アンドレイ・ポルパノフ
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アンドレイ・ポルパノフ | |
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1918年撮影 | |
生誕 |
1888年9月26日 ロシア帝国 エカテリノスラフ県マリウポリ郡ヤシノフスキー鉱山 |
死没 |
1956年12月5日(68歳没) ソビエト連邦 ウクライナSSR クリミア州イェウパトーリヤ |
所属組織 |
海軍 (ロシア帝国・ロシア共和国時代) 陸軍 (ソビエト・ロシア時代) |
勲章 |
赤旗勲章 労働赤旗勲章 赤星勲章 |
アンドレイ・ヴァシリエヴィチ・ポルパノフ(ロシア語: Андре́й Васи́льевич Полупа́нов、ウクライナ語: Андрі́й Васи́льович Полупа́нов、1888年9月26日 - 1956年12月5日)は、ロシア帝国とソビエト連邦の軍人、政治家。
生涯
[編集]ロシア帝国下のエカテリノスラフ県ヤシノフスキー鉱山村(現在のドネツィク州)で鉱山労働者の家に生まれた。
第一次世界大戦時に海軍に入隊し、黒海艦隊の一員として活躍した。
ロシア内戦の際は赤軍に加わり、[1]、1918年1月からは第1軍の水兵分遣隊の指揮官として、白軍やウクライナ人民共和国軍と戦った。
同年6月から東部戦線(赤軍)で活躍した装甲列車4号「スヴァボーダ・イーリ・スミェールチ」 (Свобода или смерть、「自由か死か!」の意) の指揮官として参戦した。ウリヤノフスクの戦いで列車が破壊され、ヴォルガ川の蒸気船にて逃亡したが、白軍に船を拿捕された。列車の乗組員と赤軍に協力したハンガリー国際主義者が射殺されたが、ポルハノフは同じ装甲列車の司令官ナウム・ギメリシュテインと共にカザンに落ち延び、生き残る事が出来た。
1921年に赤旗勲章を授与された。
内戦終結後は党の一員として活動し、1956年12月5日に亡くなった。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Zahnitko, Anatolii Panas; ВАЖЕНИНА, ЕЛЕНА (2022-03-14). “Русская фразеология как судьба. Анатолий Жуков, Очерки по фразеологической семантике: монография, 2-е издание, переработанное и дополненное, Издательство РУСАЙНС, Москва 2020”. Przegląd Rusycystyczny (1(177)). doi:10.31261/pr.11767. ISSN 0137-298X .