アントン・シルアノフ
アントン・シルアノフ Антон Германович Силуанов | |
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2011年12月 | |
生年月日 | 1963年4月12日(61歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
出身校 | モスクワ財政大学 |
前職 |
ロシア連邦財務大臣代行 財務次官 |
現職 | ロシア連邦財務大臣 |
所属政党 | 統一ロシア |
称号 |
経済学博士候補 4等メリット勲章 |
内閣 | 第2次ドミートリー・メドヴェージェフ内閣 |
在任期間 | 2018年5月18日 - 2020年1月21日 |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
内閣 |
第2次ウラジーミル・プーチン内閣 第1次ドミートリー・メドヴェージェフ内閣 第2次ドミートリー・メドヴェージェフ内閣 ミハイル・ミシュスティン内閣 |
在任期間 | 2011年12月16日 - 現職 |
大統領 |
ドミートリー・メドヴェージェフ ウラジーミル・プーチン |
アントン・ゲルマノヴィチ・シルアノフ(ロシア語: Анто́н Ге́рманович Силуа́нов、ラテン文字転写の例:Anton Germanovich Siluanov、1963年4月12日 - )は、ロシア連邦の政治家、財務官僚、エコノミスト。現在はウラジーミル・プーチン政権で第12代ロシア連邦財務大臣を務める。
経歴・概要
[編集]1963年4月12日にソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のモスクワに誕生する。1985年にモスクワ財政大学(現在のロシア連邦政府付属財政アカデミー)を卒業し、財政・融資の学位を取得する。
1985年8月から1987年3月までロシア連邦共和国大蔵省エコノミスト・上級エコノミストを歴任する。1987年3月から1989年4月まで兵役に就く。1989年5月から1992年1月までロシア連邦共和国大蔵省上級エコノミスト・1級エコノミスト・指導エコノミスト・局次長・ロシア連邦大蔵省コンサルタントを歴任する。1992年2月にロシア連邦経済・財政省次官。同年2月から1997年10月まで同省予算局次長。経済・財政省が財務省と経済省に分離後はロシア連邦財務省に移り、予算局次長級ポストを歴任する。1997年10月から2003年7月まで財務省マクロ経済政策・銀行業局長。2001年3月22日から財務省幹部会メンバー。2003年7月に財務次官・2004年5月に財務省銀行間関係庁長官・2005年12月に財務次官を務めた。
2011年9月27日にロシア連邦財務相代行に任命される[1]。 同年12月16日に第12代ロシア連邦財務大臣に正式に就任した。ロシア連邦安全保障会議議員・与党統一ロシア最高会議メンバーにも選出された。
2012年5月21日に第1次ドミートリー・メドヴェージェフ内閣の財務大臣に再任された。2013年1月からロシア連邦政府付属財政大学財政・経済学部長となり、続く2018年発足の第2次ドミートリー・メドヴェージェフ内閣でもロシア連邦財務大臣に留任した他、ロシア連邦第一副首相を兼任することとなった。2020年1月21日にドミートリー・メドヴェージェフ首相の退任に伴い、シルアノフも第一副首相を退いたが、続くミハイル・ミシュスティン内閣でも財務大臣は続投した。
その他
[編集]ロシア連邦財務相代行[3]を経て2011年より財務大臣、2018年よりロシア連邦第一副首相を兼任し、第一副首相は2020年1月で退任した。
脚注
[編集]- ^ 財務相代行にアントン・シルアノフ財務次官が任命”. ロシアの声 (2011年9月27日). 2011年9月27日閲覧。 “
- ^ УКАЗ Президента РФ от 02.02.2011 N 127 «О НАГРАЖДЕНИИ ГОСУДАРСТВЕННЫМИ НАГРАДАМИ РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ»
- ^ Путин назвал замену Кудрину
外部リンク
[編集]- 経歴(ロシア財務省ホームページ内)
公職 | ||
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先代 イーゴリ・シュワロフ |
ロシア連邦第一副首相 2018年5月18日 - 2020年1月21日 |
次代 アンドレイ・ベロウソフ |
先代 アレクセイ・クドリン |
財務大臣 第12代:2011年12月16日 - |
次代 (現職) |