アレッサンドロ・ディアマンティ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Alessandro Diamanti | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1983年5月2日(41歳) | |||||
出身地 | プラート | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (OMF) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1989-1997 | サンタ・ルチア | |||||
1997-2000 | プラート | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2004 | プラート | 72 | (23) | |||
2000-2001 | → エンポリ (loan) | 0 | (0) | |||
2001-2002 | → フチェッキオ(loan) | 24 | (3) | |||
2002-2003 | → フィオレンティーナ (loan) | 3 | (0) | |||
2004-2006 | アルビーノレッフェ | 26 | (0) | |||
2007-2009 | リヴォルノ | 63 | (24) | |||
2009-2010 | ウェストハム | 28 | (7) | |||
2010-2011 | ブレシア | 32 | (6) | |||
2011-2014 | ボローニャ | 83 | (19) | |||
2014-2016 | 広州恒大 | 24 | (4) | |||
2015 | → フィオレンティーナ (loan) | 11 | (2) | |||
2015-2016 | → ワトフォード (loan) | 3 | (0) | |||
2016 | → アタランタ (loan) | 16 | (1) | |||
2016-2017 | パレルモ | 31 | (1) | |||
2018 | ペルージャ | 13 | (2) | |||
2018-2019 | リヴォルノ | 32 | (10) | |||
2019-2023 | ウェスタン・ユナイテッド | 82 | (11) | |||
代表歴 | ||||||
2010-2013 | イタリア | 17 | (1) | |||
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アレッサンドロ・ディアマンティ(Alessandro Diamanti, 1983年5月2日 - )は、イタリア・プラート出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
経歴
[編集]プラート
[編集]1999年に生まれ故郷のクラブであるACプラートでデビュー。エンポリFCやACFフィオレンティーナへのレンタル移籍を経験した後、2004年にUCアルビーノレッフェに共同保有権が譲渡される。同チームで1シーズン半プレーした後、2006年にプラートが保有権を買い戻した。2006-07シーズンは3シーズン振りに復帰した古巣でセリエC2を舞台に戦い、31試合で15得点を挙げた。
リヴォルノ
[編集]この活躍が認められ、2007年夏にセリエAのASリヴォルノ・カルチョへ完全移籍。1年目から14試合に先発し12試合で途中出場したが、クラブは最下位に終わりセリエBへ降格。2年目はリーグ戦とカップ戦で計39試合に出場して20得点を挙げるなど攻撃の中心を担い、クラブのセリエA復帰の原動力となった。これによりインテルナツィオナーレ・ミラノをはじめとする国内外のクラブの注目を集め、2009年夏の移籍市場でその動向が注目された。
ウェストハム
[編集]2009-10シーズン開幕直後に同胞のジャンフランコ・ゾラが率いるプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCに5年契約で完全移籍[1]。サポーターによるシーズンMVP投票ではスコット・パーカーに次ぐ2位に選ばれたが[2]、ゾラが解任されたこともあり1年で国内復帰を決意する。
ブレシア
[編集]2010年夏の移籍市場でブレシア・カルチョに移籍。移籍金は220万ユーロ(約2億4000万円)[3]。32試合に出場しアンドレア・カラッチョロに次いでチーム内2位の6得点を挙げたが、クラブはリーグ19位でシーズンを終えセリエBに降格した。
ボローニャ
[編集]2011年夏の移籍市場でボローニャFCに共同保有権が譲渡され、2011-12シーズンは同クラブでプレーすることになった[4]。2012年4月12日のカリアリ・カルチョ戦では決勝点となるフリーキックを決め、クラブの1部残留を手繰り寄せた[5]。なお、このゴールを祝う際にユニフォームを脱いで愛妻へのメッセージが書かれたアンダーシャツを見せたが、この行為でイエローカードを受けている。
広州恒大
[編集]2014年2月7日、中国スーパーリーグ・広州恒大足球倶楽部への移籍が発表された[6]。
フィオレンティーナ
[編集]2015年1月10日、広州恒大足球倶楽部から半年レンタル、200万ユーロで完全移籍のオプション付きでACFフィオレンティーナに移籍することが発表された[7]。2014-15シーズン途中に加入で公式戦15試合に出場して2ゴールを記録していたが、完全移籍には至らなかった。
ワトフォード
[編集]2015年8月17日、イングランドのワトフォードFCへレンタル移籍をした[8]。
