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アール・ワトソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アール・ワトソン
Earl Watson
現役時代 (インディアナ・ペイサーズ) のワトソン
トロント・ラプターズ AC
ポジション PG
役職 アシスタントコーチ
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1979-06-12) 1979年6月12日(45歳)
出身地 カンザス州カンザスシティ
身長(現役時) 185cm (6 ft 1 in)
体重(現役時) 88kg (194 lb)
キャリア情報
出身 UCLA
ドラフト 2001年 全体40位
選手経歴
2001-2002
2002-2005
2005-2006
2006-2009

2009-2010
2010-2013
2013-2014
シアトル・スーパーソニックス
メンフィス・グリズリーズ
デンバー・ナゲッツ
シアトル・スーパーソニックス/オクラホマシティ・サンダー
インディアナ・ペイサーズ
ユタ・ジャズ
ポートランド・トレイルブレイザーズ
指導者経歴
2014-2015
2015-2016
2016-2017
2021-
オースティン・スパーズ(Dリーグ) (AC)
フェニックス・サンズ(AC→暫定HC)
フェニックス・サンズ
トロント・ラプターズ
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

アール・ワトソンEarl Joseph Watson Jr.1979年6月12日 - )はアメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ出身の元バスケットボール選手。身長185cm、体重88kg。ポジションはポイントガード

経歴

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UCLAに進学したワトソンは、のちにNBAプレイヤーとなるバロン・デイビスの控えとしてプレイ。ワトソンとデイビスは同大学で1979年以来初めて先発の座をつかんだ1年生であった。

2001年のNBAドラフトシアトル・スーパーソニックスから2巡目40位で指名されてNBA入り。

2008年2月6日、サクラメント・キングス戦において23得点10リバウンド10アシストのトリプルダブルを達成する。これはレイ・アレンが2004年に達成して以来、チーム初となる記録であった。

その後、各チームで控えポイントガードを務めた後、2014年10月2日、13年にわたる選手生活に区切りを付け、サンアントニオ・スパーズ傘下のDリーグチーム、オースティン・スパーズのアシスタントコーチに就任した。

2015年6月3日、 フェニックス・サンズの新人選手育成担当のアシスタントコーチに就任[1]。2016年2月1日、ジェフ・ホーナセックヘッドコーチ解任を受け、暫定ヘッドコーチに昇格[2]。シーズン終了後に正式にヘッドコーチに就任した[3]。しかし、数年来の悪い流れを変えることは出来ず、2017-18シーズン開幕直後に3連敗を喫した10月22日に解任された[4]

プレイスタイル

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得点よりパスを優先するゲームメイカー。大学以来、バロン・デイビスゲイリー・ペイトンジェンソン・ウィリアムズなどの大物ガードが常に同じチームにいるため、2番手選手としての起用を続けられてきた。しかしそれ故に短い時間で力を発揮する術を身につけており、「最高の控えポイントガード」とも形容される。2007-08シーズンは漸く先発の座を掴んだかに見えたが、チームは翌年のドラフトでラッセル・ウェストブルックを獲得したため、またしてもベンチから起用されることになった。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン

NBAレギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2001–02 SEA 64 0 15.1 .453 .364 .639 1.3 2.0 .9 .1 .8 3.6
2002–03 MEM 79 2 17.3 .435 .341 .721 2.1 2.8 1.1 .2 1.1 5.5
2003–04 MEM 81 14 20.6 .371 .245 .652 2.2 5.0 1.1 .2 1.8 5.7
2004–05 MEM 80 14 22.6 .426 .319 .659 2.1 4.5 1.0 .2 2.1 7.7
2005–06 DEN 46 10 21.2 .429 .395 .627 1.9 3.5 .8 .2 1.6 7.5
2005–06 SEA 24 0 25.1 .432 .420 .731 3.0 5.4 1.3 .1 2.5 11.5
2006–07 SEA 77 25 27.9 .383 .329 .735 2.4 5.7 1.3 .3 2.2 9.4
2007–08 SEA 78 73 29.1 .454 .371 .766 2.9 6.8 .9 .1 2.2 10.7
2008–09 OKC 68 18 26.1 .384 .235 .755 2.7 5.8 .7 .2 2.3 6.6
2009–10 IND 79 52 29.4 .426 .288 .710 3.0 5.1 1.3 .2 2.2 7.8
2010–11 UTA 80 13 19.6 .410 .336 .671 2.3 3.5 .8 .2 1.5 4.3
2011–12 UTA 50 2 20.7 .338 .192 .674 2.4 4.3 1.1 .4 1.7 3.0
2012–13 UTA 48 4 17.3 .308 .179 .680 1.8 4.0 .8 .2 1.4 2.0
2013–14 POR 24 0 6.7 .273 .286 1.000 .6 1.2 .2 .0 .7 0.5
Career 878 227 22.2 .411 .324 .703 2.3 4.4 1.0 .2 1.8 6.4

NBAプレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2004 MEM 4 0 15.5 .533 .000 1.000 2.3 1.8 1.2 .0 1.5 4.8
2005 MEM 4 0 18.5 .333 .111 1.000 2.5 3.8 .8 .3 .5 4.8
2014 POR 4 0 3.5 .000 .000 .000 .3 .3 .0 .0 .3 0.0
Career 12 0 12.5 .400 .077 1.000 1.7 1.9 .7 .1 .8 3.2

その他

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  • 現役時代は祖父母がメキシコ人であることから、メキシコ代表に選ばれるのではないかと常に噂されていた。

脚注

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外部リンク

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