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アンテロープ (フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンテロープ
アンテロープ(F170 Antelope)
基本情報
建造所 ヴォスパー・ソーニクロフトサウザンプトン造船所
運用者  イギリス海軍
艦種 フリゲート
級名 21型フリゲート
前級 14型フリゲート
次級 23型フリゲート
モットー Audax et vigilans(Daring and watchful)
艦歴
起工 1971年3月23日
進水 1972年3月16日
就役 1975年7月19日
最期 1982年5月24日フォークランド紛争で戦没。
要目
基準排水量 2,860トン
満載排水量 3,250トン
全長 117m
最大幅 12.6m
吃水 6m
機関 COGOG
主機 オリンパスTM-3Bガスタービン×2基
タインRM-1Aガスタービン×2基
推進 2軸
出力 (RM-1A)8,500hp
(TM-3B)50,000hp
最大速力 32ノット (59 km/h)
乗員 177名
兵装 114mm単装砲×1門
20mm機関砲×2門
シーキャットSAM4連装発射機×1基
3連装短魚雷発射管×2基
搭載機 ワスプ、後にリンクス×1機
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アンテロープ(F170 Antelope)は、イギリス海軍21型フリゲートフォークランド戦争で沈没した。

設計

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フォークランド紛争には、近代化改装が施される前に投入されているため、結果的にエグゾセを装備しない唯一の21型となった。

艦歴

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船尾から見たアンテロープ

1971年3月23日、ヴォスパー・ソーニクロフトのサウザンプトンの造船所で起工され、1972年3月16日進水、1975年7月19日に就役した。

1977年、アンテロープはエリザベス2世の戴冠25周年を祝う観艦式に第7フリゲート戦隊の一員として参加した[1]

フォークランド紛争

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1982年5月21日、アンテロープは作戦海域に到着してフォークランド紛争に参加した。1982年5月23日、2日前に確保された橋頭堡を保護するため、サンカルロス湾の入口で防空任務についていたアンテロープは、アルゼンチン空軍の第5航空群に所属するA-4Bスカイホーク4機の攻撃を受けた。

最初の2機のスカイホークは船尾方向から飛来した。編隊長機は、アンテロープが発射したシーキャットSAMが翼下で爆発したため、攻撃を中止して離脱した。操縦していたPablo Carballo大尉は、損傷した機体をいたわりリオ・ガジェゴス空軍基地に帰投することに成功した。僚機が投弾した1,000ポンド爆弾はアンテロープの右舷に着弾したが、不発弾だった。この着弾により乗員1名(Steward Mark R. Stephens)が死亡した。スカイホークは対空砲火によって損害を受けた。

残りの2機のスカイホークは、数分後に右舷方向から攻撃を行った。Luciano Guadagnini中尉の操縦する1機は、20mm機関砲の射撃を受けてアンテロープのレーダマストに衝突した。Guadagnini中尉は死亡し、搭載していた爆弾は艦の外板を貫通したが爆発しなかった[2]。アンテロープは、5機目の攻撃機と思われた機体に対してもシーキャットSAMを発射したが、それは Carballo 大尉の機体だった。このミサイルは命中しなかったが、大尉の機体のコックピットから10 メートル未満のところを通過した。

初期のダメージコントロールの努力により、より安全な海域に後退したアンテロープは、陸軍工兵隊の2人の爆弾処理技術者を乗艦させて、2発の不発弾の信管を除去しようとした。1発は残骸のためアクセスできず、もう1発は損害を受けて、特に危険な状態にあると考えられた。爆弾処理班は遠隔手段で不発弾の信管を除去しようとしたが、3回の試みは失敗した。小型の爆発物を使った4回目の試みにより不発弾は爆発、作業に当たっていたジェームズ・プレスコット軍曹が死亡し、フィリップス下級准尉が重傷を負った。

アンテロープは、爆発により外板が喫水線からファンネルまでこじ開けられ、両舷の機関室で発生した火災は艦内に非常に速く広がった。艦内の全電力を喪失したため、ニック・トービン艦長は、総員退艦を指示した。艦長が最後に艦を離れ、そのおよそ5分後にミサイル弾薬庫が爆発し始めた。揚陸艦「フィアレス英語版」に搭載されていたLCVP Mk2(コールサイン:フォックストロット7)が41名のクルーを救助し、艇長のアラン・ホワイト海兵隊伍長は、艦隊司令官のサー・ジョン・フィールドハウス提督から表彰を受けた。フォックストロット7は、1986年にポーツマスイギリス海兵隊博物館英語版へ寄贈され、2001年に修復されて展示されている。

アンテロープの爆発は一晩中続き、翌日、船体は浮かんでいたが、キールが折れ、上部構造物はねじれ溶けた金属の山となっており、その日うちに半分に折れて沈没した。アンテロープの終焉の映像や写真はフォークランド紛争の象徴的なイメージの一つとなり、繰り返し引用されている[3]

2002年1月27日23型フリゲートモントローズ」から潜水したダイビングチームにより、アンテロープの海軍旗が交換された。アンテロープの残骸は、フォークランド諸島の沈没船に関する法の保護下にあり、立入禁止区域に指定されている[4][5]

脚注

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  1. ^ Official Souvenir Programme, 1977. Silver Jubilee Fleet Review, HMSO
  2. ^ Primer Teniente Guadagnini
  3. ^ Aulich, James (1992). Framing the Falklands War: nationhood, culture, and identity. Open University Press, p. 150. ISBN 0-335-09684-0
  4. ^ Protection of Wrecks Ordnance 1977 (No. 12) 7 July 1977 (Falkland Islands)
  5. ^ Protection of Wrecks (Ardent and Antelope Designation) Order 1983 (No. 2) 20 October 1983 (Falkland Islands)

外部リンク

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