アタランタ
[編集]2016年1月13日、ワトフォードへのレンタルを予定を早め終了し、アタランタBCにレンタル移籍した[9]。
パレルモ
[編集]2016年8月29日、パレルモへとフリーで移籍した[10]。契約期間は2年間であったが、2017年8月に契約を解除した[11]。
ペルージャ
[編集]パレルモ退団以降、無所属の状態が続いたが、2018年2月17日、セリエBのペルージャ・カルチョと契約した[11]。背番号は21番。
リヴォルノ復帰
[編集]2018年7月13日、リヴォルノへ9年振りに復帰することが発表された[12]
ウェスタン・ユナイテッド
[編集]2019年7月26日、2019-20シーズンからAリーグ参入のウェスタン・ユナイテッドとマーキープレーヤーとして1年契約したことを発表した。背番号は23番。
2023年4月24日、4月29日のパース・グローリーFC戦を最後に現役を引退することを表明した[13]。
代表歴
[編集]2010年11月17日、ルーマニアとの親善試合でイタリア代表デビューを果たし、前半のみで退いた。
代表歴わずか1キャップで予選にも出場していなかったが、チェーザレ・プランデッリ監督によりEURO2012のメンバーに抜擢される[14]。グループリーグ第3戦のアイルランド戦に途中出場すると、コーナーキックからマリオ・バロテッリのゴールをアシストした。準々決勝のイングランド戦でも後半にアントニオ・カッサーノとの交代で出場。延長戦ではクロスがポストを叩く惜しい場面を演出し、PK戦では5人目のキッカーを任されると落ち着いてこれを決め、チームの準決勝進出に貢献した。
FIFAコンフェデレーションズカップ2013の3位決定戦、ウルグアイ戦で代表初得点を挙げた。
しかし、2014年ブラジルW杯では、プランデッリ監督が国外組の招集に消極的なこともあり、2014年2月に中国に移籍したために本大会メンバーから落選した。
指導歴
[編集]選手引退から間もない2023年7月12日にAリーグ・メンのメルボルン・シティFCのシニアアカデミーコーチに就任した[15]。
プレースタイル
[編集]トップ下(トレクァルティスタ)でのプレーを得意とする左利きのファンタジスタ[16][17]。好不調の波は激しいが、運動量豊富で創造性も確かと評される[18]。キックの精度が高く、流れの中からでも無回転シュートを放つことができる[要出典]。
タイトル
[編集]- 広州恒大
脚注
[編集]- ^ ウェスト・ハムがディアマンティを獲得
- ^ Scott Parker has been voted as 2009/10 Hammer of the Year by West Ham United supporters
- ^ ブレシア、ウェストハムのディアマンティを獲得
- ^ ボローニャ、共同保有でディアマンティ獲得
- ^ ボローニャ12位浮上 残留に前進
- ^ 亚历山德罗·迪亚曼蒂(Alessandro Diamanti)正式加盟广州恒大足球俱乐部
- ^ フィオレンティーナ、広州恒大FWディアマンティのレンタル加入発表サッカーキング2015年1月10日
- ^ 広州恒大所属のFWディアマンティ、ワトフォードへレンタル移籍決定soccerking 2015年8月18日
- ^ “ディアマンティがイタリア復帰 レンタルでアタランタに加入”. goal.com (2016年1月13日). 2018年4月9日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “広州恒大の元イタリア代表FWディアマンティがパレルモにフリーで加入…昨季はワトフォード、アタランタでプレー”. 超ワールドサッカー (2016年8月29日). 2018年4月9日閲覧。
- ^ a b “元イタリア代表FWがペルージャと契約「ラヴァネッリとナカタのときから好き」”. 超ワールドサッカー (2018年2月20日). 2018年4月9日閲覧。
- ^ “Calciomercato Livorno, ufficiale: Diamanti a titolo definitivo”. Corriere dello Sport (2018年7月13日). 2018年7月22日閲覧。
- ^ Rotondaro, Vittorio (24 April 2023). “Diamanti lascia il calcio giocato: ritiro a quasi 40 anni” (イタリア語). Goal. 2023年5月22日閲覧。
- ^ “Mario Balotelli in Italy's provisional squad for Euro 2012”. London: BBC Sport.com (13 May 2012). 14 May 2012閲覧。
- ^ "ITALIAN FOOTBALL ICON JOINS CITY AS SENIOR ACADEMY COACH" (Press release). メルボルン・シティFC. 12 July 2023. 2023年7月15日閲覧。
- ^ ディアマンティ「もしボローニャに来ていなかったら、プレミアに帰っていた」
- ^ トッティを口撃するディアマンティ 「偉大な選手だけど…」
- ^ コラム:イタリアの勝利を決めた5つの場面
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- espn.go.com
- Alessandro Diamanti - player profile Transfermarkt