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アンバランス (お笑いコンビ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンバランス
メンバー 黒川忠文
山本英治
結成年 1992年
解散年 2024年6月14日
事務所 ぱれっと
太田プロダクション
活動時期 1992年 - 2024年
現在の活動状況 テレビ、ラジオ、ライブ
芸種 漫才コント
ネタ作成者 山本英治
過去の代表番組 殿様のフェロモン
パチロット情報局
同期 藤井隆
ココリコ
中川家
オアシズ
U-turn
BOOMERなど
公式サイト アンバランスの園
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アンバランスは、太田プロダクションに所属していた大阪府寝屋川市出身の2人からなるお笑いコンビ1992年デビュー、2024年解散[1][2][3]

メンバー[編集]

  • 黒川 忠文(くろかわ ただふみ、 (1972-10-15) 1972年10月15日(51歳) - )
ボケ担当、立ち位置は向かって右。
血液型A型、愛称は「くろきん」。既婚で二女の父。2020年に次女から娘が生まれ、40代にして祖父となった。
コンビ解散後はピンで活動を継続する[4]
  • 山本 英治(やまもと えいじ、 (1972-10-01) 1972年10月1日(51歳) - )
ツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって左。
旧姓・黒田(くろだ、小学5年まで)、血液型O型、愛称は「えいさんえーさん)」、『こたえてちょーだい!』(フジテレビ)の再現ドラマに出演経験有り。2012年、100キロマラソン完走者。2009年8月に元モデルの女性と結婚したが、2014年12月24日に離婚していたことを発表[5]。2018年8月再婚。2020年4月に名前の表記を栄治から英治に変えた[6]
コンビ解散とともに芸能界を引退した[4]

経歴[編集]

  • 1992年にコンビ結成。『ゴールド・ラッシュ!』(フジテレビ)7代目チャンピオン、同番組の第3回グランドチャンピオンになった後1年ほどはレッスンに充てられ、露出が無かった。その後ボキャブラブーム、『殿様のフェロモン』(フジテレビ)のレギュラー出演や雨上がり決死隊あさりどとの合同ライブ『AAA』もあって多少知名度は上げたが、未だに前説を担当するなど目立った活躍は見せられなかった。山本は矢部浩之ナインティナイン)主宰の「矢部会」で番頭を務めており、それが縁で出演する程度だった。
  • 2001年に櫛引彩香と『電リク!BeatBox』(MXテレビ(現TOKYO MX))で山本が共演、黒川は電話で出演。
  • 2006年6月29日の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)の企画「芸能界潜水No.1決定戦」に、競泳でインターハイ出場経験があり泳ぎに自信のある山本がエントリー。「チャンスはつかむもの!! アンバランスが売れますように!!」と意気込んで競技に挑み、「マーメイド秋山」こと秋山竜次ロバート)の記録75mを遥かに超える90.7m(非公認ながら当時日本歴代4位に相当)の記録を叩き出し、存在感を見せつけた。
  • ライオンのごきげんよう』(フジテレビ)の前説を務めていた。それを山本が『アメトーーク!』(テレビ朝日)へ出演時に話したことがあったが、「16年もやっているのに(番組自体には)一度も出演したことがない」という。なお、2012年2月29日を最後に前説を卒業した[7]
  • 2012年10月31日を以って20年間所属していた事務所・ぱれっとを円満退社[8]し、2013年2月4日付で太田プロダクションへ移籍した[9]
  • 以前は黒川がツッコミで山本がボケだったが22年目にして、心機一転ボケとツッコミを入れ替えたと2014年3月4日放送の『芸人報道』(日本テレビ)にて報告している。
  • 2024年6月14日をもって解散。山本は芸能界を引退、黒川はピン芸人となる[4]

逸話[編集]

