アロンソ・ムニョス
アロンソ・ムニョス(Alonzo Muños、生年不詳 - 1620年)は、江戸時代初期に来日したスペインのフランシスコ会宣教師[1][2]。名のアロンソはAlonso[1]、姓のムニョスはMuñozとも表記される[1]。
経歴・人物
[編集]スペイン領東インド(現在のフィリピン)にて布教活動を行っていたころに日本への渡航を命じられ[2][3]、1598年に同地への渡航を志したが悪天候により断念し失敗する[2][3]。その後はフィリピンに戻り[1][2]、マニラを拠点に活動を行い修道院長や日本管区長を務めた[2][3]。1606年(慶長11年)に再度日本への渡航を志し成功し[1][2]、江戸幕府将軍の徳川家康と謁見する[1]。
日本では大坂を中心に布教活動を行い[1][2]、その傍らで大坂で修道院および聖堂の改築に携わり[3]、のち江戸に入った[3]。1609年(慶長14年)、ムニョスがかつて布教活動を行っていたフィリピンの前総督ドン・ロドリゴは、ヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)への帰途台風に遭い上総国岩和田村(現在の御宿町)田尻の浜に漂着し、翌1610年(慶長15年)に家康より貸し出されたサン・ブエナ・ベントゥーラ号で帰郷した。推薦により京の商人田中勝介らとともにドン・ロドリゴの帰郷に同行し、ムニョスはヌエバ・エスパーニャを経てスペインに帰国した[1][2]。帰国に際して家康および秀忠の親書を託されており[1][2]、スペイン国王フェリペ3世に渡している[3]。この答礼によって[3]、後の1615年(元和元年)にムニョスと同じフランシスコ会士だったディエゴ・デ・サンタ・カタリナが来日を果たした[3]。帰国後はサンディエゴ(当時はメキシコ領に所在)の管区長となり[2][3]、日本とメキシコの貿易を斡旋するも実現しなかった[1]。