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第1軍 (赤軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1軍
1-я армия
活動期間 1918年3月下旬 - 5月
1918年6月19日 - 1921年1月
国籍 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国の旗 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国
軍種  赤軍
兵力 3万人(初代)
上級部隊 東部戦線ロシア語版
トルキスタン戦線ロシア語版
主な戦歴 ロシア内戦
著名な司令官 ミハイル・トゥハチェフスキー
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第1軍(だい1ぐん、ロシア語: 1-я армия)は、ロシア内戦中の1918年から1921年にかけて、赤軍に二度形成されていた編制。

初代第1軍

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1918年3月17日、エカテリノスラフにおいて開催された第2回全ウクライナ・ソビエト大会 (ru) 中の「軍事組織について」の決議に基づき[1]、同月上旬に「第1革命軍」(1-я революционная армия) として、オーストリア=ハンガリー帝国軍ドイツ語版ドイツ帝国軍の介入に対処するためにビルズラウクライナ語版一帯で設立された。軍にはアッケルマンエリザヴェトグラードからの部隊も含まれ、その規模は4月には最大3万人にまで増強されたが、翌5月に第1軍は解散した[2]

戦歴としては、3月にオデッサ方面でドイツ軍と戦ったが、クレメンチュークズナメンカウクライナ語版クリヴォイ・ローグへと退却した。その後ニーコポリアレクサンドロフスクウクライナ語版線上で第2軍ロシア語版を援護し、エカテリノスラフを防衛した。4月にはヤシノヴァタヤロシア語版ユゾフカマリウポリでも連合国の介入を退けたが、同月下旬にはデバリツェヴォロシア語版ズヴェレヴォロシア語版へと押され、さらにドイツ軍の攻勢によってタガンログロストフ・ナ・ドヌへと退却を余儀なくされた[2][3]

初代第1軍の歴代司令官は、P・V・アセーエフ、S・L・エゴロフ、コジュラ、カルロフであった[2]

第2代第1軍

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1918年6月19日付東部戦線ロシア語版指令に基づき、チェコ軍団および憲法制定議会議員委員会人民軍ロシア語版に対処するため、シズラニシンビルスクで活動する部隊から編成された。当初は東部戦線(翌1919年4月11日からは同戦線南部グループ)の指揮下にあったが、1919年8月15日からはトルキスタン戦線ロシア語版の指揮下へと移された。サランスクを中心に活動していたが、その後1921年1月に第1軍は解散した[2][4]

戦歴

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1918年にはヴォルガ一帯ロシア語版白軍およびチェコ軍団と戦い、翌1919年まで東部戦線の諸攻勢に参加した。シンビルスク作戦ロシア語版およびシズラニ=サマーラ作戦 (ru) を主導してサマーラ(1918年9-10月)、ステルリタマク(12月)、オレンブルク(1919年1月)の諸都市を占領。1919年には白軍ロシア軍による春季攻勢ロシア語版からステルリタマクとオレンブルクを防衛し、4月から6月にかけては東部戦線による反攻 (ru) にも参加し、ブグルスランロシア語版作戦 (ru)、ベレベイロシア語版作戦 (ru) では南軍 (ru) のアレクサンドル・コルチャークとも戦った[2][4][5]

8月から9月にかけてはトルキスタン戦線の指揮下でコルチャーク軍とウラル軍ロシア語版の撃退に加わり、アクトベ作戦 (ru) 中の9月13日にはムガルジャル山カザフ語版トルキスタン自治社会主義ソビエト共和国軍と合流した。第1軍の一部は4月までウラル軍と戦い、また別の一団は11月から翌1920年3月にかけて、ザカスピ州を占領してヒヴァ作戦とブハラ作戦ロシア語版への参加によってソビエト権力の樹立に貢献した。また、その後も第1軍はバスマチとの戦闘に従事した[2][4]

構成

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司令官[2]

革命軍事会議メンバー[2]

参謀長[2]

  • ルドリフ・シムニチ(1919年6月16日 - 7月11日)
  • イヴァン・ザハロフ(ru, 1918年7月11日 - 8月15日)
  • ニコライ・コリツキー(ru, 1918年8月15日 - 11月28日)
  • フョードル・シャファロヴィチ(ru, 1918年11月28日 - 1920年9月9日)
  • パーヴェル・ザハロフ(1920年9月9日 - 11月12日、12月4日 - 1921年1月27日)
  • V・P・クリコフ(1920年11月12日 - 12月4日)

部隊[2]

  • 第1トルキスタン狙撃師団(1919年11月 - 1920年7月)
  • ペンザ歩兵師団(1918年7月 - 1919年10月、1919年3月から第20狙撃師団)
  • 第25狙撃師団ロシア語版(1919年1月 - 3月)
  • 第24狙撃師団ロシア語版(1918年7月 - 1919年5月、8月 - 12月)
  • 第49狙撃師団(1919年6月 - 11月)
  • ヴォリスク狙撃師団(1918年8月 -9月、10月)
  • インザ革命師団ロシア語版(1918年6月 - 12月)
  • オレンブルク狙撃師団(1919年2月 - 3月)
  • 第1トルキスタン騎兵師団(ru, 1920年9月 - 11月)
  • 第3トルキスタン騎兵師団(ru, 1919年7月 - 1920年10月)

脚注

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  1. ^ Краснознаменный Киевский: Очерк истории Краснознаменного Киевского военного округа (1919-1979) (2-е изд., испр. и доп. 75000 экз ed.). К.: Политиздат Украины. Г. И. Серебряков, Б. Н. Буйских, А. А. Вовк и др.; Редкол.: И. А. Герасимов и др. 1979.
  2. ^ a b c d e f g h i j М. : Гражданская война и военная интервенция в СССР: Энциклопедия. — (Советская энциклопедия / гл. ред. С. С. Хромов ; 1983).
  3. ^ Савченко В. А. (2006). Двенадцать войн за Украину. Харьков: Фолио. ISBN 966-03-3456-7
  4. ^ a b c Центральный государственный архив Советской армии. Vol. 1 в 2 томах. Minneapolis, Minnesota: East View Publications. Л. В. Двойных, Т. Ф Каряева, М. В. Стеганцев. 1991. ISBN 1-879944-02-2
  5. ^ Решающие победы Красной Армии над объединенными силами Антанты и внутренней контрреволюции. (март 1919 г. — февраль 1920 г.). Vol. 4 в 5 томах (40000 экз ed.). М.: Государственное издательство политической литературыロシア語版. Ред. комиссия тома: С. Ф. Найда, Г. Д. Обичкин, Ю. П. Петров, А. А. Стручков, Н. И. Шатагин, С. Н. Шишкин. 1959. p. 444.