ジョヴァンニ・バッティスタ・スカラブリーニ
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聖ジョヴァンニ・バッティスタ・スカラブリーニ | |
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ピアチェンツァ司教 | |
ジョヴァンニ・バッティスタ・スカラブリーニ | |
教会 | カトリック教会 |
教区 | ピアチェンツァ教区 |
聖職 | |
司祭叙階 | 1863年5月30日 |
司教叙階 | 1876年 |
個人情報 | |
出生 |
1839年7月8日 イタリア コモ県 フィーノ・モルナスコ |
死去 |
1905年6月1日(65歳没) イタリア |
聖人 | |
称号 | 聖人 |
列福 | 1997年11月9日 |
列福決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
列聖 |
2022年10月9日 バチカン |
列聖決定者 | フランシスコ |
ジョヴァンニ・バッティスタ・スカラブリーニ(Giovanni Battista Scalabrini, 1839年7月8日 - 1905年6月1日)は、イタリアの司教、カトリック教会の聖人、スカラブリーニ宣教会創立者[1][2]。
生涯
[編集]スカラブリーニは北イタリア・コモ県フィーノ・モルナスコで8人兄弟の3番目として生まれ、父親は葡萄酒販売業を営んでいた。幼少時から司祭への召命を抱き、1857年、神学校に入学。勉学を重ねて1863年5月30日、司祭に叙階された[2][3]。
1967年、北イタリアに流行したコレラに罹患した人々の看護に当たり政府から勲章を受け、同年、コモの工業地区の主任司祭に任命される。スカラブリーニは司祭として信者への司牧、青少年の育成に携わった[2]。
1876年、ピアチェンツァ教区の司教になり、29年に渡って教区改革、司祭育成、小教区訪問等に務めた。1887年11月18日、スカラブリーニはアメリカ大陸へ移住するイタリア移民の為に「聖カルロ宣教会」を発足、彼らの信仰生活を支えた。更に宣教活動を強めるため1895年、「聖カルロ・ボロメオ宣教修道女会」を創立[2][4]。
スカラブリーニはアメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジル等を訪問し、ブラジル訪問から帰国後、以前からの持病が悪化し手術するも回復することがなく1905年6月1日に死去[5]。
2022年10月9日、教皇フランシスコによってアルテミデ・ザッティ(サレジオ会修道士)と共にバチカンで列聖された[2][3]。
脚注
[編集]- ^ “スカラブリーニ司教とザッティ修道士、聖人に、バチカンで列聖式”. VATICAN NEWS. (2022年10月9日) 2022年11月9日閲覧。
- ^ a b c d e “聖スカラブリーニ司教:移民の父、社会事象捉える司牧的眼差し”. VATICAN NEWS. (2022年10月9日) 2022年11月9日閲覧。
- ^ a b “San Giovanni Battista Scalabrini Vescovo, fondatore”. Santi beati. (2022年5月30日) 2022年11月14日閲覧。
- ^ “GIOVANNI BATTISTA SCALABRINI Cenni biografici”. Scalabriniani(Missionari di S. Carlo Borromeo) 2022年11月14日閲覧。
- ^ “Bp Jan Chrzciciel Scalabrini i Artemides Zatti nowymi świętymi. Papież Franciszek dokonał ich kanonizacji”. DEON.PL 2022年11月14日閲覧。