アレクセイ・ゲルマン
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アレクセイ・ゲルマン Alexei Gherman | |
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夫妻の肖像写真(墓に飾られているもの) | |
本名 |
アレクセイ・ユーリェヴィチ・ゲルマン Алексей Юрьевич Герман |
生年月日 | 1938年7月20日 |
没年月日 | 2013年2月21日(74歳没) |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、レニングラード |
死没地 | ロシア、サンクトペテルブルク |
国籍 | ロシア |
職業 | 映画監督、脚本家、俳優 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1968年 - 2013年 |
主な作品 | |
『フルスタリョフ、車を!』 |
アレクセイ・ゲルマン (ロシア語: Алексей Герман, ラテン文字転写: Aleksei German, 1938年7月20日 - 2013年2月21日) は、ロシアの映画監督。
来歴
[編集]1938年7月20日、旧ソ連のレニングラードで生まれた。父親は作家のユーリー・ゲルマン。息子は映画監督のアレクセイ・ゲルマン・ジュニア。1960年までグリゴーリ・コージンツェフの元で映画製作を学んだ。
1968年、長編『7番目の道づれ』をグリゴーリ・アロノフと共同で監督し、映画監督としてデビュー。1971年には父ユーリーの小説を映画化した『道中の点検』を発表。しかし、検閲により上映禁止処分を受け、1986年までの15年間公開されなかった。以後も『戦争のない20日間』(1976年)、『わが友イワン・ラプシン』(1984年)といった作品を発表した。
その後、1980年代後半からのペレストロイカを受け、1987年にロッテルダム国際映画祭でそれまでの3作品に対してKNF賞が授与された。1998年の『フルスタリョフ、車を!』は第51回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された。
15年ぶりに映画監督に復帰したストルガツキー兄弟の小説を映画化した『神々のたそがれ』の撮影後に2013年2月21日、サンクトペテルブルクにて74歳で死去した[1]。 死亡後、同作は妻と息子によって完成し、2013年11月13日に同作はローマ国際映画祭で上映され、ゲルマン監督に生涯功労賞が受賞された。
監督作品
[編集]- 7番目の道づれ Седьмой спутник (1968年) グリゴーリ・アロノフの共同監督
- 道中の点検 Проверка на дорогах (1971年)
- 戦争のない20日間 Двадцать дней без войны (1976年)
- わが友イワン・ラプシン Мой друг Иван Лапшин (1984年)
- フルスタリョフ、車を! Хрусталёв, машину! (1998年)
- 神々のたそがれ Трудно быть богом (2013年)
脚注
[編集]- ^ アレクセイ・ゲルマン氏死去=ソ連・ロシアの映画監督 時事ドットコム 2013年2月24日