners announced for the First All-Ireland Apps Competition”. NUI Galway. NUI Galway. 8 February 2015閲覧。
- ^ “Series of Events to celebrate Naming of Alice Perry Engineering Building at NUI Galway”. 8 March 2017閲覧。
- ^ “Engineers Ireland laments industry's 'stark' gender imbalance”. The Irish Times. (6 March 2017) 13 March 2017閲覧。
- ^ “Author Search Results” (英語). catalogue.nli.ie. 2022年4月19日閲覧。
参考文献
[編集]- Ó hÓgartaigh, Margaret (2002). '"Am I a Lady or an Engineer?" Early Irish Female Engineers', Irish Engineers' Journal, December, pp. 48–49.