イーゴリ・ベズロドニー
イーゴリ・セミョーノヴィチ・ベズロドニー | |
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生誕 | 1930年5月7日 |
出身地 | ソビエト連邦チフリス |
死没 | 1997年9月30日(67歳没) |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
イーゴリ・セミョーノヴィチ・ベズロドニー[1](ロシア語:Игорь Семёнович Безродный, ラテン文字転写例:Igor Semenovich Bezrodny, 1930年5月7日 - 1997年9月30日)は、ソビエト連邦出身のヴァイオリン奏者、指揮者[2][3]。
経歴
[編集]グルジアの首都チフリスの生まれ。ヴァイオリン教師だった両親から音楽の手ほどきを受け、モスクワのイッポリトフ=イワノフ音楽学校に進学した。1947年のプラハ青少年音楽祭コンクール、1949年にはプラハのヤン・クベリーク国際ヴァイオリン・コンクール、1950年にライプツィヒのヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門のそれぞれに出場し、いずれも優勝している。これらの功績から、1951年にはスターリン賞を贈られた。1953年から1955年までモスクワ音楽院のアブラム・ヤンポリスキーのクラスで学び、卒業後は同音楽院の講師に迎え入れられ、1972年には教授となった。1965年からドミトリー・バシキーロフやミハイル・ホミツェルとピアノ三重奏団を結成し、1972年まで継続的に活動した[4]。
モスクワ音楽院での後進の指導の傍らニコライ・アノーソフ等に指揮法を教わり、1970年にはイルクーツクで指揮者デビューを果たした。1977年から1981年までモスクワ室内管弦楽団の芸術監督を務めた。1978年には教え子のマリ・タンペレと結婚。1986年から1990年までフィンランドのトゥルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。1991年からはシベリウス音楽院で教鞭をとるようになった。
1997年にヘルシンキにて死去。
参考文献
[編集]- 日本・ロシア音楽家協会 編「ロシア音楽事典」(2006年 カワイ出版)ISBN 9784760950164
受賞
[編集]- 1951年:スターリン賞
- 1978年:ソビエト連邦ロシア共和国人民芸術家
脚注
[編集]- ^ ベズロドヌイ、ベズロードヌイの表記もある(参考文献p.261他)。
- ^ persona.rin.ru
- ^ edenhell.net
- ^ 参考文献p.261。