アレクサンダー・シンクレア (第13代ケイスネス伯爵)
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第13代ケイスネス伯爵アレクサンダー・キャンベル・シンクレア(英語: Alexander Campbell Sinclair, 13th Earl of Caithness、1790年7月24日 – 1855年12月24日)は、スコットランド貴族。1823年から1855年までケイスネス統監を務めた。
生涯
[編集]第12代ケイスネス伯爵ジェームズ・シンクレアと妻ジーン(Jean、旧姓キャンベル(Campbell)、1769年頃 – 1853年4月2日、アレクサンダー・キャンベルの娘)の次男(長男ジョンは1802年6月1日に13歳で死去)として、1790年7月24日にバロギル城で生まれた[1]。1807年頃にイギリス陸軍で士官を務めた[1]。
1813年11月22日、フランシス・ハリエット・リー(Francis Harriet Leigh、1854年8月23日没、ヘレフォード聖堂首席司祭ウィリアム・リーの娘)と結婚[1]、3男をもうけた[2]。
- ジェームズ(1821年12月16日 – 1881年3月28日) - 第14代ケイスネス伯爵
- ウィリアム・リー・カニング(William Leigh Canning、1825年 – 1834年1月3日)
- アレクサンダー・エリック・ジョージ(1827年5月20日 – 1857年8月21日)
1823年7月16日に父が死去すると、ケイスネス伯爵位を継承、同年8月19日から1855年12月24日までケイスネス統監を務めた[3]。
1855年12月24日にエディンバラで死去、息子ジェームズが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 483.
- ^ "Caithness, Earl of (S, 1455)". Cracroft's Peerage (英語). 21 March 2005. 2020年12月3日閲覧。
- ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lord-Lieutenants of Counties (Scotland) 1794-". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月3日閲覧。
名誉職 | ||
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ケイスネス統監 1823年 – 1855年 |
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ケイスネス伯爵 1823年 – 1855年 |
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