フランチェスコ・ロッカ
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ローマ在籍時(1974年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Francesco Rocca | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1954年8月2日(70歳) | |||||
出身地 | サン・ヴィート・ロマーノ | |||||
身長 | 179cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1972-1981 | ローマ | 141 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1973 | イタリア U-21 | 1 | (0) | |||
1974-1976 | イタリア | 18 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
1988 | イタリア オリンピック | |||||
1995-1997 | イタリア U-18 | |||||
1996-1998 | イタリア U-17 | |||||
2000-2004 | イタリア U-20 | |||||
2004-2006 | イタリア U-17 | |||||
2006-2007 | イタリア U-18 | |||||
2006-2008 | イタリア U-19 | |||||
2008-2011 | イタリア U-20 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランチェスコ・ロッカ(Francesco Rocca,1954年8月2日[1] - )は、イタリア・ラツィオ州ローマ県サン・ヴィート・ロマーノ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。ASローマで現役時代を過ごし、2度のコッパ・イタリア制覇を経験した。2008年から2011年までU-20イタリア代表の監督を務めた[2]。また、ソウルオリンピックでは監督としてイタリア代表を4位に導いた。
選手経歴
[編集]クラブ
[編集]ローマの近郊にあるサン・ヴィート・ロマーノで生まれ、1972年から1981年までASローマ一筋でプレーした。セリエAでの141試合を含め、ローマでは163試合に出場し、コッパ・イタリアを2度優勝した。しかし、セリエAを優勝することはできなかった。
26歳で重傷を負い、現役引退を余儀なくされた[2]。
代表
[編集]1974年から1976年までイタリア代表として18試合に出場。1976年5月のアメリカ戦で、代表での唯一となるゴールを挙げた[3]。
指導者経歴
[編集]監督として出場したソウルオリンピックでは4位となった[4]。また、U-19イタリア代表監督として、UEFA U-19欧州選手権2008を準優勝した。この大会後、U-20イタリア代表監督となり、2009 FIFA U-20ワールドカップに出場した。
2012年、ASローマの殿堂入りに選出された[5]。
人物・エピソード
[編集]スピードと仕事量、エネルギー、サイドバックでの耐久性から「カワサキ(日本のバイクメーカー)」の愛称が付けられた[6][7]。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ASローマ
- コッパ・イタリア:2回 (1979-80,1980-81)
個人
[編集]- ASローマ殿堂:2012[5]
脚注
[編集]- ^ Italy Under 20 >> Francesco Rocca at Goal.com
- ^ a b FIFA U-20 World Cup Egypt 2009 - Italy (ITA) at FIFA
- ^ Italy - International Matches 1970-1979 at RSSSF
- ^ Men's Olympic Football Tournament - Seoul 1988 at FIFA
- ^ a b “Hall of Fame” (Italian). A.S. Roma. 27 July 2016閲覧。
- ^ The children of the Wolf, FIFA, March 19, 2008
- ^ “Biabiany come Bolt Nessuno è come lui” (Italian). La Repubblica (11 February 2010). 15 January 2018閲覧。