アルシデス・ギジャ
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名前 | ||||||
本名 |
アルシデス・エドガルド・ギジャ・ペレイラ Alcides Edgardo Ghiggia Pereyra | |||||
カタカナ | アルシデス・ギジャ | |||||
ラテン文字 | ALCIDES GHIGGIA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウルグアイ イタリア | |||||
生年月日 | 1926年12月22日 | |||||
出身地 | モンテビデオ | |||||
没年月日 | 2015年7月16日(88歳没) | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 62kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (RWG) | |||||
代表歴 | ||||||
1950-1952 | ウルグアイ | 12 | (4) | |||
1957-1959 | イタリア | 5 | (1) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アルシデス・ギジャ(Alcides Ghiggia、1926年12月22日 - 2015年7月16日[1])は、ウルグアイ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(右ウイング)。
経歴
[編集]1950年のブラジルW杯で事実上の決勝戦となった、第2次ラウンド最終戦のウルグアイ対ブラジル戦にて、右ウイングのギジャは後半34分に決勝点となる2点目を挙げ、ウルグアイを2度目のワールドカップ優勝に導いた。ギジャがゴールを決めた瞬間、マラカナンに集まった20万人の大観衆は静まり返ったという(→マラカナンの悲劇参照)。同大会では出場した4試合すべてで1ゴールずつを挙げている。
大会後はイタリアのASローマに移籍し、イタリア代表としてプレイした。1968年に41歳で現役を引退した。
2013年12月6日にブラジル・サルヴァドールで行われた2014年W杯組み合わせ抽選会には、86歳の高齢ながらドロワーとして参加した。
2015年7月16日、心不全のため88歳で死去。この日はマラカナンの悲劇からちょうど65年後であった[1]。 ギジャの死去によりマラカナンの悲劇のウルグアイ代表メンバーは全員が他界する運びとなった。
所属クラブ
[編集]代表歴
[編集]- ウルグアイ代表 1950-1952
- 1950年 - ワールドカップ・ブラジル大会 (優勝、4試合出場4得点)
- イタリア代表 1957-1959
脚注
[編集]- ^ a b 「マラカナンの悲劇」の英雄ギジャ氏が死去 GOAL 2015-7-17