イヴァーン・ムィコライチューク
イヴァーン・ヴァスィーリョヴィチ・ムィコライチューク Іван Васильович Миколайчук | |
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生年月日 | 1941年6月15日 |
没年月日 | 1987年8月3日(46歳没) |
イヴァーン・ヴァスィーリョヴィチ・ムィコライチューク(ウクライナ語:Іван Васильович Миколайчукイヴァーン・ヴァスィーリョヴィチュ・ムィコライチューク、1941年6月15日チョロトルィヤ - 1987年8月3日)は、ウクライナ、ソ連の俳優、映画監督、脚本家である。ソ連時代に多数の映画作品に出演、制作した。妻は、ウクライナの国民女優のマリーチュカ・ムィコライチューク(Марічка Миколайчук)。
概要
[編集]イヴァーン・ムィコライチュークは、1939年にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国領となった西ウクライナ・ブコヴィナ、現在のチェルニウツィー州キーツマニ地区のチョロトルィヤに生まれた。
1957年にチェルニウツィー音楽院を卒業、1961年からO・Yu・コブィリャンスィカ記念チェルニウツィー音楽ドラマ劇場の劇場スタジオを出た。その後、ヴィークトル・イーヴチェンコのもとI・カルペーンコ=カールィイ記念キエフ舞台芸術大学の映画俳優学部で学び、1965年に卒業した。
ムィコライチュークは、早くも学生時代にスクリーンデビューを果たした。当時のクラス担当監督のレオニード・オスィカの『ふたり』(«Двоє»)が、彼のデビュー作となった。その後、ヴォロドィームィル・デヌィセーンコ監督の『夢』(«Сон»)では若き日のタラース・シェウチェーンコを演じ、セルゲイ・パラジャーノフ監督の『忘れられた祖先の影』(«Тіні забутих предків»;邦題『火の馬』)ではフツル人の主人公イヴァーン・パリイチュークを演じた。この映画は、海外で高い評価を得た。
その後、1968年には再びフツル人を扱った映画『アンヌィーチュカ』(«Анничка»)に主演し、海外で高い評価を得た。この年には、合わせて4作に出演した。1970年のユーリイ・イッリェーンコ監督の『黒い兆しから出でた白い鳥』(«Білий птах з чорною ознакою»)に出演、『忘れられた祖先の影』に続いてラリーサ・カードチュニコヴァと共演した。この作品では、脚本も書いた。1971年には、ウクライナの詩人レースャ・ウクラインカの悲恋を描いた『あなたのもとに向かって』(«Іду до тебе»)に出演した。同じ年にはイヴァーン・フランコーの詩をもとにした『狗鷲のザハール』(«Захар Беркут»)など合わせて3作に出演した。翌1972年には、ウクライナのヘーチマンからペテルブルクのツァーリへの証書を持参するコサックの珍道中を描いたコメディ『落っことした証書』(Пропала грамота»)に出演した。1979年の『バビロン20』(«Вавілон ХХ»)では、脚本・主演のほか初めて監督、作曲を務めた。2作目の監督作となったのはウクライナのカナダ移民を扱った1981年の『こんなに遅く、こんなにも暖かい秋』(«Така пізня, така тепла осінь»)であった。1983年には«イヴァーンについての小品』(«Небилиці про Івана»)の脚本を仕上げたが、撮影許可は1986年秋にまでずれ込んだ。その間にムィコライチュークは重病に倒れ、撮影に加わることはできなくなった。そして、復帰できぬまま、1987年夏にこの世を去った。
イヴァーン・ムィコライチュークは、小さなフツル人の村に生まれ、早くに恋愛をし、早くに名声を得、早世した。その人生は、しばしば彼が認められた最初の作品『夢』の主人公タラース・シェウチェーンコや『忘れられた祖先の影』の主人公イヴァーン・パリイチュークの人生に重ねられる。イヴァーン・パリイチュークが亡くした恋人はマリーチュカであり、イヴァーン・ムィコライチュークもマリーチュカという女性と結婚した。
ムィコライチュークはウクライナの伝統文化を尊重し、そのためしばしばナショナリストと呼ばれた。合わせて34作品に出演し、9本の脚本を書き、2つの監督作を残した。死後、T・H・シェウチェーンコ国家賞を授与され、その映画人生を称えられた。