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アルクアータ・デル・トロント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルクアータ・デル・トロント
Arquata del Tronto
アルクアータ・デル・トロントの風景
アルクアータ・デル・トロントの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
マルケ州の旗 マルケ
県/大都市 アスコリ・ピチェーノ
CAP(郵便番号) 63043
市外局番 0736
ISTATコード 044006
識別コード A437
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 975 人 (2023-01-01 [1])
人口密度 10.6 人/km2
文化
住民の呼称 Arquatani
守護聖人 Santissimo Salvatore
祝祭日 3月18日 [2]
地理
座標 北緯42度46分21.23秒 東経13度17分47.91秒 / 北緯42.7725639度 東経13.2966417度 / 42.7725639; 13.2966417座標: 北緯42度46分21.23秒 東経13度17分47.91秒 / 北緯42.7725639度 東経13.2966417度 / 42.7725639; 13.2966417
標高 777 (500 - 2450) [3] m
面積 92.32 [4] km2
アルクアータ・デル・トロントの位置(イタリア内)
アルクアータ・デル・トロント
アルクアータ・デル・トロントの位置
アスコリ・ピチェーノ県におけるコムーネの領域
アスコリ・ピチェーノ県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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アルクアータ・デル・トロント: Arquata del Tronto)は、イタリア共和国マルケ州アスコリ・ピチェーノ県にある、人口約1,000人の基礎自治体コムーネ)。

2016年8月のイタリア中部地震では大きな被害を出した地域で、とくにペスカーラ・デル・トロント集落では壊滅的な被害となった。

名称

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アルクアータに対して、「アルカータ」などの転記も見られる。

地理

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アスコリ・ピチェーノ県概略図
アルクアータ・デル・トロントの地図

位置・広がり

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アスコリ・ピチェーノ県西端のコムーネ。アルタ・ヴァッレ・デル・トロント(Alta Valle del Trontoトロント河谷上流域)の盆地に位置する。アルクアータの集落は、アマトリーチェから北へ約16km、ノルチャから東へ約16km、県都アスコリ・ピチェーノから西南西へ約25km、州都アンコーナから南へ約96kmの距離にある[5]。町域は、西にウンブリア州(ペルージャ県)、南にラツィオ州リエーティ県)と境界を接する。なお、町域南端の山中でテーラモ県(アブルッツォ州)ともわずかに接している。

隣接コムーネ

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隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のPGはペルージャ県、RIはリエーティ県、TEはテーラモ県所属を示す。

トロント川は、古代からリエーティアスコリ・ピチェーノを結んできたサラリア街道以来アペニン山脈越えの重要な交通路であり、南にアックーモリを経てアマトリーチェ、東へアックアサンタ・テルメを経てアスコリ・ピチェーノに至る国道が走る。また、西のノルチャにも国道が通じている。

地勢

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町域を南から東へトロント川が流れる。

気候分類・地震分類

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アルクアータ・デル・トロントにおけるイタリアの気候分類 (itおよび度日は、zona E, 2549 GGである[6]。 また、イタリアの地震リスク階級 (itでは、zona 1 (sismicità alta) に分類される[7]

歴史

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アルクアータの城塞(rocca)。

都市の古代の歴史ははっきりしない。一部の学者は、ポイティンガー図においてサビニ人やピケニ人 (Picentesの領域の中央に見られる Surpicanum をこの町に比定しているが、はっきりとしたことはわからない(Surpicanum の所在についても議論が続いている)。ローマ人によってサラリア街道の宿駅として建設されたとする説もある。

アルクアータの名がはじめて文献に記載されるのは6世紀のことで、当地にあった要塞に言及されている。1255年アスコリ・ピチェーノによって征服され、14世紀後半までその支配下にあった(一定程度の自治が認められていた)。1397年には、アスコリとノルチャとの間の戦争において、アルクアータはノルチャ軍とアスコリから来たギベリンが拠った牙城であった。ナポリ女王ジョヴァンナ2世は、1420年から1435年にかけてアルクアータに居住した。前述の両都市がこの土地を争ったのち、アルクアータは教皇領の一部となった。

1849年、ローマ共和国で敗れたジュゼッペ・ガリバルディは、当地に身を寄せている。

2016年8月24日未明、ノルチャ付近を震源とする地震(イタリア中部地震)が発生。町域に含まれる分離集落ペスカーラ・デル・トロントは、人口約130人の集落であったが[8]、集落の家々がほぼすべて倒壊して[9][8]死者が出た。アマトリーチェアックーモリとともに、この地震において特に被害が大きい場所のひとつである[9]

行政

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分離集落

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アルクアータ・デル・トロントには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Borgo, Camartina, Capodacqua, Colle, Faete, Forca Canapine, Pescara del Tronto, Piedilama, Pretare, Spelonga, Trisungo, Tufo, Vezzano

脚注

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  1. ^ Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2023” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2024年3月25日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Anno:2023, Ripartizione:Centro, Regione:Marche, Provincia:Ascoli Piceno, Comune:Arquata del Tronto を選択
  2. ^ http://www.comuni-italiani.it/044/006/
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Ascoli Piceno (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2016年8月24日閲覧。
  4. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Ascoli Piceno (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2016年8月24日閲覧。
  5. ^ 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年8月24日閲覧。
  6. ^ Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
  7. ^ classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。
  8. ^ a b “イタリア地震、集落が完全崩落 がれきから子ども救助”. 朝日新聞. (2016年8月27日). http://www.asahi.com/articles/ASJ8T7GS3J8TUHBI02M.html 2016年8月29日閲覧。 
  9. ^ a b “イタリア中部でM6.2の地震 240人以上死亡”. BBC. (2016年8月25日). http://www.bbc.com/japanese/37172116 2016年8月29日閲覧。 

外部リンク

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