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アル・ハリントン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アル・ハリントン
Al Harrington
ワシントン・ウィザーズでのハリントン
(2014年)
引退
愛称 Big Al
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1980-02-17) 1980年2月17日(44歳)
出身地 ニュージャージー州オレンジ
身長(現役時) 206cm (6 ft 9 in)
体重(現役時) 111kg (245 lb)
キャリア情報
出身 セントパトリック高校 (ニュージャージー州)
NBAドラフト 1998年 / 1巡目 / 全体25位[1]
プロ選手期間 1998年–現在
ポジション PF
背番号歴 3, 32, 7
選手経歴
1998-2004
2004-2006
2006-2007
2007-2008
2008-2010
2010-2012
2012-2013
2013-2014
2014
2015-2016
インディアナ・ペイサーズ
アトランタ・ホークス
インディアナ・ペイサーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ニューヨーク・ニックス
デンバー・ナゲッツ
オーランド・マジック
ワシントン・ウィザーズ
中華人民共和国の旗 福建スタージョンズ
オーストラリアの旗 シドニー・キングス
指導者経歴
2022 ケープタウン・タイガース英語版(AC)
Stats Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

アルバート・ハリントンAlbert Harrington, 1980年2月17日 - )はアメリカ合衆国ニュージャージー州オレンジ出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはフォワード。大学を経ずにNBA入りし、16シーズンをプレーした。

略歴

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高卒のNBA選手の一人。地元のセントパトリック高校でUSAトゥデイ紙選出のプレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

インディアナ・ペイサーズ

1998年のNBAドラフトインディアナ・ペイサーズから全体の25位指名を受けてNBA入りを果たした。ペイサーズには6シーズン在籍し、主にベンチスタートであった。デビュー後2年は芳しくない成績だったが、3年目には初のスターター出場、4年目には二桁得点、5年目には全試合出場を記録して着実に成長した。2002-03シーズン、チームでただ一人全82試合に出場し、平均13.3得点でNBAシックスマン賞の投票で2位につけた。2003-04シーズンは平均得点で前年をさらに上回った。

アトランタ・ホークスとペイサーズ復帰

2004年オフにアトランタ・ホークスに移籍。アントワン・ウォーカーと共にチーム再建の中心選手となる。 その年アトランタは最下位の成績に沈むが、ジョシュ・スミスジョシュ・チルドレスなど、有望な若手をそろえ、将来を賭けることになった。ハリントン自身もキャリアアベレージを更新した。2005-2006シーズン開幕前、アトランタはフェニックス・サンズからジョー・ジョンソンを大型契約で獲得。ハリントンとの2枚看板を張った。しかしながら、わずかに23勝しか挙げられなかった。

2006年8月、トレードで古巣であるインディアナに復帰した。かねてから移籍が既定路線だったが、なかなか移籍先が決まらず、8月下旬になってようやく決定した。ドアマットチームであるアトランタでの選手生活は、決して満足できるものではなかったと、複雑な胸中を明かした。

ゴールデンステート・ウォリアーズ

2006-07シーズン途中の1月17日、トレードによりマイク・ダンリービー・ジュニアトロイ・マーフィーアイク・ディオグキース・マクリオドと交換で、スティーブン・ジャクソンシャルーナス・ヤシケヴィチュスジョシュ・パウエルと共にゴールデンステート・ウォリアーズへ移籍した。古巣ですごしたシーズンは1シーズン続かなかった。 ウォリアーズはNBA一のランアンドガンオフェンスを敷くチームであり、ビッグマンでありながらアウトサイドシュートが得意なハリントンは戦術にフィットし中心選手の1人となった。

ニューヨーク・ニックス

2008年途中、ジャマール・クロフォードとのトレードでニューヨーク・ニックスへ移籍した。ニックス移籍後は試合相手によって先発とベンチ出場の起用が続いた。

デンバー・ナゲッツ

2009-10シーズン後、FAでデンバー・ナゲッツに移籍した。

オーランド・マジック

2012年8月10日、トレードでオーランド・マジックに移籍。シーズン終了後にアムネスティ条項を行使され、解雇された。

ワシントン・ウィザーズ

2013年8月14日、ワシントン・ウィザーズに移籍した。

現役引退

2015年3月18日、現役引退を発表した。

大学を経ずにNBA入りし、16シーズンをプレーした。同条件で15シーズン以上のプレーヤーは他に、ケビン・ガーネットコービー・ブライアントジャーメイン・オニールラシャード・ルイスだけである[1]

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

NBA

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レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1998–99 IND 21 0 7.6 .321 .000 .600 1.9 .2 .2 .1 2.1
1999–00 50 0 17.1 .458 .235 .703 3.2 .8 .5 .2 6.6
2000–01 78 38 24.3 .444 .143 .656 4.9 1.7 .8 .2 7.5
2001–02 44 1 29.8 .475 .333 .799 6.3 1.2 .9 .5 13.1
2002–03 82 37 30.1 .434 .283 .770 6.2 1.5 .9 .4 12.2
2003–04 79 15 30.9 .463 .273 .734 6.4 1.7 1.0 .3 13.3
2004–05 ATL 66 66 38.6 .459 .216 .672 7.0 3.2 1.3 .2 17.5
2005–06 76 76 36.6 .452 .346 .694 6.9 3.1 1.1 .2 18.6
2006–07 IND 36 36 33.6 .458 .458 .713 6.3 1.4 .7 .3 15.9
GSW 42 42 32.3 .456 .417 .681 6.4 2.3 1.0 .3 17.0
2007–08 81 59 27.0 .434 .375 .774 5.4 1.6 .9 .2 13.6
2008–09 5 5 33.2 .329 .393 .500 5.6 2.0 1.4 .0 12.4
NYK 68 51 35.0 .446 .362 .804 6.3 1.4 1.2 .3 20.7
2009–10 72 15 30.5 .435 .342 .757 5.6 1.5 .9 .4 17.7
2010–11 DEN 73 3 22.8 .416 .357 .735 4.5 1.4 .5 .1 10.5
2011–12 64 1 27.5 .446 .333 .676 6.1 1.4 .9 .2 14.2
2012–13 ORL 10 0 11.9 .351 .267 .750 2.7 1.0 .4 .1 5.1
2013–14 WAS 34 0 15.0 .396 .340 .771 2.4 .8 .4 .0 6.6
通算 981 445 28.6 .444 .352 .727 5.6 1.7 .9 .3 13.5

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2001 IND 3 0 13.3 .154 .000 .500 1.3 1.0 .0 .0 1.7
2003 6 0 17.2 .212 .000 .667 3.7 .8 1.0 .5 3.0
2004 16 2 26.7 .429 .400 .545 6.4 .8 1.4 .6 9.5
2007 GSW 11 5 23.8 .398 .395 .633 4.6 .5 .5 .6 10.2
2011 DEN 5 0 14.0 .455 .500 .750 1.4 1.0 .6 .0 5.6
2012 7 0 23.3 .320 .286 .667 4.3 .9 .4 .1 9.7
2014 WAS 7 0 8.4 .400 .000 .714 2.3 .0 .6 .0 2.4
通算 55 7 20.4 .374 .317 .605 4.2 .7 .8 .4 7.3

その他

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脚注

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  1. ^ Al Harrington retires after 16 seasons”. ESPN.com (2015年3月18日). 2015年3月22日閲覧。

外部リンク

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