アルノルド・ヴィオン
アルノルド・ヴィオン(Arnold Wion または Wyon, 1554年5月15日 - 1610年頃)は、フランス出身のベネディクト会修道士。同会に関する歴史をまとめた最初の人物であるが、むしろ現在では、いわゆる『聖マラキの預言』を最初に公刊した人物として知られる。なお、名前はしばしばアルノルド・ド・ヴィオン(Arnold de Wion)とも綴られる。ほかにイタリア語式のアルノルド・ヴイオン(Arnoldo Vuion)、ラテン語式のアルノルドゥス・ウィオン(Arnoldus Wion)などの綴りもある[1]。
生涯
[編集]1554年5月15日[注釈 1]にドゥーエで領主代官の息子に生まれた[2]。地元で学業を修めた後、宗教生活に入ることを決め、ベネディクト会士となった[3][2]。ブルッヘ近郊のオーダンブール (Audembourg / Ardemburg) の大修道院で過ごしていたが、地理的に近いオランダの政治・宗教の状況悪化などが原因で、イタリアに移り住んだ[3][2]。
1577年にモンテ・カッシーノの修道会に受け入れられ[3]、その修道会が所有するマントヴァの修道院に入り、その地で歴史や文学の研究に明け暮れつつ、長年を過ごした[2]。彼の研究成果はいくつかの文献にまとめられたが、そのうちの主著は、1595年にヴェネツィアで上梓した『生命の木』 (Lignum Vitae) 全2巻である。これはベネディクト会の歴史書であるが、現在では、専ら『聖マラキの預言』の初出として知られている[2](とはいえ、『聖マラキの預言』は、この本の中のわずか5ページ弱を占めるに過ぎない)。『聖マラキの預言』は実証的にはほぼ偽書であると見なされており、そのような偽預言に惑わされたヴィオンには、軽率な作家とか批判能力を欠いているといった評価がなされるが、他方で勤勉な学識者ではあったという評価もある[2]。
著作
[編集]- Breve dichiarazione dell' arbore monastico benedittino intitolato Legno della Vita, Venise, 1594, in-8o
- 『生命の木』の草案と言うべき著書で、著名な人物の紹介が含まれている[3]。
- Lignurn vitae, ornamentum et decus Ecclesioe, Venise, 1595, 2 vol. in-4o
- Vita S. Gerardi, martyris et Hungarorum apostoli, Venise, 1597, in-4o
このほかに、刊行されることのなかった七十人訳聖書とヴルガータの年代記を対照した草稿などが残されている[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ Hoefer によるが、Michaud では1554年5月1日になっている。出生地や父の職業は同じ。
出典
[編集]- ^ Wion, Arnold (Notice d'autorité personne)(フランス国立図書館)
- ^ a b c d e f Hoefer(direction), Nouvelle biographie universelle depuis les temps les plus reculés jusqu'à nos jours, Tome 46, Paris, 1866, col.779-780
- ^ a b c d e f g h Louis-Gabriel Michaud, Biographie universelle ancienne et moderne, Paris, Tome 44,s.d.(i.e. 1854), pp.716-717
参考文献
[編集]- Hoefer(direction), Nouvelle biographie universelle depuis les temps les plus reculés jusqu'à nos jours, Tome 46, Paris, 1866
- Louis-Gabriel Michaud, Biographie universelle ancienne et moderne, Paris, Tome 44,s.d.(1854)