  • 『Qさま!!』スペシャルでダイナミックアプネア(潜水競技)の公式競技会に4回出場し最高100mまで進むも、4回中3回も気を失って浮上・失格という結果に終わった。残り1回はブラックアウトしなかったが「I'm OK」と言ってから手の形を作ったため失格にされ、公式記録は未だに無い。
  • うたばん』(TBS)へ安室奈美恵が出演した際にゲスト枠で登場、その中の最年長コンビにも拘らず同期の安室から不合格を出され山本は「安室クン! 友達やと思ってた!」(実際は不明)と一喝するも逆に自分を追い込む形へと発展。安室までもが山本のためにギャグを披露するも最終的に何も出来ない自分に、「事務所の皆さん今までありがとうございました」と引退宣言をする場となった。
  • 山本は矢部が東京進出して以来の友達であり、経歴にもある通り矢部が率いる「矢部会」の番頭を務めている。その会で第三者の矢部への失礼な態度に怒った山本が相手と言い争いになった事がある。その場は矢部が収めたものの、山本は矢部を侮辱された悔しさに泣いた。
  • 一方で矢部への思い込みが強くなりすぎた山本は一方的に矢部と関係を断ちそのまま途絶えたが、2013年の『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)で7年ぶりに再会し和解した。
  • 『東京金歯(笑)』(BSフジ)へ出演した際、審査員の山城新伍からアマチュアだと思われた。
  • 2008年4月10日放送の『アメトーーク!』で山本は念願だった華の昭和47年組へ初参加するが、このブッキングはゴールドラッシュ時代からの知り合いである辻稔カメラマンの推薦によるものだったことを知って感激し、番組中に涙汲んだ。
  • 「黒川の娘が学校でケンカをした」と黒川が呼び出された。理由を聞くと娘の同級生の男子が「将来はお笑い芸人になって売れる!」と豪語し、それに黒川の娘が「芸人さんは大変なんだよ! そんな簡単に売れるとか言っちゃダメなんだよ!」と言い返したためケンカに発展したという。担任の先生からは「しっかりした娘さんですね」と夫婦でほめられた。
  • 黒川はつんく♂とプライベートで仲が良く、自宅で食事をする間柄。ある時つんく♂がコンビニへ行くことになり、黒川家も同伴。店内でつんく♂は黒川の娘がお菓子を欲しがるだろうと思い「何でも好きなもん、入れや」とかごを差し出したところ、娘はかごの中に米とポン酢とパスタを入れた(黒川曰く「日持ちする消耗品」)。それを見たつんく♂は黙って会計した。

出演[編集]

レギュラー番組
  • 電リクBEATBOX(TOKYO MX、2001年)※MC
  • パチロット情報局(テレビ埼玉、2008年10月1日~)※MC
その他の出演

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ お笑いコンビ・アンバランス、解散を発表 山本英治は引退 黒川忠文はピン芸人に”. 日テレ. 2024年6月15日閲覧。
  2. ^ アンバランス黒川忠文 [@amb_kurokawa] (2024年6月14日). "32年間コンビでやらせて頂きましたが本日をもって解散となりました。". X(旧Twitter)より2024年6月15日閲覧
  3. ^ SNSでの突然の報告誠に申し訳ありません。”. 山本英治 Instagram. 2024年6月15日閲覧。
  4. ^ a b c アンバランスが解散 コンビ結成32年で 山本は引退、黒川はピンで活動継続「相方から親友に戻る」」『デイリースポーツ online』2024年6月14日。2024年6月14日閲覧
  5. ^ 『『ぷっ』すま』(テレビ朝日)2015年2月28日放送分
  6. ^ アンバランス | 太田プロダクション”. www.ohtapro.co.jp. 2022年5月13日閲覧。
  7. ^ ““前説芸人”アンバランスがついに前説卒業! 『ごきげんよう』と歩んだ18年半”. ORICON. (2012年3月2日). https://career.oricon.co.jp/news/2007850/ 2012年3月4日閲覧。 
  8. ^ “アンバランス山本栄治の24時間営業 第2章”. (2012年11月5日). https://ameblo.jp/yamamotoeiji/entry-11396914901.html 
  9. ^ “芸人仲間が応援、アンバランスが太田プロ所属に”. お笑いナタリー. (2013年2月5日). https://natalie.mu/owarai/news/84298 2018年8月27日閲覧。 
  10. ^ Inc, Natasha. “アインシュタイン、卯月、アキナらネタバトル、100点満点も飛び出す(写真13枚)”. お笑いナタリー. 2021年4月17日閲覧。

外部リンク[編集]