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アレッサンドロ・ディアマンティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレッサンドロ・ディアマンティ
EURO2012へ向けたトレーニングにて
(2012年、クラクフ
名前
ラテン文字 Alessandro Diamanti
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1983-05-02) 1983年5月2日(41歳)
出身地 プラート
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF (OMF)
利き足 左足
ユース
1989-1997 イタリアの旗 サンタ・ルチア
1997-2000 イタリアの旗 プラート
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2004 イタリアの旗 プラート 72 (23)
2000-2001 イタリアの旗 エンポリ (loan) 0 (0)
2001-2002 イタリアの旗 フチェッキオイタリア語版(loan) 24 (3)
2002-2003 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 3 (0)
2004-2006 イタリアの旗 アルビーノレッフェ 26 (0)
2007-2009 イタリアの旗 リヴォルノ 63 (24)
2009-2010 イングランドの旗 ウェストハム 28 (7)
2010-2011 イタリアの旗 ブレシア 32 (6)
2011-2014 イタリアの旗 ボローニャ 83 (19)
2014-2016 中華人民共和国の旗 広州恒大 24 (4)
2015 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 11 (2)
2015-2016 イングランドの旗 ワトフォード (loan) 3 (0)
2016 イタリアの旗 アタランタ (loan) 16 (1)
2016-2017 イタリアの旗 パレルモ 31 (1)
2018 イタリアの旗 ペルージャ 13 (2)
2018-2019 イタリアの旗 リヴォルノ 32 (10)
2019-2023 オーストラリアの旗 ウェスタン・ユナイテッド 82 (11)
代表歴
2010-2013 イタリアの旗 イタリア 17 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレッサンドロ・ディアマンティAlessandro Diamanti, 1983年5月2日 - )は、イタリアプラート出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴

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プラート

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1999年に生まれ故郷のクラブであるACプラートでデビュー。エンポリFCACFフィオレンティーナへのレンタル移籍を経験した後、2004年にUCアルビーノレッフェに共同保有権が譲渡される。同チームで1シーズン半プレーした後、2006年にプラートが保有権を買い戻した。2006-07シーズンは3シーズン振りに復帰した古巣でセリエC2を舞台に戦い、31試合で15得点を挙げた。

リヴォルノ

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この活躍が認められ、2007年夏にセリエAASリヴォルノ・カルチョへ完全移籍。1年目から14試合に先発し12試合で途中出場したが、クラブは最下位に終わりセリエBへ降格。2年目はリーグ戦とカップ戦で計39試合に出場して20得点を挙げるなど攻撃の中心を担い、クラブのセリエA復帰の原動力となった。これによりインテルナツィオナーレ・ミラノをはじめとする国内外のクラブの注目を集め、2009年夏の移籍市場でその動向が注目された。

ウェストハム

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2009-10シーズン開幕直後に同胞のジャンフランコ・ゾラが率いるプレミアリーグウェストハム・ユナイテッドFCに5年契約で完全移籍[1]。サポーターによるシーズンMVP投票ではスコット・パーカーに次ぐ2位に選ばれたが[2]、ゾラが解任されたこともあり1年で国内復帰を決意する。

ブレシア

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2010年夏の移籍市場でブレシア・カルチョに移籍。移籍金は220万ユーロ(約2億4000万円)[3]。32試合に出場しアンドレア・カラッチョロに次いでチーム内2位の6得点を挙げたが、クラブはリーグ19位でシーズンを終えセリエBに降格した。

ボローニャ

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2011年夏の移籍市場でボローニャFCに共同保有権が譲渡され、2011-12シーズンは同クラブでプレーすることになった[4]。2012年4月12日のカリアリ・カルチョ戦では決勝点となるフリーキックを決め、クラブの1部残留を手繰り寄せた[5]。なお、このゴールを祝う際にユニフォームを脱いで愛妻へのメッセージが書かれたアンダーシャツを見せたが、この行為でイエローカードを受けている。

広州恒大

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2014年2月7日、中国スーパーリーグ広州恒大足球倶楽部への移籍が発表された[6]

フィオレンティーナ

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2015年1月10日、広州恒大足球倶楽部から半年レンタル、200万ユーロで完全移籍のオプション付きでACFフィオレンティーナに移籍することが発表された[7]。2014-15シーズン途中に加入で公式戦15試合に出場して2ゴールを記録していたが、完全移籍には至らなかった。

ワトフォード

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2015年8月17日、イングランドのワトフォードFCへレンタル移籍をした[8]

アタランタ

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2016年1月13日、ワトフォードへのレンタルを予定を早め終了し、アタランタBCにレンタル移籍した[9]

