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アルベルト・アクィラーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルベルト・アクイラーニ
リヴァプール時代のアクィラーニ (2012年)
名前
ラテン文字 Alberto Aquilani
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1984-07-07) 1984年7月7日(40歳)
出身地 ローマ
身長 185cm
体重 77kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2009 イタリアの旗 ローマ 102 (9)
2003-2004 イタリアの旗 トリエスティーナ(loan) 41 (4)
2009-2012 イングランドの旗 リヴァプール 18 (1)
2010-2011 イタリアの旗 ユヴェントス (loan) 33 (2)
2011-2012 イタリアの旗 ミラン (loan) 23 (1)
2012-2015 イタリアの旗 フィオレンティーナ 81 (13)
2015-2016 ポルトガルの旗 スポルティングCP 19 (3)
2016-2017 イタリアの旗 ペスカーラ 9 (1)
2017 イタリアの旗 サッスオーロ (loan) 16 (0)
2017-2018 スペインの旗 ラス・パルマス 21 (0)
代表歴
2000  イタリア U-16 8 (0)
2000-2001  イタリア U-17 13 (0)
2001-2002  イタリア U-18 8 (0)
2001-2003  イタリア U-19 18 (3)
2003  イタリア U-20 2 (1)
2004-2007  イタリア U-21 20 (5)
2006-2014 イタリアの旗 イタリア 38 (5)
監督歴
2023- イタリアの旗 ピサ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルベルト・アクイラーニAlberto Aquilani, 1984年7月7日 - )は、イタリアローマ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

クラブ経歴

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ローマ出身で地元ASローマの下部組織で育った。2001年にはイングランドプレミアリーグチェルシーアーセナルが獲得に動いたが、「ローマでプレイするのが幼いころからの夢だ」として断っている。2002年5月10日のトリノ戦でセリエAデビュー。翌2003-04シーズンはセリエBトリエスティーナへレンタル移籍した。復帰後はローマの主力となり、2004-05シーズンには計38試合に出場。その後もローマのタイトル獲得や2年連続のセリエA2位・UEFAチャンピオンズリーグベスト8などに貢献するが、慢性的な怪我により絶対的なレギュラー定着には至らなかった。

2008-09シーズン終了後には新たに4年契約を結んだものの、リヴァプールスペインレアル・マドリードへ移籍したシャビ・アロンソの後釜として獲得に動き、2009年8月5日に5年契約の移籍金2000万ユーロで加入した[1]。ただし怪我を負ったままでの移籍だったため開幕から数カ月はリハビリに費やすことになり、10月21日にようやくリザーブチームで試合に出場。10月28日のカーリングカップ・アーセナル戦で途中出場し、リヴァプールでのデビューを果たした。11月9日のバーミンガム・シティ戦ではプレミアリーグデビューを飾り、12月9日のチャンピオンズリーグフィオレンティーナ戦では移籍後初の先発出場を記録した。2010年3月15日のポーツマス戦で移籍後初ゴールを記録したものの、2009-10シーズンは怪我で出場試合も数えるほどしかなく、2010 FIFAワールドカップでもイタリア代表から落選するなど、失意のシーズンとなった。

ラファエル・ベニテスが退任してロイ・ホジソンが新監督に就任してほどなく構想外となり、8月25日にクリスティアン・ポウルセンと入れ替わる形でユヴェントスにレンタル移籍[2]。わずか1シーズンでの国内復帰となった。パサーの少ないユヴェントスにおける貴重な存在として、セントラルハーフのレギュラーに定着した。11月13日の古巣ローマとの初対戦ではヴィンチェンツォ・イアクィンタの先制点をアシストするなど活躍し、マンオブザマッチに選出された。結局7位に低迷しヨーロッパカップ戦への出場権すら得られなかったものの、自身は33試合に出場し2得点・5アシストを記録し復調の気配を見せた。

その後、買取オプションは行使されず2011年6月25日に一旦リヴァプールへ復帰したものの、8月26日にACミランへのレンタル移籍が決まった[3]。ミランでは主にインサイドハーフとして起用された。

シーズン後はリヴァプールにレンタルバックされたが、2012年8月3日にリッカルド・モントリーヴォと入れ替わる形でフィオレンティーナに完全移籍することが発表された[4]

2015年8月6日、ポルトガルのスポルティングCPへ移籍することを、クラブ公式Twitter上で発表した[5]。契約期間は2015年8月までである。

2016年8月26日、ペスカーラに移籍した[6]。2017年1月3日、サッスオーロにレンタル移籍した[7]

2017年8月25日、スペインのUDラス・パルマスにフリーで加入した[8]。契約期間は2年間。

2019年6月、現役引退を発表した[9]

代表経歴

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イタリア代表では2006年11月15日の親善試合・トルコ戦で初出場。その後もEURO2008のメンバーに選ばれるなどコンスタントに招集され続けていたが、レギュラー獲得までには至らなかった。

2008年10月15日のワールドカップ予選モンテネグロ戦では、代表初ゴールとなる先制点と決勝点の2得点を挙げる活躍を見せた。2009年2月10日のブラジル戦以降は招集されず、2010 FIFAワールドカップの出場も逃したが、ユヴェントスでの活躍が評価されて2010年11月14日に1年9ヶ月ぶりに代表に復帰した。2011年8月10日のスペインとの親善試合でおよそ2年ぶりの得点となる決勝ゴールを挙げ、勝利に貢献した。

