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アルテミデ・ザッティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
聖アルテミデ・ザッティ
修道士
生誕 (1880-10-12) 1880年10月12日
イタリア王国の旗 イタリア王国
エミリア=ロマーニャ州
レッジョ・エミリア県
死没 (1951-03-15) 1951年3月15日(70歳没)
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
バイア・ブランカ
崇敬する教派 カトリック教会
列福日 2002年4月14日
列福決定者 ヨハネ・パウロ2世
列聖日 2022年10月9日
列聖場所 バチカンの旗 バチカン
サン・ピエトロ広場
列聖決定者 フランシスコ
記念日 11月13日
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アルテミデ・ザッティ(Artemide Zatti 1880年10月12日 - 1951年3月15日)はアルゼンチンカトリック教会サレジオ会修道士聖人看護師[1][2]

生涯

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ザッティはイタリアエミリア=ロマーニャ州レッジョ・エミリア県の貧しい家庭に生まれ、幼少から家計を助けるため若年労働者となった。16歳の頃、家族と共にアルゼンチン・バイア・ブランカに移住、彼は職を転々とし、サレジオ会と出会い召命を抱くようになる[1][2][3]

1900年、サレジオ会に入会、年少の志願者と共に学ぶ。ある日、結核を患った司祭の看護をしている時、結核に罹ったが扶助者聖母の取り次ぎを願い回復、1908年1月11日、修道士として初誓願を立て、1911年2月8日、終生誓願を立てた。ザッティは看護師、薬剤師の免許を取得、かつて自分が入院したサレジオ会系病院に勤務し患者の世話をし、病院責任者となった。病院に留まらず、自転車で院外に出て患者を無料診察し、周囲から「自転車の聖者」と呼ばれるようになる[1][4]

1950年、病院の水槽修理の際、誤って転倒し検査したところ、癌を発症していることがわかり、闘病生活を送ることになる。1951年3月15日、人々に見守られながら帰天(死去)。享年70。ザッティの葬儀にビエドマ、パタゴネスの住民が集まり盛大になった[1][2][5]

2002年4月14日教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福、2022年10月9日、教皇フランシスコによりスカラブリーニ宣教会創立者・ジョヴァンニ・バッティスタ・スカラブリーニと共に列聖された[6][7]

脚注

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関連項目

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外部リンク

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