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ヴィクトル・アン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アン・ヒョンスから転送)
ヴィクトル・アン
Viktor Ahn
Виктор Ан
ヴィクトル・アン
ヴィクトル・アン
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国(2011年まで)
ロシアの旗 ロシア (2011年以降)
誕生日 (1985-11-23) 1985年11月23日(39歳)
出身地 大韓民国の旗 大韓民国 ソウル特別市
身長 1.72 m (5 ft 7+12 in)
体重 63 kg (139 lb; 9.9 st)
自己ベスト 500 m: 41.283 (2013)
1000 m: 1:24.385 (2007, Former WR)
1500 m: 2:10.639 (2003, Former WR)
3000 m: 4:32.646 (2003, Former WR)
獲得メダル
ロシアの旗 ロシア
ショートトラック
2014 ソチ 男子 500m
2014 ソチ 男子 1000m
2014 ソチ 男子 5000m リレー
2014 ソチ 男子 1500m
大韓民国の旗 韓国
ショートトラック
オリンピック
2006 トリノ 男子 1000m
2006 トリノ 男子 1500m
2006 トリノ 男子 5000m リレー
2006 トリノ 男子 500m
安賢洙
各種表記
ハングル 안현수
漢字 安賢洙
発音: アニョンス
ローマ字

Ahn Hyun-Soo

(Viktor Ahn)
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表彰台に登るアン。
プーチン大統領から勲章を受けるアン。

ヴィクトル・アン: Виктор Ан1985年11月23日 - )は、ロシアショートトラックスピードスケート選手。韓国ソウル特別市出身で原名は安 賢洙: 안현수、アン・ヒョンス)。日本語の表記では名前はヴィクトール、ビクトル、ビクトールなどとも書かれる。

人物

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2006年トリノオリンピックでは3つの金メダルを獲得、世界ショートトラックスピードスケート選手権大会は2003年から5連覇を達成した。この功績により、兵役を免除されている[1]。その圧倒的な強さにより、韓国では「ショートトラック皇帝」の異名がある[2]

ロシア国籍取得の経緯

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2008年には膝の故障に苦しみ、2010年バンクーバーオリンピックへの出場は逃した。同年には所属していた城南市庁スケートチームが解散し、2011年4月には韓国国家代表選抜戦からも脱落した。所属チームも無くなり、韓国ではピークが過ぎた選手との評価がなされた。また韓国では、兵役特例を受けた選手は5年間該当分野に携わらなければならないため、リハビリを続けながらそれを達成するのは難しかった[1]。アンはこのためスケートに専念できる環境を追い求めるためロシア国籍の取得を決断、2011年12月29日にロシア国籍を取得(帰化)した[3][4]。ただし、アンと韓国スケート連盟との間には不和があったことも、アンがロシアへの帰化を選択した要因の一つとされる[5]。なお、韓国は二重国籍を認めていないため、アンはロシア市民権取得と同時に韓国国籍を喪失している[6]。なお、アンがロシア国籍を取得した原因は差別や不正、いじめなどによるものである。これに関し韓国の朴槿恵大統領が「安賢洙選手の問題が、派閥主義、足の引っ張り合い、審判の不正などスポーツ界の底辺に根ざす不条理と構造的な乱脈によるものではないか、振り返る必要がある」「ショートトラック選手として最高の実力を持っているが、我が国で自身の夢を広げることができずに他国で選手活動をしている理由は何か」と調査を命じたコメントをしている。そのうえで、「選手を発掘するということにおいて差別する指導者は、立派な人材の力量を死蔵させて韓国の体育競争力を自ら引き下げている」「文教体育部は選手たちが実力どおりに評価されるシステムなど体育不正を必ず根絶できる対策を整えてほしい」と述べた[7]

ロシア国籍取得後

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ロシアに帰化した後、アンはリハビリも順調で調子を取り戻し2014年ソチオリンピックのロシア代表に選ばれた。2014年1月20日、ドイツドレスデンで行われた欧州選手権大会では4冠王、そして総合優勝を達成している[8]。ロシアに帰化した後のアンは、韓国時代より強くなったという評価もあった[5]。なお、アメリカアポロ・アントン・オーノもアンのことを「世界で最も美しいショートトラック選手」と賞賛している[9]

