アレキサンダー・アームストロング (メリーランド州司法長官)
アレキサンダー・アームストロング(Alexander Armstrong、1877年6月28日 - 1939年11月20日)は、1919年から1923年までメリーランド州司法長官を務めた、アメリカ合衆国の法律家[1]。アレキサンダー・アームストロング3世 (Alexander Armstrong III) ともいい、銀行員や弁護士を務めた後[2]、共和党から州司法長官となった[1]。
生涯
[編集]メリーランド州ワシントン郡ヘイガーズタウンに[3]、弁護士で、後に民主党から州議会議員となった同名の父アレキサンダー・アームストロングの長男として生まれ[4]、長老派教会に属した[1]。
高等学校まで地元で学んだ後、プリンストン大学へ進み、1899年に学士 (A.B.)、1900年に修士 (A.M.) を得た後、ペンシルベニア大学法律学校に転じて1903年に法学士 (LL.B.) となり、1904年に弁護士資格を得た[5]。
地元ヘイガーズタウンで弁護士として開業した直後に、市の検事に選ばれ1906年までその任に就き、次いで1907年秋の選挙でワシントン郡担当の州検事に当選して1908年から1912年までの1期を務めた[5]。1919年の選挙で、州司法長官(州検事総長)に当選し、1923年まで1期を務めた[1][5]。
アームストロングは、ボルチモア郡ラクストン(Ruxton:後の Ruxton-Riderwood の一部)で死去し、ヘイガーズタウンのローズ・ヒル墓地 (Rose Hill Cemetery) に埋葬された[1]。
子孫
[編集]同名の息子アレキサンダー・アームストロングは、長じてボルチモアの有名なプレップ・スクールであるギルマン・スクール (Gilman School) の英語教師となった[2]。その子である女優ベス・アームストロングは、孫娘にあたる[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Archives of Maryland Historical List Attorneys General, 1777-”. Maryland State Archives. 2014年9月2日閲覧。
- ^ a b “Alexander Armstrong, 89, Gilman teacher”. The Baltimore Sun. (2003年12月11日) 2014年9月2日閲覧。
- ^ “Mac/McPherson of PA, Ladd of Maine and Related Families - ID: I31225”. Ancestry.com. 2014年9月2日閲覧。
- ^ “Mac/McPherson of PA, Ladd of Maine and Related Families - ID: I7833”. Ancestry.com. 2014年9月2日閲覧。
- ^ a b c “Attorney-General: ALEXANDER ARMSTRONG (Bepublican)[sic.]”. Maryland Manual, 1923. 134. p. 196 2014年9月2日閲覧。
- ^ “AFRO talks with Bess Armstrong”. The Afro American: p. 12. (1983年3月26日) 2014年9月2日閲覧。