アーサー・ゴア (第7代アラン伯爵)
第7代アラン伯爵アーサー・ポール・ジョン・ジェームズ・チャールズ・ゴア(英語: Arthur Paul John James Charles Gore, 7th Earl of Arran、1903年7月31日 – 1958年12月28日)は、アイルランド貴族。爵位継承から1週間後に自殺した[1]。同性愛者であり、その死がきっかけとなって弟の第8代アラン伯爵が貴族院で同性愛の非犯罪化を推進、1967年に成功を収めた[1]。
生涯
[編集]第6代アラン伯爵アーサー・ジョスリン・チャールズ・ゴアと1人目の妻モード・ジャックリン・マリー・ボークラーク(Maude Jacqueline Marie Beauclerk、旧姓ホイセン・ファン・カッテンディーケ(Huyssen van Kattendijke)、1927年3月6日没、フレデリック・ヨハン・エマヌエル・ホイセン・ファン・カッテンディーケ男爵の娘)の長男として、1903年7月31日に生まれた[2]。ウィンチェスター・カレッジとオックスフォード大学ニュー・カレッジで教育を受け、後者でB.A.の学位を修得した[2]。
1931年から1932年まで、南アフリカ連邦総督の第6代クラレンドン伯爵ジョージ・ヴィリアーズのエー=ド=カン(副官)を務めた[2]。
1958年12月19日に父が死去すると、アラン伯爵位を継承した[2]。しかし、自身もその1週間後の1958年12月28日に生涯未婚のまま死去、弟アーサー・カッテンダイク・ストレンジ・アーチボルドが爵位を継承した[2]。同性愛者であり、自殺したとされる[1]。その死がきっかけとなって、爵位を継承した弟が貴族院で同性愛の非犯罪化を推進、1967年に成功を収めた[1]。
著作
[編集]- Sudley, Lord (1956) [1933]. William, or More Loved than Loving (英語). London: Chapman & Hall.
- 書評:Pakenham, Pansy (18 May 1956). "Out to Grass". The Spectator (英語). p. 24.
出典
[編集]- ^ a b c d Bedell, Geraldine (24 June 2007). "Coming out of the dark ages". The Guardian (英語). 2022年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e Mosley, Charles, ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 114. ISBN 2-940085-02-1。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Arthur Gore
- アーサー・ゴア - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
アイルランドの爵位 | ||
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