パレルモ

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2016年8月29日、パレルモへとフリーで移籍した[10]。契約期間は2年間であったが、2017年8月に契約を解除した[11]

ペルージャ

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パレルモ退団以降、無所属の状態が続いたが、2018年2月17日、セリエBのペルージャ・カルチョと契約した[11]。背番号は21番。

リヴォルノ復帰

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2018年7月13日、リヴォルノへ9年振りに復帰することが発表された[12]

ウェスタン・ユナイテッド

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2019年7月26日、2019-20シーズンからAリーグ参入のウェスタン・ユナイテッドとマーキープレーヤーとして1年契約したことを発表した。背番号は23番。

2023年4月24日、4月29日のパース・グローリーFC戦を最後に現役を引退することを表明した[13]

代表歴

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EURO 2012準々決勝イングランド戦でイタリアの勝利を決めたディアマンティのPK

2010年11月17日、ルーマニアとの親善試合でイタリア代表デビューを果たし、前半のみで退いた。

代表歴わずか1キャップで予選にも出場していなかったが、チェーザレ・プランデッリ監督によりEURO2012のメンバーに抜擢される[14]。グループリーグ第3戦のアイルランド戦に途中出場すると、コーナーキックからマリオ・バロテッリのゴールをアシストした。準々決勝のイングランド戦でも後半にアントニオ・カッサーノとの交代で出場。延長戦ではクロスがポストを叩く惜しい場面を演出し、PK戦では5人目のキッカーを任されると落ち着いてこれを決め、チームの準決勝進出に貢献した。

FIFAコンフェデレーションズカップ2013の3位決定戦、ウルグアイ戦で代表初得点を挙げた。

しかし、2014年ブラジルW杯では、プランデッリ監督が国外組の招集に消極的なこともあり、2014年2月に中国に移籍したために本大会メンバーから落選した。

指導歴

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選手引退から間もない2023年7月12日にAリーグ・メンメルボルン・シティFCのシニアアカデミーコーチに就任した[15]

プレースタイル

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トップ下(トレクァルティスタ)でのプレーを得意とする左利きのファンタジスタ[16][17]。好不調の波は激しいが、運動量豊富で創造性も確かと評される[18]キックの精度が高く、流れの中からでも無回転シュートを放つことができる[要出典]

タイトル

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広州恒大

脚注

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  1. ^ ウェスト・ハムがディアマンティを獲得
  2. ^ Scott Parker has been voted as 2009/10 Hammer of the Year by West Ham United supporters
  3. ^ ブレシア、ウェストハムのディアマンティを獲得
  4. ^ ボローニャ、共同保有でディアマンティ獲得
  5. ^ ボローニャ12位浮上 残留に前進
  6. ^ 亚历山德罗·迪亚曼蒂(Alessandro Diamanti)正式加盟广州恒大足球俱乐部
  7. ^ フィオレンティーナ、広州恒大FWディアマンティのレンタル加入発表サッカーキング2015年1月10日
  8. ^ 広州恒大所属のFWディアマンティ、ワトフォードへレンタル移籍決定soccerking 2015年8月18日
  9. ^ ディアマンティがイタリア復帰 レンタルでアタランタに加入”. goal.com (2016年1月13日). 2018年4月9日閲覧。[リンク切れ]
  10. ^ 広州恒大の元イタリア代表FWディアマンティがパレルモにフリーで加入…昨季はワトフォード、アタランタでプレー”. 超ワールドサッカー (2016年8月29日). 2018年4月9日閲覧。
  11. ^ a b 元イタリア代表FWがペルージャと契約「ラヴァネッリとナカタのときから好き」”. 超ワールドサッカー (2018年2月20日). 2018年4月9日閲覧。
  12. ^ Calciomercato Livorno, ufficiale: Diamanti a titolo definitivo”. Corriere dello Sport (2018年7月13日). 2018年7月22日閲覧。
  13. ^ Rotondaro, Vittorio (24 April 2023). “Diamanti lascia il calcio giocato: ritiro a quasi 40 anni” (イタリア語). Goal. 2023年5月22日閲覧。
  14. ^ Mario Balotelli in Italy's provisional squad for Euro 2012”. London: BBC Sport.com (13 May 2012). 14 May 2012閲覧。
  15. ^ "ITALIAN FOOTBALL ICON JOINS CITY AS SENIOR ACADEMY COACH" (Press release). メルボルン・シティFC. 12 July 2023. 2023年7月15日閲覧
  16. ^ ディアマンティ「もしボローニャに来ていなかったら、プレミアに帰っていた」
  17. ^ トッティを口撃するディアマンティ 「偉大な選手だけど…」
  18. ^ コラム:イタリアの勝利を決めた5つの場面

関連項目

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外部リンク

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