2014年ワールドカップに臨む23人に選出されたが[10]、イタリアが1次リーグで敗退したこともあり、出場機会は訪れなかった。

引退後

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2020年7月17日、フィオレンティーナのプリマヴェーラの監督に就任した[11]。2023年6月29日、プリマヴェーラの監督を退任した[12]

2023年6月29日、ACピサ1909の監督に就任した[13]

エピソード

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  • ローマ在籍時から故障が多く、ロマニスタからは「スワロフスキー」(ガラス細工)というあだ名をつけられていた[14]
  • ローマの苦しい財政状況などもあってリヴァプール移籍を決断したものの「ローマを去るのは非常に残念だ」とし、全ローマファンに感謝を示した[15]
  • また、ローマのキャプテンであり同じくローマの下部組織出身のフランチェスコ・トッティはリヴァプール移籍を許したフロントを批判した[16]

所属クラブ

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2017年6月23日現在
シーズン クラブ リーグ リーグ カップ 国際大会 その他 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
2002-03 ローマ セリエA 1 0 1 0 - - 2 0
2003-04 トリエスティーナ セリエB 41 4 - - - 41 4
2004-05 ローマ セリエA 29 0 4 0 5 0 - 38 0
2005-06 24 3 4 2 8 1 - 36 6
2006-07 13 1 3 0 5 0 1 2 22 3
2007-08 21 3 4 1 5 0 1 0 31 4
2008-09 14 2 1 0 4 0 1 0 20 2
2009-10 リバプール プレミアリーグ 18 1 2 0 5 1 1 0 26 2
2010-11 0 0 0 0 2 0 0 0 2 0
2010-11 ユヴェントス セリエA 33 2 1 0 0 0 0 0 34 2
2011-12 ミラン 23 1 1 0 7 0 0 0 31 1
2012-13 フィオレンティーナ 25 7 2 0 0 0 0 0 27 7
2013-14 31 6 3 0 10 1 0 0 44 7
2014-15 25 0 2 0 7 1 0 0 34 1
2015-16 スポルティングCP プリメイラ・リーガ 19 3 5 1 8 1 0 0 32 5
2016-17 ペスカーラ セリエA 9 1 0 0 - - 9 1
2016-17 サッスオーロ 16 0 0 0 - - 16 0
通算 イタリア 305 30 26 3 51 3 3 2 385 38
イングランド 18 1 2 0 7 1 1 0 28 2
ポルトガル 19 3 5 1 8 1 0 0 32 5
通算 342 34 33 4 66 5 4 2 445 45

タイトル

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クラブ

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ASローマ

代表

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脚注

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  1. ^ Andy Hunter (2009年8月5日). “Liverpool sign Alberto Aquilani for £20m to fill Xabi Alonso's berth” (英語). The Guardian. 2023年10月13日閲覧。
  2. ^ アクイラーニ、ユーベへレンタル”. ゲキサカ (2010年8月26日). 2023年10月13日閲覧。
  3. ^ Aquilani seals loan move to Milan” (英語). UEFA.com (2011年8月26日). 2023年10月13日閲覧。
  4. ^ BORJA VALERO, GONZALO RODRIGUEZ E AQUILANI ALLA FIORENTINA violachannel.tv(2012-8-3)(イタリア語),2012-8-3閲覧
  5. ^ 田中順也所属のスポルティング、アクイラーニの獲得を発表 footballchannel 2015年8月7日
  6. ^ 元イタリア代表MFアクイラーニがペスカーラと1年契約、オプションで2年延長”. 超ワールドサッカー (2016年8月26日). 2023年10月13日閲覧。
  7. ^ “元ローマMF、サッスオーロへのレンタルが決定”. フットボールチャンネル. (2017年1月4日). https://www.footballchannel.jp/2017/01/04/post192623/ 2018年5月16日閲覧。 
  8. ^ ラス・パルマス、元イタリア代表MFアクイラーニをフリーで獲得!”. 超ワールドサッカー (2017年8月25日). 2018年5月16日閲覧。
  9. ^ 元イタリア代表MFアクイラーニが現役引退を発表”. 超ワールドサッカー (2019年6月29日). 2023年10月13日閲覧。
  10. ^ “Italy squad for 2014 World Cup: the 23 chosen by Cesare Prandelli”. The Guardian. (5 June 2014). https://www.theguardian.com/football/2014/jun/05/italy-squad-world-cup-2014 16 June 2015閲覧。 
  11. ^ 元イタリア代表MFアクイラーニ氏がフィオレンティーナのプリマヴェーラで監督に就任”. 超ワールドサッカー (2020年7月18日). 2023年10月13日閲覧。
  12. ^ アクイラーニがセリエBピサでトップチーム監督初挑戦へ! ヴィオラのプリマヴェーラの指揮官退任を発表”. 超ワールドサッカー (2023年6月29日). 2023年10月13日閲覧。
  13. ^ セリエBのピサ、噂どおりアクイラーニ氏を新監督に招へい!”. 超ワールドサッカー (2023年6月30日). 2023年10月13日閲覧。
  14. ^ アクイラーニ、デビューは2カ月後?”. 朝日新聞社 (2009年8月9日). 2023年10月13日閲覧。
  15. ^ ローマとの別れを惜しむアクイラーニ”. 朝日新聞社 (2009年8月6日). 2023年10月13日閲覧。
  16. ^ トッティ、アクイラーニ放出に怒り”. 朝日新聞社 (2009年8月7日). 2023年10月13日閲覧。

外部リンク

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