2014年2月10日、ソチオリンピックにおいてアンは男子1500mで銅メダルを、2月15日には男子1000mで金メダルを獲得し、ロシア勢 としてはショートトラック競技で初のメダリストとなった[10]。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、アンのことを「ロシア代表選手として、真のオリンピアンにふさわしい姿を見せてくれた」とアンを賞賛した[11]。2月21日には、男子500mと男子5000mリレーを制し、冬季オリンピックのショートトラック選手としては最多6個目の金メダルを獲得した。

2014年3月17日、アンはカナダモントリオールで行われたショートトラック世界選手権大会に参加、総合優勝を果たし、2007年以来7年ぶりに世界王者となった[12]

帰化後の名前でもあるヴィクトルは、旧ソ連のロックバンド『キノー』のヴォーカルで高麗人(旧ソ連諸国在住の韓国・朝鮮人がルーツ。)のヴィクトル・チェから取り、茶髪がトレードマークであった。

2018年2月、アンの母国の韓国で開催されている平昌オリンピックにはロシア選手団のドーピングに関与したという報道のため、アンも出場できなかった[13]

2020年4月、現役引退を表明[14]。 その後、中国ショートスケートチームの技術コーチとして活動している[15]

出典

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  1. ^ a b “<ソチ五輪>アン・ヒョンスの父「ロシア代表でも韓国人のプライドを」”. 中央日報. (2014年2月6日). https://japanese.joins.com/JArticle/181456 2014年2月8日閲覧。 
  2. ^ “<ショートトラック>ロシア帰化予定の韓国人選手「ソチ五輪のことだけ考えている」”. 中央日報. (2011年9月23日). https://japanese.joins.com/JArticle/144011 2014年2月8日閲覧。 
  3. ^ “<ショートトラック>アン・ヒョンスがロシアに帰化…韓国国籍を喪失”. 中央日報. (2011年12月29日). https://japanese.joins.com/JArticle/146903 2012年1月1日閲覧。 
  4. ^ “ショートトラック:安賢洙がロシア国籍を取得”. 朝鮮日報. (2011年12月29日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/12/29/2011122900895.html 2012年1月1日閲覧。 
  5. ^ a b “<ショートトラック>韓国選手時代より強くなったビクトール・アン”. 中央日報. (2014年1月21日). https://japanese.joins.com/JArticle/180854 2014年2月8日閲覧。 
  6. ^ “元ショートトラック韓国代表がロシアに帰化…なぜ?”. 中央日報. (2011年8月17日). https://japanese.joins.com/JArticle/142869 2014年2月8日閲覧。 
  7. ^ 「韓国人の差別は異常」朴槿恵大統領が、「金と銅」に輝くアン・ヒョンス選手の「ロシア国籍」に大ショック
  8. ^ “欧州4冠「露代表」安賢洙、韓国勢最大のライバルに”. 朝鮮日報. (2014年1月26日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/01/26/2014012600221.html 2014年2月8日閲覧。 
  9. ^ “<ショートトラック>オーノ「アン・ヒョンスは世界で最も美しいスケーター」”. 中央日報. (2014年1月17日). https://japanese.joins.com/JArticle/180734 2014年2月8日閲覧。 
  10. ^ “<ソチ五輪>アン・ヒョンス、ロシア国籍取得後初の五輪メダル=ショートトラック”. 朝鮮日報. (2014年2月11日). https://japanese.joins.com/JArticle/181630 2014年2月11日閲覧。 
  11. ^ “ソチ五輪:「露代表」安賢洙が銅、韓国のネットは複雑な反応”. 朝鮮日報. (2014年2月12日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/02/12/2014021201977.html 2014年2月15日閲覧。 
  12. ^ “ソチ五輪の成績不振で退いた韓国ショートトラック界の実力者”. 中央日報. (2014年3月18日). https://japanese.joins.com/JArticle/183089 2014年3月25日閲覧。 
  13. ^ “ビクトル・アン平昌出場できず ドーピング関与報道”. 日刊スポーツ. (2018年1月23日). https://www.nikkansports.com/sports/news/201801230000138.html 2018年2月15日閲覧。 
  14. ^ “ビクトル・アンが現役引退 ショートトラックで6個の五輪金メダル”. AFP. (2020年4月28日). https://www.afpbb.com/articles/-/3280729 2020年4月28日閲覧。 
  15. ^ “アン・ヒョンス・コーチを巡る韓国と中国の相反した雰囲気…「韓国人は心が狭い」”. 朝鮮日報. (2022年2月10日). https://japanese.joins.com/JArticle/287648 2022年2月10日閲覧。 

外部リンク

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