イラン・アラウージョ・ダッリーニャ
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名前 | ||||||
本名 |
イラン・アラウージョ・ダッリーニャ Ilan Araújo Dall'Igna | |||||
愛称 | イラン | |||||
ラテン文字 | ILAN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1980年9月18日(44歳) | |||||
出身地 | クリチバ | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999 | パラナ | 12 | (2) | |||
2000-2001 | サンパウロ | 12 | (1) | |||
2001-2004 | パラナエンセ | 64 | (22) | |||
2004-2006 | ソショー | 54 | (24) | |||
2006-2010 | サンテティエンヌ | 107 | (26) | |||
2010 | ウェストハム | 11 | (4) | |||
2010-2011 | インテルナシオナル | 4 | (0) | |||
2011-2012 | アジャクシオ | 26 | (6) | |||
2012-2014 | バスティア | 24 | (3) | |||
2014-2015 | グルノーブル | 0 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2003 | ブラジル | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イラン (Ilan) こと、イラン・アラウージョ・ダッリーニャ(Ilan Araújo Dall'Igna, 1980年9月18日 - )は、ブラジル・パラナ州クリチバ出身で元同国代表の元サッカー選手。ポジションはフォワード。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1999年、パラナ・クルーベでキャリアをスタート。2000年にサンパウロFCへと移籍するものの出場機会が限られたため、アトレチコ・パラナエンセと移籍。2002年は深刻な怪我によりシーズンを棒に振ったものの、2003年は30試合16得点を記録した。
2004年、300万ユーロでフランスのFCソショーへと移籍。ソショーでの最初のシーズンとなった2004-05シーズン、リーグ得点ランキング4位タイの13得点を挙げる。翌2005-06シーズンも得点ランキング8位タイの10得点を挙げ、ソショーのエースとして活躍した。
2006年7月25日、ASサンテティエンヌへ移籍。3年半の在籍でリーグ107試合に出場し、2008-09シーズンのUEFAカップでは、6試合5得点の活躍でチームをベスト16に導いた。しかしながら、リーグ戦では残留争いに巻き込まれるなどチームは弱体化。翌2009-10シーズンにはリーグでの出場機会が減少し、年明けに契約を解消。2010年2月1日にイングランドウェストハム・ユナイテッドFCと半年間の契約を結んだが大きなインパクトを残せず、シーズン終了後に退団した。
その後、母国に帰りSCインテルナシオナルと契約。しかし4試合出場しただけで退団し、残りのシーズンを無所属で過ごした。
2011年7月28日、ACアジャクシオと契約。主にトップ下で起用され、26試合で6ゴールの成績を残した。2012年7月12日、アジャクシオのライバルで同じコルシカ島にあるSCバスティアに移籍し、周囲を驚かせた。
ブラジル代表
[編集]2003年、代表未経験ながらコンフェデレーションズカップ2003のメンバーに選ばれ、グループリーグ初戦のカメルーン戦の66分にアドリアーノとの交代でピッチに立ち、代表デビューを果たした。続くアメリカ戦にも途中交代で出場し、グループリーグ最終戦のトルコ戦では先発出場を果たした。しかしチームはグループリーグで敗退。それ以降、代表に呼ばれなかった。
代表歴
[編集]- 2003年 ブラジル代表
- 2003年6月19日 - A代表初出場 (コンフェデレーションズカップ2003) - カメルーン戦 (サン=ドニ・スタッド・ド・フランス)
- 2003年 - コンフェデレーションズカップ (グループリーグ敗退)