ウォルター・ウィンターボトム
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ウィンターボトムの胸像 | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Walter Winterbottom | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1913年1月31日 | |||||
出身地 | オールダム | |||||
没年月日 | 2002年2月16日(88歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
マンチェスター・ユナイテッド | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1936-1938 | マンチェスター・ユナイテッド | 26 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1946-1962 | イングランド | |||||
1952 | イギリス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ウォルター・ウィンターボトム(Walter Winterbottom、1913年3月31日 - 2002年2月16日)は、イングランドの元サッカー選手、サッカー指導者。
経歴
[編集]ウィンターボトムはチェスター大学の体育学部を卒業し学校の教師を務めていたが、1936年にマンチェスター・ユナイテッドへ入団し、センターハーフとしてプレーをした。しかし1938年に脊髄の病気のため、25歳で選手としてのキャリアを閉じた。
引退後は指導者の道へ進み、第二次世界大戦後の1946年にイングランド代表コーチに就任すると、翌1947年5月に監督に昇格した。就任最初の試合は7-2でアイルランドに勝利した。その後、1963年までの16年間の長きに渡って監督を務め、FIFAワールドカップでは1950年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会、1954年のFIFAワールドカップ・スイス大会、1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会、1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会の4大会で指揮を執ったが、スイス大会とチリ大会のベスト8進出が最高成績であった。
監督業から退いた後、大英帝国勲章(1963年にはOBE、1972年にはCBE、1978年にはナイトの爵位)が授与された。2002年2月16日、サリー州ギルフォードの病院で死去。89歳没。彼の死後、2005年に監督としての実績が認められイングランドサッカー殿堂入りを果たした。