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アレゲニー航空853便空中衝突事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレゲニー航空 853便
個人所有機
事故の概要
日付 1969年9月9日
概要 空中衝突
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国インディアナ州シェルビー郡モラル
北緯39度37分02秒 西経85度55分14秒 / 北緯39.61722度 西経85.92056度 / 39.61722; -85.92056座標: 北緯39度37分02秒 西経85度55分14秒 / 北緯39.61722度 西経85.92056度 / 39.61722; -85.92056
死者総数 83 (全員)
生存者総数 0
第1機体

事故機と同型のDC-9-31
機種 マクドネル・ダグラス DC-9-31
運用者 アメリカ合衆国の旗 アレゲニー航空
機体記号 N988VJ
出発地 アメリカ合衆国の旗 ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港
第1経由地 アメリカ合衆国の旗 フレンドシップ国際空港
第2経由地 アメリカ合衆国の旗 グレーター・シンシナティ空港
第3経由地 アメリカ合衆国の旗 インディアナポリス国際空港
目的地 アメリカ合衆国の旗 セントルイス・ランバート国際空港
乗客数 78
乗員数 4
死者数 82 (全員)
生存者数 0
第2機体

事故機と同型のパイパーPA-28
機種 パイパーPA-28-140
運用者 個人所有
機体記号 N7374J
出発地 アメリカ合衆国の旗 ブルックサイド・エアパーク
目的地 アメリカ合衆国の旗 コロンバス市営空港英語版
乗客数 0
乗員数 1
死者数 1 (全員)
生存者数 0
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アレゲニー航空853便空中衝突事故(あれげにーこうくう853びんくうちゅうしょうとつじこ)は、1969年9月9日アメリカ合衆国で発生した航空事故である。アレゲニー航空の旅客機と一人の訓練生が飛行していた訓練機との空中衝突により両機体は破壊され、それぞれに搭乗していた計83人の乗員乗客全員が死亡した[1]

飛行の詳細

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事故機

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事故機のマクドネル・ダグラス DC-9-31(N988VJ)は製造番号47211として1968年7月に製造され、同年8月9日にアレゲニー航空に納入された。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー JT8Dが搭載されており、総飛行時間は3,170時間であった[2]

乗員

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アレゲニー航空853便

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機長は47歳の男性で、総飛行時間は23,813時間であり、そのうち900時間がDC-9での飛行時間であった。DC-9の他にDC-3コンベア240コンベア340コンベア440の操縦資格を保有していた。

副操縦士は26歳の男性で、総飛行時間は2,980時間であり、そのうち651時間がDC-9での飛行時間であった[3][4]

パイパー PA-28

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パイロットは34歳の男性であった[3][4]

概要

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アレゲニー航空853便はボストンセントルイスボルチモアシンシナティインディアナポリス経由で結ぶ定期便だった。 853便は現地時間の15時15分にインディアナポリスへ向けシンシナティの空港を離陸し、IFRでインディアナポリスへ向かっていた。インディアナポリスの管制官は853便にシェルビービルのVORを6,000フィート (1,800 m)の高度で通過後2,500フィート (760 m)へ高度を下げるよう指示した。その後機体は280度の方向へ進んだ[1]

一方その頃、民間のパイパーPA-28が南東方向へ飛行していた。この機体はVFR方式の飛行計画を提出していて、計画上では3,500フィート (1,100 m)の巡航高度が示されていた。このPA-28にはトランスポンダが搭載されておらず、航空管制との連絡を取っていなかった[5]。また、レーダースコープにも同機は認識されていなかったとされている[1]

2機は相対速度350 mph (300 kn; 560 km/h)で衝突した。衝突により853便の尾翼部分が破壊され、制御を失った機体はひっくり返りそのまま400 mph (350 kn; 640 km/h)の速度で大豆畑に墜落した[6]

一方のパイパーは左翼の付け根付近にダメージを受け、こちらもそのまま墜落している[6]

事故調査

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国家運輸安全委員会(NTSB)は事故調査報告書で以下にまとめている[1]

委員会はFAA航空管制において計器飛行方式(IFR)及び有視界飛行(VFR)方式が混在している事により、事故回避能力が低くなっていると結論付けた。低くなっている事として挙げられるのは今回の事例のような回避の手順の欠如、全ての機体を捉える事が出来ないレーダーの技術的限界、及びIFRとVFRを両立させる事が可能なシステムがまだ構築されていない事がある。

影響

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NTSBとFAAはこの事故でそれまでの原則であった「相手を見合う」というもの限界を、特に今回の事故のような航空機同士が視界が制限されている中異なる速度で飛行している状態において痛烈に感じた[1]。この事故後から数年にかけて両組織は様々な改善策を取っている。

  • トランスポンダは現在全ての旅客機及びゼネラル・アビエーションに用いられる機体のほとんどに搭載されていて[7]、遅い飛行機や視界が効き辛い状況でもレーダーでもレーダーで拾えるようになっている。
  • IFRとVFRの分離をより円滑に進めるため、定期便が運用されているほとんどの空港(ICAOクラスB及びC指定)には制限空域が設けられ、トランスポンダの使用と航空管制官との連絡が義務付けられている[8]
  • 現在運行されている旅客機のほとんどはACASもしくはTCASを装備し、空中衝突を未然に防いでいる[7]。同様に地上のATCのレーダーには同様の警報装置が設置されている。

出典

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  1. ^ a b c d e Aircraft Accident Report, Allegheny Airlines, Inc., DC-9, N988VJ, and a Forth Corporation, Piper PA-28, N7374J, Near Fairland, Indiana, September 9, 1969. National Transportation Safety Board. (July 15, 1970). NTSB-AAR-70-15. https://www.ntsb.gov/investigations/AccidentReports/Reports/AAR7015.pdf March 25, 2016閲覧。 
  2. ^ Report, APPENDIX C.
  3. ^ a b Allegheny Airlines Flight 853 Memorial”. 2022年2月26日閲覧。
  4. ^ a b Report, APPENDIX B.
  5. ^ The Air: Death in TheSkies” (September 19, 1969). May 5, 2005時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
  6. ^ a b Allegheny Airlines Flight 853 memorial. www.allegheny853.net.
  7. ^ a b General Aviation and Air Taxi Activity and Avionics (GAATAA) Surveys CY2004”. www.faa.gov. Federal Aviation Administration. March 3, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
  8. ^ FAA Federal Aviation Regulations”. airweb.faa.gov. Federal Aviation Administration (2001年6月23日). 2001年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月12日閲覧。

パブリックドメイン この記事にはパブリックドメインである、アメリカ合衆国連邦政府のウェブサイトもしくは文書本文を含む。

関連項目

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外部リンク

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