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アントリム (装甲巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アントリム (HMS Antrim) はイギリス海軍装甲巡洋艦デヴォンシャー級。艦名は北アイルランドのアントリム県からつけられている[1]

艦歴

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ジョン・ブラウン・アンド・カンパニーのクライドサイドの造船所で1902年8月27日起工。1903年10月8日に進水し1905年8月24日に竣工。[2] 他の同型艦の多くと共に海峡艦隊第1巡洋艦戦隊に所属。フランスによるカサブランカ砲撃を引き起こした反乱がおきると、1907年8月に「アントリム」はカサブランカへ派遣された[3]。1907年3月、大西洋艦隊第2巡洋艦戦隊に転属。次いで1909年4月にデヴォンポートの予備第3艦隊に移された。1911年のリバプールでの交通ストライキの際はマージー川へ移動した[4]。1912年12月、「アントリム」は第2艦隊第3巡洋艦戦隊旗艦となった[5]

1914年中ごろ、戦争のため海軍の動員が行われると戦隊はグランドフリートに加えられた。戦隊はシェトランド諸島フェロー諸島付近やノルウェー沿岸の哨戒を強化するグランドフリートと大半の期間行動を共にした。[6]1914年8月6日、「アントリム」はドイツ商船を拿捕した[5]。また、10月9日にはドイツ潜水艦「U19」の雷撃を受けたが、回避に成功した[7]。 幾度となくグランドフリートと共に出撃したが、「アントリム」が戦闘に参加することはなかった。1916年6月に「アントリム」はアルハンゲリスクへ派遣され、次いで北アメリカ・西インド艦隊で船団護衛任務に従事した。1917年12月に本国に戻り、退役。1918年8月に再就役し、11月の終戦まで前と同じ任務に従事した。[5]

1919年にノアで予備役となるが、無線やアスディックの試験用の改装が施されて1920年3月に再就役。1922年には練習艦となった。[5]「アントリム」は1922年12月19日に売却され、その後ブライスで解体された[1]

脚注

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  1. ^ a b Silverstone, p. 210
  2. ^ Chesneau & Kolesnik, p. 71
  3. ^ texte, Parti social français Auteur du (1907年8月6日). “Le Petit journal” (英語). Gallica. 2019年7月19日閲覧。
  4. ^ The Liverpool General Transport Strike of 1911”. London Socialist Historians Group (2011年10月9日). 2018年10月10日閲覧。
  5. ^ a b c d Gardiner & Gray, p. 13
  6. ^ Corbett, Vol. I, pp. 31, 77, 206
  7. ^ Goldrick, p. 138

参考文献

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  • Chesneau, Roger & Kolesnik, Eugene M., eds (1979). Conway's All the World's Fighting Ships 1860–1905. Greenwich: Conway Maritime Press. ISBN 0-8317-0302-4. https://archive.org/details/conwaysallworlds0000unse_l2e2 
  • Corbett, Julian. Naval Operations to the Battle of the Falklands. History of the Great War: Based on Official Documents. I (2nd, reprint of the 1938 ed.). London and Nashville, Tennessee: Imperial War Museum and Battery Press. ISBN 0-89839-256-X 
  • Silverstone, Paul H. (1984). Directory of the World's Capital Ships. New York: Hippocrene Books. ISBN 0-88254-979-0