ウィリアム・シンジョン (第9代ブレッツォのシンジョン男爵)
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第9代ブレッツォのシンジョン男爵ウィリアム・シンジョン(英語: William St John, 9th Baron St John of Bletso、1689年頃[1] – 1720年10月11日)は、イングランド貴族。
生涯
[編集]第2代準男爵サー・セント・アンドリュー・シンジョンの四男として生まれた[2]。1709年7月5日、ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに入学、1713年にM.A.の学位を修得した[3]。
第3代ボリングブルック伯爵ポーレット・シンジョン(1711年没)の相続人に指定されたが、ホイッグ党所属のボリングブルック伯爵と違い、ウィリアム・シンジョンはトーリー党に所属した[1]。
1714年5月10日に兄セント・アンドリューの息子ポーレット・セント・アンドリューが死去すると、ブレッツォのシンジョン男爵位を継承した[2]。同年5月27日、貴族院にはじめて登院したが、1717年7月1日を最後に登院しなくなった[1]。アン女王の死後に行われた1715年イギリス総選挙ではベッドフォードシャー選挙区で選挙活動をしたが、トーリー党の候補は2名とも落選した[1]。
1720年10月11日に生涯未婚のままノーサンプトンシャーのウッドフォードで死去、ベッドフォードシャーのブレッツォで埋葬された[2]。弟ローランドが爵位を継承した[2]。
出典
[編集]- ^ a b c d Eagles, Robin (2016). "ST JOHN, William (c. 1689–1720)". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 4. Cambridge University Press. p. 302. ISBN 9781107175259。
- ^ a b c d Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. p. 337.
- ^ "William ST JOHN (ST709W)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
イングランドの爵位 | ||
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先代 ポーレット・セント・アンドリュー・シンジョン |
ブレッツォのシンジョン男爵 1714年 – 1720年 |
次代 ローランド・シンジョン |